粉雪舞う白い世界で
何もせずただ抱きしめ合って
アロマオイルマッサージのお客様を送り出して、手の空いた私は給湯室で汚れたタオルを洗濯することにした。
洗濯機のないこの店では、洗濯は全てスタッフが手洗いする。
夏が近づいていた。
桶に水と洗剤をいれ、その後タオルを水につけ揉み洗いする。
冬の水の冷たさに比べると、水が温く感じるこの季節は有り難かった。
「手伝うよ。」
いつの間にか給湯室に入ってきた古田さんが、私の横に立ち有無を言わさずタオルを洗い始めた。
「ありがとうございます。」
「いいって。今日はお客様が少ないからね。」
「けっこうこの仕事って、暇な時と忙しい時の差が激しいですよね。」
「そうね~。いまさっきのお客様、施術中ずっと寝ててさ。いびきがすごくてちょっと笑っちゃった!」
「でも寝てるってことはそれだけ気持ち良いってことですよ。」
「まあ、私はゴッドハンドだからねっ!あははっ!」
古田さんの朗らかな人柄に接すると、私まで明るくなる。
私達は洗濯をしながら、束の間のお喋りを楽しんだ。
洗濯が終わり脱水をし、タオルを干している最中に、古田さんがふと思い出したように言った。
「そういえば、いつも伊織ちゃんを指名するお客様いるじゃない?影山さんだっけ?」
「・・・はい。」
「この前、新宿西口にある高層ホテルの前で、影山さんらしき人を見かけたのよね。」
・・・ホテル?
私の胸がどきんと音を立てた。
「女性と一緒だった・・・とか?」
「あら。気になる?」
古田さんがにやにやと笑った。
「いえ・・・そんなんじゃないですけど。」
「安心して。女性と一緒じゃなかったから。影山さん、いつものラフな格好とは打って変わってビシッとしたスーツを着てたわよ?前髪も上にあげて出来るビジネスマンってカンジ。」
「・・・そうなんですか?」
「うん。でも影山さんと一緒に歩いていた男の人、黒いサングラスかけてて、ちょっと怖そうだったな。もしかして影山さんてアブナイ人だったりして。」
古田さんは何の悪気もなくそう言って笑った。
凌から就職した会社名や仕事内容は聞いていない。
さりげなく尋ねても「大した仕事じゃないよ。」といつもはぐらかされてしまう。
凌はなんの仕事をしているのだろう。
まさか危ない橋を渡っているのでは。
喉に重い石が詰まったように、呼吸するのが苦しくなった。
ただ、凌が心配だった。
凌の帰りが遅くなる日が多くなった。
そしていつ寝たのかもわからないくらい早く起きて、顔も見ないまますぐに仕事へ行ってしまう。
今日も私が朝起きると、もうリュックを背負って家を出ようとしていた。
もちろんスーツではなく、白い綿のシャツに黒いジーパン姿だ。
古田さんが言っていたスーツを着た凌らしき人は、別人なんじゃないかと思いたい自分がいる。
「おはよう、凌。」
私はパジャマ姿のまま、凌に声をかけた。
「あ、おはよ。伊織。」
「もう行くの?」
「ああ。今夜も遅くなりそうだから、伊織は先に寝てて。ちゃんと戸締りしなよ。」
「うん。朝ごはんは?」
「途中でなんか買って食うから大丈夫。」
「仕事大変?無理してない?」
「無理してないよ。」
「ホントに?凌・・・危ない仕事してないよね。」
「・・・してないよ。」
凌は窘めるような声でそう言うと、私の両肩を掴んだ。
「伊織も今日は仕事だろ?お互い頑張ろうぜ。」
「うん。凌もお仕事、頑張ってね。」
凌が家から出て行き、私はキッチンの椅子に座ってぼおっとしていた。
凌は私に何か隠してる・・・そんな疑いが晴れない。
凌が遠くへ行ってしまったらどうしよう。
そんな不安が渦巻くばかりだった。
その日、遅く帰ってきた凌が眠るベッドの中へ私は潜り込んだ。
私と凌はいつも別々の部屋で寝ていた。
凌は寝室のベッドで、私は自分の部屋に布団を敷いて、お互い夜は近づかないというのが2人の暗黙のルールだった。
今夜、私はそのルールを破ろうと思った。
ユミカさんに言われた言葉がずっと胸を燻ぶっていた。
私は凌になにも恩返しできていない。
だからせめて疲れた凌の癒しになりたい。
凌に気持ちよくなってもらいたい。
ただ、そう思った。
私はベッドで背中を向けて眠る凌を、後ろから腰に手を回し、抱きしめた。
凌の体温が私の体温と交じり合う。
凌の匂いが私の鼻先をくすぐる。
凌の全てが、今私の腕の中にあった。
「・・・伊織?」
目を覚ました凌が私の名を呼んだ。
私の方へ身体を向けた凌は、驚いたように私の顔を見た。
私は再び、凌の胸に抱きついた。
「どうしたの?怖い夢でも見た?」
私は黙って首を振った。
凌に、しよう、と言おうと思っていた。
でもこんな状況になっても、どうしてもその言葉が出てこなかった。
そんなことを言ったら、ふたりの間の大切ななにかが壊れてしまいそうな気がした。
そんな私の思いを見透かすように、凌は目を細めた。
「このまま、こうして眠ろっか。」
凌が私の身体を強く抱きしめ、私もきつく凌の身体を抱きしめた。
凌の胸に顔を埋めながら、私は泣いた。
いま、里香先輩の気持ちが痛いほどわかった。
「死んじゃいたい。私、このまま死んじゃいたいよ。」
私のつぶやきに凌は何も答えず、少し辛そうに微笑むと、ただ私の髪を撫でた。
私と凌は、キスもセックスもせずに、ただお互いを抱きしめ合って眠った。
洗濯機のないこの店では、洗濯は全てスタッフが手洗いする。
夏が近づいていた。
桶に水と洗剤をいれ、その後タオルを水につけ揉み洗いする。
冬の水の冷たさに比べると、水が温く感じるこの季節は有り難かった。
「手伝うよ。」
いつの間にか給湯室に入ってきた古田さんが、私の横に立ち有無を言わさずタオルを洗い始めた。
「ありがとうございます。」
「いいって。今日はお客様が少ないからね。」
「けっこうこの仕事って、暇な時と忙しい時の差が激しいですよね。」
「そうね~。いまさっきのお客様、施術中ずっと寝ててさ。いびきがすごくてちょっと笑っちゃった!」
「でも寝てるってことはそれだけ気持ち良いってことですよ。」
「まあ、私はゴッドハンドだからねっ!あははっ!」
古田さんの朗らかな人柄に接すると、私まで明るくなる。
私達は洗濯をしながら、束の間のお喋りを楽しんだ。
洗濯が終わり脱水をし、タオルを干している最中に、古田さんがふと思い出したように言った。
「そういえば、いつも伊織ちゃんを指名するお客様いるじゃない?影山さんだっけ?」
「・・・はい。」
「この前、新宿西口にある高層ホテルの前で、影山さんらしき人を見かけたのよね。」
・・・ホテル?
