粉雪舞う白い世界で
ふたりのサンタクロース
クリスマスイブの「リリー」には若い女性のお客様が午前中から押し寄せた。
そのほとんどがアロマオイルマッサージ希望のお客様だ。
彼とのクリスマスデートに備えて身体をピカピカにしておきたいのだろう。
アロマオイルマッサージの施術が出来るセラピストはこの店で、ベテランの古田さんと里香先輩、そして私の3人だけだ。
私達3人は休む暇もなく、朝9時から夜8時までぶっ続けで働いた。
アロマオイルマッサージの最後のお客様が店から出ると、店内はそれまでの混雑が嘘のような静けさに包まれた。
「あ~。もうしばらくアロマやりたくない。」
里香先輩は乱れたアロマ室のベッドを直しながら、大きく息を吐いた。
「ふふっ。そうですね。」
私もオイルで汚れたタオルを片付けながら頷いた。
「伊織ちゃん、最近なんか変わったね。」
里香先輩にそう指摘され、私は首をかしげた。
「え?どの辺がですか?」
「ちょっと前まで、伊織ちゃんの話し方、どこか無理してるように聞こえてたんだよね。」
「・・・もしかして私、痛かったですか?」
「ううん。客商売なんだから明るく元気で全然いいんだよ。でもスタッフの私達にもそのカンジで接してるから、そんなに頑張らなくてもいいのになあって思ってた。」
「すみません。自分では全然わからなかったです。」
「ううん。謝らなくてもいいんだよ。むしろ最近の伊織ちゃんは肩の力が抜けてきたみたいで、良い方向に変わってきたなって褒めたかったの!あ、褒めるってなんか上から目線でゴメンね。」
「いえ。あ、ありがとうございます。」
ベッドメイクが終わり、アロマ室を出ようとする里香先輩の背中に私は頭を下げた。
「もしかしてあのお客様のお陰かな?」
里香先輩はそう言って振り向くと、意味深な笑みを浮かべた。
「あのお客様?」
「毎週金曜日に桜コースで伊織ちゃんを指名する、若い男のお客様がいるじゃない。」
「あ・・・りょ・・・影山さん、ですか?」
凌は私と一緒に暮らすことになっても、今までと変わらず「リリー」に通って来てくれていた。
家でならタダでマッサージしてあげるよ、と私が言ったら、二人きりで身体を触られたらさすがの俺もヘンな気を起こしちゃうよと断られて、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。
「そう。伊織ちゃん、あのお客様が付いてから、接客がナチュラルになったよ?」
「そう・・・ですか。」
凌の存在が私の接客態度を自然なものに変えてくれた・・・里香先輩に指摘されて私はそのことに初めて気づかされた。
凌には色んなものを貰ってばかりだ。
今日はクリスマスイブ。
凌になにかプレゼントをしてあげたい。
私は仕事を終えビルを出ると、新宿西口にある京王百貨店へ向かった。
店内にある銀色の星や紅白のステッキなどのオーナメントが飾られた大きなクリスマスツリーを見て、私は生まれて初めてクリスマスというものにワクワクした。
男性用の小物売り場があるフロアで凌が喜んでくれそうなものを探した。
そんなに手持ちのお金はないから高いモノは買えないけれど、凌の好きそうなものを選ぼうと思った。
そういえば凌は手袋を持っていない。
寒空の中、凌の手はいつも真っ赤で寒そうだ。
私は手袋の置いてあるコーナーを探し出し、散々迷った挙句、いつも凌が着ている革ジャンに似合うシンプルな黒いレザーの手袋を購入した。
手袋の入った箱に、プレゼント用の包装紙と、クリスマスカラーである深緑のリボンでラッピングしてもらった。
凌へのクリスマスプレゼントが入った紙袋を持って電車に乗ると、窓に映る幸せそうな自分の姿がぼんやりと揺れた。
