契約夫婦なのに、スパダリ御曹司は至極の愛を注ぎ続ける
「柚希の怪我については、これから病院に行って診断書をもらってから警察で被害届を出します」
診断書だとか被害届という単語に、母親は「……は?」と声を漏らしていた。
私も悠介の言っている意味がよくわからず、その横顔を見つめる。
「当然だと思いますが。大事な妻が心身ともに傷つけられたわけですから、警察に届け出ます。ああ、可愛くて仕方のないご子息の母親が前科者となることを心配されていますか? それとも旅館の女将の立場として、今後の影響を考え後悔していらっしゃるのでしょうか。……まぁでも、自業自得ですよ」
悠介が淡々と告げると、母親は動揺から瞳を揺らす。
母親が誰かに対してこんなふうに弱気になるところを見るのは初めてだった。
「あの、警察だけは、どうか……」
兄と旅館。どちらを心配したのかはわからないけれど、母親が弱弱しい声を出す。
悠介はそれを恐ろしいほど冷静な目で見たあと、私に視線を移した。
「柚希はどうしたい?」
私にそう問う瞳には心配の色が窺えた。
よかった、私の知っている悠介だ、とホッとしてひとつ息をつく。
そうだ。きちんと決着をつけないとダメだ。
両手の拳をギュッと握り締め、顔を上げた。
「私に今後かかわらないと約束してくれるなら、病院にも警察にも行きません。完全な絶縁が条件です」
私が欲しいのは、永久的なしっかりとした縁切りと安心だ。
夏美さんとも最終的にそこに納得してサインがもらえるよう、ネグレクトだとか脅迫だとか母親の後ろめたい部分を責めてうまく話を進めようという計画でいた。
そう考えると、母親が私を叩いたことでこれ以上ない弱みを手に入れられたのかもしれない。
でも……さっき、悠介が来てくれるまでの感情を思い出すだけで体の芯まで恐怖に飲み込まれそうになり指先が震え出すので、本当に結果的には、というだけだ。
急に心細くなり悠介のスーツの裾を掴む。
そんな私に気付いた彼は、私の背中を撫で「大丈夫か?」と声をかけたあと、腰を下ろすように言った。
そして私を座らせると、未だ目を伏せ口元を歪ませたままの母親に、鞄の中から取り出した二枚の紙を差し出す。