粉雪舞う白い世界で
桜の下でプラトニック
寒い冬が過ぎ、日差しが温かい春がやって来た。
凌に劇団の友人達と新宿御苑で花見をするから、伊織も一緒に行こうと誘われた。
「私はいいよ。凌はお友達とお花見、楽しんで来て。」
「伊織と今年の桜を一緒に見たいんだ。きっとソメイヨシノが綺麗に咲いてるよ。」
「今年の桜」という言葉に胸がズキンと痛んだ。
そうだ。もう来年の桜は凌と一緒に見ることが出来ない。
だったら今年の桜を忘れないよう、目に焼き付けておきたい。
「うん。わかった。行く。」
私がそう答えると、凌は嬉しそうに笑った。
4月中旬の土曜の夜、私は凌と凌の友人3人と一緒に、新宿御苑の満開の桜の下にいた。
ビールで乾杯して、買って来た柿の種やポッキーをつまんだ。
「こんちわ~。ヤマキですっ。」
「初めまして~。キノモトです。」
「どうも。ユミカです。」
3人は「劇団☆幕の内弁当」という小劇団の劇団員だった。
凌はそこで脚本を書いているのだ。
「わ~。伊織ちゃん、可愛い!今度やる劇で客演してみない?」
ニット帽に丸い眼鏡をかけたヤマキさんが、さきイカを齧りながら私に話しかけた。
「えーと。私、台詞覚えたりできないです。」
「社交辞令に決まってるじゃん。何マジに答えてんの?」
ユミカさんが私を見ると、鼻で笑った。
「おい、ユミカ~。なにさっきからぷりぷりしてんの?楽しく飲もうぜ?」
凌がユミカさんの肩を叩いた。
ユミカさんは金髪の長い髪をポニーテールで結んだ、胸の大きい官能的な女の子だった。
凌と3人は劇団の内輪話や、これからの方向性について語り始めた。
「大体さ~、凌の書く物語ってややリアリズムに欠けるんだよね。ちょっとロマンチック過ぎるっていうか。たまには客が観た後にしばらく立ち直れないような悲劇を書いてもいいんじゃない?」
「いや、俺はハッピーエンドしか興味がないの。虚構の世界くらい、幸せに浸りたいじゃん。」
私は凌の書いた脚本を読んだことがなかった。
凌が恥ずかしがって見せてくれないのだ。
だから今日初めて、凌がハッピーエンドしか書かないということを知った。
ユミカさんは凌の隣を陣取り、ベタベタと凌の身体を触っていた。
誰の目から見ても、ユミカさんが凌を好きなことは一目瞭然だった。
凌はユミカさんのことをどう思っているのだろう。
そんなことを思う資格など私にはないのに、胸に広がるもやもやが治まらなかった。
「皆に言っておきたいことがあるんだけど、ちょっといい?」
そう言って凌は急に立ち上がった。
私達は会話を中断し、凌の口から吐き出される言葉を待った。
「俺、今度の公演が終わったら、劇団辞めるわ。」
凌はそうキッパリと言い放った。
「えっ?!」
「おい。嘘だろ・・・。」
3人は目を見開いて凌の顔を凝視していた。
私も突然のことに、驚いていた。
場の雰囲気が一気に不穏なものになった。
「ねえ、どうして!なんで?!」
ユミカさんが凌の肩を揺さぶった。
「やだよ!凌が劇団を辞めるなら私も辞める!」
「そんなこと言うなよ。ユミカは劇団の主演女優だろ?お前が辞めたら皆困るだろうが。」
「凌が辞めたって、皆困るよ。ねえ?」
ユミカさんはヤマキさんとキノモトさんに同意を求めた。
しかしヤマキさんは頭をかきながら、凌を弁護した。
「まあ・・・でも俺は凌を引き止められねえな。劇団は金になんねえし・・・凌が新しい道を進むことを決めたなら、俺はそれを応援するぜ。」
「ヤマキ~。お前、いい奴だなぁ。」
凌がヤマキさんの肩を抱いた。
「俺はまだ認めたくないけど・・・。ヤマさんがそう言うなら俺も頷くしかないんだろうな。」
