契約結婚のはずなのに、予定外の懐妊をしたら極甘に執着されました~強引な鉄道王は身ごもり妻を溺愛する~
 いや、違う。だれかがグラスを取り上げたのだ。
 頭の上から低い声が降ってくる。

「落ち着け。カメラは大丈夫だから」
「カメラ?」

 声の方角を見上げると、そこにはカジュアルなテーラードジャケットを着た若い男性がいた。
 若いといっても、わたしよりは年上だろう。三十歳前後に見える。
 わたしも身長百六十二センチで、女性にしてはまあまあ背が高いけれど、その男性はずいぶん長身だった。
 そして、なによりも顔がいい。芸能人だろうか。
 さらりと艶のある黒髪は清潔に整えられており、涼しげな目もとにクールな表情。〝氷の美貌〟とでも呼びたくなる美形だ。

「グラス、ありがとうございました」

 お辞儀をしてから、慌ててバッグに駆け寄った。見た目より重いバッグを拾って、そっと埃を払う。

「本当に申し訳ありません。これ、あなたのバッグでした?」
「ああ」

 バッグを男性に差し出して、代わりにフルートグラスを受け取る。

「中身は本格的なカメラなのかな。精密機器ですよね? 修理が必要でしたら弁償します」

『あきつ島』の旅行代金のうえに、さらに痛い出費が重なってしまった。
 でも、しょうがない。当て逃げみたいなことはできないもの。
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