誰かが待っていてくれる部屋に帰ることが、こんなにも温かな気持ちを運んでくるということを、凌と暮らして初めて知った。
凌は私にたくさんの初めてをくれる。
部屋のドアを開けると、中は真っ暗で電気が消されていた。
クリスマスの夜だし、凌はきっと友達と飲みに行ったのだろうと思った瞬間、電気がパッとついて部屋が明るくなった。
「伊織、帰るの遅いぞ。」
凌が私を玄関まで出迎えてくれた。
「ごめん。今夜はクリスマスだからお客様が多かったんだよ。」
「じゃあだいぶ稼げたんだ?」
「うん。」
「ハラ減ってんだろ?クリスマスのご馳走、用意してみた。」
「わあ!ほんとに?!」
リビングのテーブルにはチキンとチャーハン、そしてイチゴのホールケーキまであった。
「嬉しい!」
「さあ、食おうぜ。伊織、着替えてきな。」
私は急いで部屋着に着替え、テーブルの前に座った。
「いただきます!」
ふたりで両手を合わせてそう言うと、コンビニで売っているチキンを頬張った。
「うん。ジューシーで美味しい。」
「コンビニのスナックも侮れないよな。」
私と凌はチープで味の濃い、でも世界一美味しい食事を堪能した。
「ねえ。凌はサンタクロースの存在を何歳まで信じていた?」
私の問いかけに凌は少し考えてから右手の人差し指を立てた。
「え?一歳の時?」
「まさか。小学校1年の時だよ。小学生になって俺は初めて自分に父親がいることを知らされたんだ。そしてその年のクリスマスに父親と名乗る男に直接プレゼントを渡された。たしか地球儀だったかな。世界に羽ばたいて欲しいとかって言ってたと思うけど。」
「・・・・・・。」
父親のことを他人行儀に話す凌に戸惑っていると、凌は口元を少しゆがめた。
「俺の母親は妾だったんだ。母親は俺が中学1年の時に病気で死んだ。で、俺は認知されていたから父親の家に引き取られたんだけど、当然のごとく異分子扱いされて、まあ居心地は悪かったよ。だから高校を卒業したと同時に実家を出たわけ。」
「そうだったんだ。・・・ごめんね、言いにくいこと言わせちゃって。」
私が俯くと凌は明るい声を出した。
「いいさ。伊織には話そうと思ってたことだから。伊織はサンタの存在をいつまで信じてたの?」
「私?私の家にはサンタクロースが来なかったの。」
私はママから一度もクリスマスプレゼントを貰ったことがなかった。
「そっか・・・。でも今夜あたり、サンタがこの家に訪れるかもよ?」
「そうだといいね。」
私達はお互いの心の傷を塞ぎ合うように微笑みあった。
食事が終わると、凌は包丁でイチゴのホールケーキを綺麗に4等分に切った。
そしてその一切れを皿の上に乗せて、私に手渡した。
「ほい。伊織の分。」
そして私のケーキの上に砂糖菓子で作られた小さなサンタを添えた。
「ありがとう。」
私も凌のケーキの上にメリークリスマスと書かれた小さなチョコレートの板を乗せた。
フォークで刺したケーキを頬張ると、口の中で甘い生クリームとフワフワのスポンジがとろけた。
「美味しいね。」
「うん。美味い。」
私は今日このクリスマスの夜を、この先何があっても一生忘れたくない、忘れられない、と思った。
この痛いくらいの幸せを手放したくない・・・そう強く願った。
でもそれは叶えられない贅沢な願いだともわかっていた。
いつか来る凌との別れを考えると胸がキュッと絞られたように苦しくてたまらなかった。
絶望で頭がクラクラした。
夜中にベッドで眠る凌の枕元に、手袋の入ったプレゼントの箱をそっと置いた。
翌朝目が覚めると、私の枕元に赤いリボンが掛けられた紙袋が置かれていた。
中を開けてみると、カシミアのマフラーが入っていた。
綺麗なサーモンピンクのマフラーだった。
「凌・・・ありがとう。大事にするね。」
