この胸が痛むのは
馬鹿な話だと、現実を見ろと、口に出さずに。
丁寧な言葉遣いで断るのは簡単だったのに、彼にはそれが出来なかった。
旦那様や若様の、貴女様へのお気遣いがおわかりにならないのかと詰りたいのに。
口から出たのは『畏まりました』の返事だった。


確かにお嬢様は『これを最後にするから』と、
仰せになっていたのです。
生まれた時から、大切に大切に皆で守ってきた
お嬢様から、この年になって頼られるとは……
年老いた自分にとっては最後の誉れだと、思いました。


彼の息子もこの邸に仕えていた。
今では自分よりも判断が早いので、使用人達も
息子に先に話を通す様になりつつある。
この事が後になって、旦那様や若様に知られて
叱責されても。
自分の退き時が早まるだけ。

悔いはないです、如何様にも処罰を。
ゲイルの打ち明け話はそこで終わった。


「あれを想っての、事だと理解している。
 お前に罰は与えない、最後の誉れなどと二度と言うな。
 引退すると、勝手に息子にも言うなよ?
 この部屋に入れるのはお前だけだ。
 引退はまださせん」


侯爵は、この年老いた忠義者を手放すつもりは
ない。
家令は右手を胸に当て、深々と礼をして執務室
から出ていった。

アグネスには当日、何の理由にしようか考える。

家令と入れ替わって現れた俺に、君は何を言うのだろうか?
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