キノモトさんは淋し気にそう言うと、紙コップに注がれたビールを一気飲みした。
「脚本は田中も書けるからさ。アイツにも俺の後釜としてヨロシク頼むぜってもう言ってある。飛ぶ鳥跡を濁さずってね。」
「やだ!私は認めない。ねえどうして?理由を教えてよ。」
晴々とした顔の凌と対照的に、ユミカさんは目に涙を浮かべている。
「俺、就職することにしたんだよね。このままフラフラしてても、俺の人生どうなのかな~って思い始めてさ。そろそろ金も貯めたいし。」
「お金の為に夢を捨てるの?」
「夢も大事だけど、金も大切よ?」
「・・・そんな凌、見たくなかった。」
ユミカさんはそう言うと、スクっと立ち上がり自分の靴を履き始めた。
「おい。ユミカどこ行くんだよ。」
キノモトさんが声をかけると、ユミカさんは私達を睨み叫んだ。
「気持ち悪いからトイレ!」
「おい!ユミカ!!」
「私、ついていきます。」
私はとっさに立ち上がると、ユミカさんの後を追った。
女子トイレに行くなら、女の私が介抱にいくのが一番いいと思った。
ユミカさんの赤いブルゾンの背中は、案外早く見つかった。
人気の少ない桜の幹に片手をつきながら、ユミカさんは身体を震わせ泣いていた。
「ユミカさん。大丈夫ですか?」
私がユミカさんの肩に手を置くと、ユミカさんは振り向きざま私の顔を睨みつけ、私の手を撥ねのけた。
「触らないでよ!」
「・・・・・・。」
「全部、アンタのせいよ!アンタと出会ってから、凌は変わっちゃったのよ。付き合いは悪くなったし、煙草も止めたし、劇団を辞めて就職?ふざけないでよ!」
「そう・・・なんですか?」
ユミカさんは私の方を向くと、憎々し気に口元を歪めた。
「私知ってんのよ。アンタ、凌と一緒に住んでんでしょ?」
「・・・はい。」
私はこの真剣な瞳に嘘は付けないと思った。
「言っとくけど、それ同情だからね?アンタが可哀想だから仕方なく凌はアンタを部屋に住まわせてあげてるのよ。・・・ねえ、もう凌とヤッた?」
「・・・え?」
「凌とセックスしたかって聞いてんの!」
「・・・してません。」
「あははっ!」
ユミカさんが渇いた笑い声を出した。
「じゃあ、凌が歌舞伎町の個室ビデオで抜いてるって噂、本当だったんだ!」
「・・・・・・。」
「信じられない。世話になっててヤラせてもあげないんだ。アンタってほんと恩知らずな女。」
「だって私達は・・・友達だから。」
「プラトニックかよ!そういうのホントたち悪い!アンタどんだけ自分が罪深いかわかってんの?凌を愛せないならもう解放してあげなよ!」
それからもユミカさんは私に酷い言葉を何個かぶつけた後、今度こそ走り去って行ってしまった。
私は呆然としながら凌達の元へ戻った。
「ユミカは?」
私は無言で首を横に振った。
その後は白けた雰囲気になってしまい、早々にお開きとなった。
帰り道、私は凌と並んで、ライトアップされた桜の下を歩いた。
はらはらと舞い散る花びらが2人の頭に肩に止まった。
私は凌の、凌は私の頭についた花びらを取って、風に飛ばした。
私の右手を、凌が左手でそっと握った。
その手がとても温かくて、私も思わずぎゅっと握り返した。
「ごめん。ユミカになにかキツイこと言われたんだろ?」
「ううん。大丈夫。」
私は地面をみつめたまま、そう言った。
桜の花びらが雪のように降り積もっていた。
「でもびっくりした。凌、就職するんだね。」
「ああ。もう就職先も決めてきた。これから仕事で遅く帰る日が続くと思う。俺のことは気にせずに、先に寝てて。」
「わかった。無理しないでね。」
たしかに凌の雰囲気は、出会った頃に比べると少し変わったかもしれない。
ねえ。凌は今、何を思ってる?
どこへ向かおうとしているの?
