さよならしたはずが、極上御曹司はウブな幼馴染を赤ちゃんごと切愛で満たす
もうちょっと貯金できたら、乾燥機付きの洗濯機を買いたい。もっと稼げるようになったら暑さや寒さを凌いで送り迎えできるように車を買いたい。欲望は尽きない。
「まぁまー!」
まだ 一歳を過ぎたばかりの幼い我が子に甘えられ、光莉(ひかり)は愛情を込めて抱きしめ返した。
もうすぐ保育園に預けられるということを肌で感じているのだ。
無垢な瞳に見つめられると、罪悪感にも似た感情がせり上がってきて、胸が締めつけられる。我が子を抱きしめる腕に知らずに力がこもった。
この子がいれば他には何も望まない。この子を必ず幸せにすると誓った。そのためだったらなんでも頑張れる。
「あーくん、大好きだよ」
けれど――。
不意に我が子にあの人の面影を見つけては胸が詰まった。
今頃、彼はどうしているのだろう。恋しさと寂しさが急に胸に広がっていく。
会いたい、会いたい、会えない……。
彼は事実を知らないのだ。会えるはずがない。それなのに。
考えてはいけないと思っていても、日に日に彼に似てくる我が子を見ていれば、忘れられるはずがなかった。
◇1 思いがけない再会と脱げてしまった靴
九月も半ばを過ぎ、むせるような金木犀の香りがどこからともなく漂ってくると、山谷(やまたに)光莉(ひかり)はむしょうに人恋しくなるような心地に囚われた。
まるで世界を一新するかのように、残暑の熱がゆっくりと引いていき、あとひと月もすれば湿度を孕んだ瑞々しい空気はやがて凛とした清々しいものに変わる。まわりの景色はだんだんと油彩画のように色を重ねづけされていく。
石川県金沢市にある老舗食品メーカー『山谷食品』の試食室。
スーツの上から作業着に腕を通して、胸元まで伸びた栗色の髪をひとつに束ねると、光莉は手袋をつけた手で試食用の新作のさつまいもレーズンバターサンドを 摘まみ、さっそく大きく口を開く。猫のように円らな目をぱちくりと輝かせ、舌に広がる甘味に思わず頬を綻ばせた。
「光莉ちゃんは、よう食べるお嬢さんやね。ひょっとしてそれが美人の秘訣なんやろうか?」
工場の従業員、三津早苗に茶化され、光莉は笑顔を返事代わりにする。
「美人かどうかはわからないけど、食べるのが仕事だもの」
そう。色気よりも食い気なのね、と誰かに笑われようと、これは光莉にとって一種の職業病なのだから致し方ないのだ。
「まぁまー!」
まだ 一歳を過ぎたばかりの幼い我が子に甘えられ、光莉(ひかり)は愛情を込めて抱きしめ返した。
もうすぐ保育園に預けられるということを肌で感じているのだ。
無垢な瞳に見つめられると、罪悪感にも似た感情がせり上がってきて、胸が締めつけられる。我が子を抱きしめる腕に知らずに力がこもった。
この子がいれば他には何も望まない。この子を必ず幸せにすると誓った。そのためだったらなんでも頑張れる。
「あーくん、大好きだよ」
けれど――。
不意に我が子にあの人の面影を見つけては胸が詰まった。
今頃、彼はどうしているのだろう。恋しさと寂しさが急に胸に広がっていく。
会いたい、会いたい、会えない……。
彼は事実を知らないのだ。会えるはずがない。それなのに。
考えてはいけないと思っていても、日に日に彼に似てくる我が子を見ていれば、忘れられるはずがなかった。
◇1 思いがけない再会と脱げてしまった靴
九月も半ばを過ぎ、むせるような金木犀の香りがどこからともなく漂ってくると、山谷(やまたに)光莉(ひかり)はむしょうに人恋しくなるような心地に囚われた。
まるで世界を一新するかのように、残暑の熱がゆっくりと引いていき、あとひと月もすれば湿度を孕んだ瑞々しい空気はやがて凛とした清々しいものに変わる。まわりの景色はだんだんと油彩画のように色を重ねづけされていく。
石川県金沢市にある老舗食品メーカー『山谷食品』の試食室。
スーツの上から作業着に腕を通して、胸元まで伸びた栗色の髪をひとつに束ねると、光莉は手袋をつけた手で試食用の新作のさつまいもレーズンバターサンドを 摘まみ、さっそく大きく口を開く。猫のように円らな目をぱちくりと輝かせ、舌に広がる甘味に思わず頬を綻ばせた。
「光莉ちゃんは、よう食べるお嬢さんやね。ひょっとしてそれが美人の秘訣なんやろうか?」
工場の従業員、三津早苗に茶化され、光莉は笑顔を返事代わりにする。
「美人かどうかはわからないけど、食べるのが仕事だもの」
そう。色気よりも食い気なのね、と誰かに笑われようと、これは光莉にとって一種の職業病なのだから致し方ないのだ。