身代わり婚のはずが冷徹御曹司は一途愛を注ぎ貫く

心配とは、いろいろな意味の心配を指している。今抱えている恐怖も、私が彼の弱みを知ったことも、私の腕に抱きしめられていることも、それを公にするつもりはないし、私は墓場まで持っていくつもりだ。だから今は安心してほしい。そんな思いで、彼を抱きしめていた。

何分経っただろう。彼は憔悴した様子だが呼吸は整い、立てるようになった。普通に歩けそうだということを確認すると、私はハッとして彼から離れる。

「じゃ、じゃあ私はこれで失礼します。どうかお大事に」

最後に彼に、もう大丈夫、そんなエールのような笑顔を向けた。エレベーターは使えないため、急いで階段を一階まで駆け下りた。早くこの場から消えて、本当に「偶然居合わせただけ」の人にならなくては。これ以上一緒にいて名乗りでもしたら大変なことになっていた。私のことを会場にいた女だと思い出したりされたら、花純がこんなに強引で失礼な性格なのだと誤解されてしまうところだった。

彼にとって、私に抱きしめられるなんてプライドをへし折られる屈辱的な出来事だったに違いない。私・香波はそういうことをしてしまう人間だけど、謙虚でしとやかな花純はこんなことはしない。

だからお互いに忘れよう。どうせもう会うこともないのだし――。
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