私はマフラーを抱きしめて、そうつぶやいた。
そのほとんどがアロマオイルマッサージ希望のお客様だ。
彼とのクリスマスデートに備えて身体をピカピカにしておきたいのだろう。
アロマオイルマッサージの施術が出来るセラピストはこの店で、ベテランの古田さんと里香先輩、そして私の3人だけだ。
私達3人は休む暇もなく、朝9時から夜8時までぶっ続けで働いた。
アロマオイルマッサージの最後のお客様が店から出ると、店内はそれまでの混雑が嘘のような静けさに包まれた。
「あ~。もうしばらくアロマやりたくない。」
里香先輩は乱れたアロマ室のベッドを直しながら、大きく息を吐いた。
「ふふっ。そうですね。」
私もオイルで汚れたタオルを片付けながら頷いた。
「伊織ちゃん、最近なんか変わったね。」
里香先輩にそう指摘され、私は首をかしげた。
「え?どの辺がですか?」
「ちょっと前まで、伊織ちゃんの話し方、どこか無理してるように聞こえてたんだよね。」
「・・・もしかして私、痛かったですか?」
「ううん。客商売なんだから明るく元気で全然いいんだよ。でもスタッフの私達にもそのカンジで接してるから、そんなに頑張らなくてもいいのになあって思ってた。」
「すみません。自分では全然わからなかったです。」
「ううん。謝らなくてもいいんだよ。むしろ最近の伊織ちゃんは肩の力が抜けてきたみたいで、良い方向に変わってきたなって褒めたかったの!あ、褒めるってなんか上から目線でゴメンね。」
「いえ。あ、ありがとうございます。」
ベッドメイクが終わり、アロマ室を出ようとする里香先輩の背中に私は頭を下げた。
「もしかしてあのお客様のお陰かな?」
里香先輩はそう言って振り向くと、意味深な笑みを浮かべた。
「あのお客様?」
「毎週金曜日に桜コースで伊織ちゃんを指名する、若い男のお客様がいるじゃない。」
「あ・・・りょ・・・影山さん、ですか?」
凌は私と一緒に暮らすことになっても、今までと変わらず「リリー」に通って来てくれていた。
家でならタダでマッサージしてあげるよ、と私が言ったら、二人きりで身体を触られたらさすがの俺もヘンな気を起こしちゃうよと断られて、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。
「そう。伊織ちゃん、あのお客様が付いてから、接客がナチュラルになったよ?」
「そう・・・ですか。」
凌の存在が私の接客態度を自然なものに変えてくれた・・・里香先輩に指摘されて私はそのことに初めて気づかされた。
凌には色んなものを貰ってばかりだ。
今日はクリスマスイブ。
凌になにかプレゼントをしてあげたい。
私は仕事を終えビルを出ると、新宿西口にある京王百貨店へ向かった。
店内にある銀色の星や紅白のステッキなどのオーナメントが飾られた大きなクリスマスツリーを見て、私は生まれて初めてクリスマスというものにワクワクした。
男性用の小物売り場があるフロアで凌が喜んでくれそうなものを探した。
そんなに手持ちのお金はないから高いモノは買えないけれど、凌の好きそうなものを選ぼうと思った。
そういえば凌は手袋を持っていない。
寒空の中、凌の手はいつも真っ赤で寒そうだ。
私は手袋の置いてあるコーナーを探し出し、散々迷った挙句、いつも凌が着ている革ジャンに似合うシンプルな黒いレザーの手袋を購入した。
手袋の入った箱に、プレゼント用の包装紙と、クリスマスカラーである深緑のリボンでラッピングしてもらった。
凌へのクリスマスプレゼントが入った紙袋を持って電車に乗ると、窓に映る幸せそうな自分の姿がぼんやりと揺れた。
誰かが待っていてくれる部屋に帰ることが、こんなにも温かな気持ちを運んでくるということを、凌と暮らして初めて知った。
