契約夫婦なのに、スパダリ御曹司は至極の愛を注ぎ続ける
パン、と乾いた音が聞こえた途端、頬にビリビリとした痛みが広がっていく。
これまで、無視されたり怒鳴られたりはしたものの、直接的な暴力はなかったので驚いた。
首と顔がちぎれてないだろうか。そう思うほどの衝撃で、母親が本気で私を叩いたのがわかった。
呆然としたまま頬に手を当て、ゆっくりと視線を戻すと、まさに鬼の形相がそこにあった。
「うるさいのよ! 大体ね、生まれてこなければよかったなんてこと、何度私があなたに対して思ったことか……。私の方がよっぽどあなたが消えればいいと思ってるの! それでもここに置いてやるって言ってるんだから、あなたはただ黙って私に従って一生不幸に泣いて過ごせばいいのよ。それでも、父親と不倫相手の罪滅ぼしにはまだ足りないけどね!」
母親は、怒鳴りながら嫌味に笑っていた。
まるでなにかに取りつかれているんじゃないかと思うような態度に動揺から視線がグラッと揺れながらも、なんとか保ち、時計に目をやる。
もうすぐ三十分が経つ。夏美さんが来るまでに……どうにか、場が収めなくちゃ。
でも、どうやって……?
たった一度頬を叩かれただけで、恐怖に支配され何も考えられなくなっていた。
夏美さんが来る前に母親をそれなりに落ち着かせないと、と朝からずっと自分自身に命じていた使命が、さらさらと砂のように流れて消えていくと同時に、体から血の気が引く感覚に襲われた。
打たれた頬が熱を持ち、じんじんとした痛みが広がり体中を支配していく。
これまでの、母親の冷たい眼差しだとか、私を否定する言葉の数々だとか、存在すら無視された生活だとか、色々なものが走馬灯のように私全部を覆っていき、呼吸がうまくできなくなる。