私の胸がどきんと音を立てた。
「女性と一緒だった・・・とか?」
「あら。気になる?」
古田さんがにやにやと笑った。
「いえ・・・そんなんじゃないですけど。」
「安心して。女性と一緒じゃなかったから。影山さん、いつものラフな格好とは打って変わってビシッとしたスーツを着てたわよ?前髪も上にあげて出来るビジネスマンってカンジ。」
「・・・そうなんですか?」
「うん。でも影山さんと一緒に歩いていた男の人、黒いサングラスかけてて、ちょっと怖そうだったな。もしかして影山さんてアブナイ人だったりして。」
古田さんは何の悪気もなくそう言って笑った。
凌から就職した会社名や仕事内容は聞いていない。
さりげなく尋ねても「大した仕事じゃないよ。」といつもはぐらかされてしまう。
凌はなんの仕事をしているのだろう。
まさか危ない橋を渡っているのでは。
喉に重い石が詰まったように、呼吸するのが苦しくなった。
ただ、凌が心配だった。
凌の帰りが遅くなる日が多くなった。
そしていつ寝たのかもわからないくらい早く起きて、顔も見ないまますぐに仕事へ行ってしまう。
今日も私が朝起きると、もうリュックを背負って家を出ようとしていた。
もちろんスーツではなく、白い綿のシャツに黒いジーパン姿だ。
古田さんが言っていたスーツを着た凌らしき人は、別人なんじゃないかと思いたい自分がいる。
「おはよう、凌。」
私はパジャマ姿のまま、凌に声をかけた。
「あ、おはよ。伊織。」
「もう行くの?」
「ああ。今夜も遅くなりそうだから、伊織は先に寝てて。ちゃんと戸締りしなよ。」
「うん。朝ごはんは?」
「途中でなんか買って食うから大丈夫。」
「仕事大変?無理してない?」
「無理してないよ。」
「ホントに?凌・・・危ない仕事してないよね。」
「・・・してないよ。」
凌は窘めるような声でそう言うと、私の両肩を掴んだ。
「伊織も今日は仕事だろ?お互い頑張ろうぜ。」
「うん。凌もお仕事、頑張ってね。」
凌が家から出て行き、私はキッチンの椅子に座ってぼおっとしていた。
凌は私に何か隠してる・・・そんな疑いが晴れない。
凌が遠くへ行ってしまったらどうしよう。
そんな不安が渦巻くばかりだった。
その日、遅く帰ってきた凌が眠るベッドの中へ私は潜り込んだ。
私と凌はいつも別々の部屋で寝ていた。
凌は寝室のベッドで、私は自分の部屋に布団を敷いて、お互い夜は近づかないというのが2人の暗黙のルールだった。
今夜、私はそのルールを破ろうと思った。
ユミカさんに言われた言葉がずっと胸を燻ぶっていた。
私は凌になにも恩返しできていない。
だからせめて疲れた凌の癒しになりたい。
凌に気持ちよくなってもらいたい。
ただ、そう思った。
私はベッドで背中を向けて眠る凌を、後ろから腰に手を回し、抱きしめた。
凌の体温が私の体温と交じり合う。
凌の匂いが私の鼻先をくすぐる。
凌の全てが、今私の腕の中にあった。
「・・・伊織?」
目を覚ました凌が私の名を呼んだ。
私の方へ身体を向けた凌は、驚いたように私の顔を見た。
私は再び、凌の胸に抱きついた。
「どうしたの?怖い夢でも見た?」
私は黙って首を振った。
凌に、しよう、と言おうと思っていた。
でもこんな状況になっても、どうしてもその言葉が出てこなかった。
そんなことを言ったら、ふたりの間の大切ななにかが壊れてしまいそうな気がした。
そんな私の思いを見透かすように、凌は目を細めた。
「このまま、こうして眠ろっか。」
凌が私の身体を強く抱きしめ、私もきつく凌の身体を抱きしめた。
凌の胸に顔を埋めながら、私は泣いた。
いま、里香先輩の気持ちが痛いほどわかった。
「死んじゃいたい。私、このまま死んじゃいたいよ。」
私のつぶやきに凌は何も答えず、少し辛そうに微笑むと、ただ私の髪を撫でた。
私と凌は、キスもセックスもせずに、ただお互いを抱きしめ合って眠った。