凌と同じ道をこのままずっと一緒に歩いて行きたいのに、私にはそれが出来ない。
そう思うと、胸が苦しくて、いま凌と一緒にいることが途方もないほどの奇跡のように感じた。
柔らかな凌の横顔を見上げながら、このままこの桜並木がずっとずっと続けばいいのに、と心から思った。
凌に劇団の友人達と新宿御苑で花見をするから、伊織も一緒に行こうと誘われた。
「私はいいよ。凌はお友達とお花見、楽しんで来て。」
「伊織と今年の桜を一緒に見たいんだ。きっとソメイヨシノが綺麗に咲いてるよ。」
「今年の桜」という言葉に胸がズキンと痛んだ。
そうだ。もう来年の桜は凌と一緒に見ることが出来ない。
だったら今年の桜を忘れないよう、目に焼き付けておきたい。
「うん。わかった。行く。」
私がそう答えると、凌は嬉しそうに笑った。
4月中旬の土曜の夜、私は凌と凌の友人3人と一緒に、新宿御苑の満開の桜の下にいた。
ビールで乾杯して、買って来た柿の種やポッキーをつまんだ。
「こんちわ~。ヤマキですっ。」
「初めまして~。キノモトです。」
「どうも。ユミカです。」
3人は「劇団☆幕の内弁当」という小劇団の劇団員だった。
凌はそこで脚本を書いているのだ。
「わ~。伊織ちゃん、可愛い!今度やる劇で客演してみない?」
ニット帽に丸い眼鏡をかけたヤマキさんが、さきイカを齧りながら私に話しかけた。
「えーと。私、台詞覚えたりできないです。」
「社交辞令に決まってるじゃん。何マジに答えてんの?」
ユミカさんが私を見ると、鼻で笑った。
「おい、ユミカ~。なにさっきからぷりぷりしてんの?楽しく飲もうぜ?」
凌がユミカさんの肩を叩いた。
ユミカさんは金髪の長い髪をポニーテールで結んだ、胸の大きい官能的な女の子だった。
凌と3人は劇団の内輪話や、これからの方向性について語り始めた。
「大体さ~、凌の書く物語ってややリアリズムに欠けるんだよね。ちょっとロマンチック過ぎるっていうか。たまには客が観た後にしばらく立ち直れないような悲劇を書いてもいいんじゃない?」
「いや、俺はハッピーエンドしか興味がないの。虚構の世界くらい、幸せに浸りたいじゃん。」
私は凌の書いた脚本を読んだことがなかった。
凌が恥ずかしがって見せてくれないのだ。
だから今日初めて、凌がハッピーエンドしか書かないということを知った。
ユミカさんは凌の隣を陣取り、ベタベタと凌の身体を触っていた。
誰の目から見ても、ユミカさんが凌を好きなことは一目瞭然だった。
凌はユミカさんのことをどう思っているのだろう。
そんなことを思う資格など私にはないのに、胸に広がるもやもやが治まらなかった。
「皆に言っておきたいことがあるんだけど、ちょっといい?」
そう言って凌は急に立ち上がった。
私達は会話を中断し、凌の口から吐き出される言葉を待った。
「俺、今度の公演が終わったら、劇団辞めるわ。」
凌はそうキッパリと言い放った。
「えっ?!」
「おい。嘘だろ・・・。」
3人は目を見開いて凌の顔を凝視していた。
私も突然のことに、驚いていた。
場の雰囲気が一気に不穏なものになった。
「ねえ、どうして!なんで?!」
ユミカさんが凌の肩を揺さぶった。
「やだよ!凌が劇団を辞めるなら私も辞める!」
「そんなこと言うなよ。ユミカは劇団の主演女優だろ?お前が辞めたら皆困るだろうが。」
「凌が辞めたって、皆困るよ。ねえ?」
ユミカさんはヤマキさんとキノモトさんに同意を求めた。
しかしヤマキさんは頭をかきながら、凌を弁護した。
「まあ・・・でも俺は凌を引き止められねえな。劇団は金になんねえし・・・凌が新しい道を進むことを決めたなら、俺はそれを応援するぜ。」
「ヤマキ~。お前、いい奴だなぁ。」
凌がヤマキさんの肩を抱いた。
「俺はまだ認めたくないけど・・・。ヤマさんがそう言うなら俺も頷くしかないんだろうな。」
キノモトさんは淋し気にそう言うと、紙コップに注がれたビールを一気飲みした。