凌は私にたくさんの初めてをくれる。
部屋のドアを開けると、中は真っ暗で電気が消されていた。
クリスマスの夜だし、凌はきっと友達と飲みに行ったのだろうと思った瞬間、電気がパッとついて部屋が明るくなった。
「伊織、帰るの遅いぞ。」
凌が私を玄関まで出迎えてくれた。
「ごめん。今夜はクリスマスだからお客様が多かったんだよ。」
「じゃあだいぶ稼げたんだ?」
「うん。」
「ハラ減ってんだろ?クリスマスのご馳走、用意してみた。」
「わあ!ほんとに?!」
リビングのテーブルにはチキンとチャーハン、そしてイチゴのホールケーキまであった。
「嬉しい!」
「さあ、食おうぜ。伊織、着替えてきな。」
私は急いで部屋着に着替え、テーブルの前に座った。
「いただきます!」
ふたりで両手を合わせてそう言うと、コンビニで売っているチキンを頬張った。
「うん。ジューシーで美味しい。」
「コンビニのスナックも侮れないよな。」
私と凌はチープで味の濃い、でも世界一美味しい食事を堪能した。
「ねえ。凌はサンタクロースの存在を何歳まで信じていた?」
私の問いかけに凌は少し考えてから右手の人差し指を立てた。
「え?一歳の時?」
「まさか。小学校1年の時だよ。小学生になって俺は初めて自分に父親がいることを知らされたんだ。そしてその年のクリスマスに父親と名乗る男に直接プレゼントを渡された。たしか地球儀だったかな。世界に羽ばたいて欲しいとかって言ってたと思うけど。」
「・・・・・・。」
父親のことを他人行儀に話す凌に戸惑っていると、凌は口元を少しゆがめた。
「俺の母親は妾だったんだ。母親は俺が中学1年の時に病気で死んだ。で、俺は認知されていたから父親の家に引き取られたんだけど、当然のごとく異分子扱いされて、まあ居心地は悪かったよ。だから高校を卒業したと同時に実家を出たわけ。」
「そうだったんだ。・・・ごめんね、言いにくいこと言わせちゃって。」
私が俯くと凌は明るい声を出した。
「いいさ。伊織には話そうと思ってたことだから。伊織はサンタの存在をいつまで信じてたの?」
「私?私の家にはサンタクロースが来なかったの。」
私はママから一度もクリスマスプレゼントを貰ったことがなかった。
「そっか・・・。でも今夜あたり、サンタがこの家に訪れるかもよ?」
「そうだといいね。」
私達はお互いの心の傷を塞ぎ合うように微笑みあった。
食事が終わると、凌は包丁でイチゴのホールケーキを綺麗に4等分に切った。
そしてその一切れを皿の上に乗せて、私に手渡した。
「ほい。伊織の分。」
そして私のケーキの上に砂糖菓子で作られた小さなサンタを添えた。
「ありがとう。」
私も凌のケーキの上にメリークリスマスと書かれた小さなチョコレートの板を乗せた。
フォークで刺したケーキを頬張ると、口の中で甘い生クリームとフワフワのスポンジがとろけた。
「美味しいね。」
「うん。美味い。」
私は今日このクリスマスの夜を、この先何があっても一生忘れたくない、忘れられない、と思った。
この痛いくらいの幸せを手放したくない・・・そう強く願った。
でもそれは叶えられない贅沢な願いだともわかっていた。
いつか来る凌との別れを考えると胸がキュッと絞られたように苦しくてたまらなかった。
絶望で頭がクラクラした。
夜中にベッドで眠る凌の枕元に、手袋の入ったプレゼントの箱をそっと置いた。
翌朝目が覚めると、私の枕元に赤いリボンが掛けられた紙袋が置かれていた。
中を開けてみると、カシミアのマフラーが入っていた。
綺麗なサーモンピンクのマフラーだった。
「凌・・・ありがとう。大事にするね。」
私はマフラーを抱きしめて、そうつぶやいた。