「脚本は田中も書けるからさ。アイツにも俺の後釜としてヨロシク頼むぜってもう言ってある。飛ぶ鳥跡を濁さずってね。」
「やだ!私は認めない。ねえどうして?理由を教えてよ。」
晴々とした顔の凌と対照的に、ユミカさんは目に涙を浮かべている。
「俺、就職することにしたんだよね。このままフラフラしてても、俺の人生どうなのかな~って思い始めてさ。そろそろ金も貯めたいし。」
「お金の為に夢を捨てるの?」
「夢も大事だけど、金も大切よ?」
「・・・そんな凌、見たくなかった。」
ユミカさんはそう言うと、スクっと立ち上がり自分の靴を履き始めた。
「おい。ユミカどこ行くんだよ。」
キノモトさんが声をかけると、ユミカさんは私達を睨み叫んだ。
「気持ち悪いからトイレ!」
「おい!ユミカ!!」
「私、ついていきます。」
私はとっさに立ち上がると、ユミカさんの後を追った。
女子トイレに行くなら、女の私が介抱にいくのが一番いいと思った。
ユミカさんの赤いブルゾンの背中は、案外早く見つかった。
人気の少ない桜の幹に片手をつきながら、ユミカさんは身体を震わせ泣いていた。
「ユミカさん。大丈夫ですか?」
私がユミカさんの肩に手を置くと、ユミカさんは振り向きざま私の顔を睨みつけ、私の手を撥ねのけた。
「触らないでよ!」
「・・・・・・。」
「全部、アンタのせいよ!アンタと出会ってから、凌は変わっちゃったのよ。付き合いは悪くなったし、煙草も止めたし、劇団を辞めて就職?ふざけないでよ!」
「そう・・・なんですか?」
ユミカさんは私の方を向くと、憎々し気に口元を歪めた。
「私知ってんのよ。アンタ、凌と一緒に住んでんでしょ?」
「・・・はい。」
私はこの真剣な瞳に嘘は付けないと思った。
「言っとくけど、それ同情だからね?アンタが可哀想だから仕方なく凌はアンタを部屋に住まわせてあげてるのよ。・・・ねえ、もう凌とヤッた?」
「・・・え?」
「凌とセックスしたかって聞いてんの!」
「・・・してません。」
「あははっ!」
ユミカさんが渇いた笑い声を出した。
「じゃあ、凌が歌舞伎町の個室ビデオで抜いてるって噂、本当だったんだ!」
「・・・・・・。」
「信じられない。世話になっててヤラせてもあげないんだ。アンタってほんと恩知らずな女。」
「だって私達は・・・友達だから。」
「プラトニックかよ!そういうのホントたち悪い!アンタどんだけ自分が罪深いかわかってんの?凌を愛せないならもう解放してあげなよ!」
それからもユミカさんは私に酷い言葉を何個かぶつけた後、今度こそ走り去って行ってしまった。
私は呆然としながら凌達の元へ戻った。
「ユミカは?」
私は無言で首を横に振った。
その後は白けた雰囲気になってしまい、早々にお開きとなった。
帰り道、私は凌と並んで、ライトアップされた桜の下を歩いた。
はらはらと舞い散る花びらが2人の頭に肩に止まった。
私は凌の、凌は私の頭についた花びらを取って、風に飛ばした。
私の右手を、凌が左手でそっと握った。
その手がとても温かくて、私も思わずぎゅっと握り返した。
「ごめん。ユミカになにかキツイこと言われたんだろ?」
「ううん。大丈夫。」
私は地面をみつめたまま、そう言った。
桜の花びらが雪のように降り積もっていた。
「でもびっくりした。凌、就職するんだね。」
「ああ。もう就職先も決めてきた。これから仕事で遅く帰る日が続くと思う。俺のことは気にせずに、先に寝てて。」
「わかった。無理しないでね。」
たしかに凌の雰囲気は、出会った頃に比べると少し変わったかもしれない。
ねえ。凌は今、何を思ってる?
どこへ向かおうとしているの?
凌と同じ道をこのままずっと一緒に歩いて行きたいのに、私にはそれが出来ない。
そう思うと、胸が苦しくて、いま凌と一緒にいることが途方もないほどの奇跡のように感じた。
柔らかな凌の横顔を見上げながら、このままこの桜並木がずっとずっと続けばいいのに、と心から思った。