孤毒の月
003.満月の力
保健教師の白石先生は、本当に約束を守ってくれて
僕が打ち明けた告白を誰にも言わないでくれた。
相変わらず家庭での陰湿な精神的暴力や肉体的暴力は
続いていたけど、事情を理解してくれる味方が出来たおかげか
心強かった。
白石先生は頻繁に僕の事を気にかけてくれて、
何もなくても教室まで様子を見に来てくれたり
僕が得意な体育の授業も見にくるようになった。
『日向すごいね!バスケのシュートカッコよかったよ!』
バスケの授業が終わり
保健室へ行くと白石先生が褒めてくれた。
嬉しくなって照れていると、
佐藤と小川と真内が駆け寄ってきて
『俺たちも頑張ってたじゃーん!
日向だけ誉められてズリー!!!』
『白石先生のこと独占してんなよー!!』
と、僕を茶化してきた。
「は…?!ど…独占なんてしてねーし!!」
僕は恥ずかしくて、多分、顔は真っ赤だったと思う。
そんな僕らの様子を見ていた白石先生は
楽しそうに笑っていた。
『やべっ!!トイレ!!!』
尿意を催した小川が叫ぶと『俺も!』と言って
佐藤と真内も、まるで金魚の糞みたいに
小川の後ろを追いかけて出て行った。
「ごめんね先生、騒がしくて…」
『元気な証拠だよ』
そう言って白石先生は微笑んだ。
その瞬間、開けていた窓から
やんわりと風が入り込んできて
白石先生の長い髪を靡いた。
上手く言い表せないけど
その時の僕は、
”この人は、風に吹かれて消えてしまう”
瞬きをした瞬間に先生が消えてしまうんじゃないかと思った僕は
瞬きするのが勿体なく感じて
淡くて儚い、そんな綺麗な存在から目が離せなかった。
『大丈夫?』
急に先生に話しかけられ、僕はハッと正気に戻された。
「あっ…いや、うん…僕もう行くね先生!」
よくわからない感情。
恥ずかしさと焦りで、その場に居れなかった。
保健室を出た僕は
訳もわからず早くなっている鼓動を誤魔化すために
自分の教室まで全力で走った。
『コラぁぁぁぁ!!!!廊下を走るなぁぁぁ!!!』
後ろから男性教師の怒鳴り声が聞こえたが
そんな事はお構いなしに、全力疾走した。
きっとそれが、
小6にまで成長した僕の
叶うはずもない、初恋だったんだと思う。
家に帰ると、それは現実に引き戻された。
6年生になっても家の中の状況はあまり変わってはいなかった。
一個上の凛は、中学生になり
小学校で顔を合わせる事はなくなったけど
家に帰ると当たり前に顔を合わせなきゃならなかった。
継母の陰湿な暴力は続いていたが、
凛は無視してくるなど
僕を存在しないかの様に扱うだけで
目立って何かをして来るということは減っていた。
その日の夜、父親の帰りが遅くて
それもあってか、継母はやりたい放題だった。
相変わらず用意されない自分のご飯。
ある程度成長した僕は、
”今日は食べなくていいや”なんて諦める日もあった。
食卓を離れて、自分の部屋に行こうと立ち上がると
テーブルの上に何かを置かれた。
その置かれた物に視線を向けると、
そこにはシンクの三角コーナーから
取り出したであろう、残飯が入った皿が置かれていた。
さらに、それに麦茶をかけられた。
それを食えと言うように
継母は薄ら笑いを浮かべながら僕を見てきた。
その様子を見た凛は、
『は?汚ねんだけど』と僕に吐き捨てて
流石に不快な様子で苛立ちながら
自分の部屋へ戻っていった。
何も食べないよりマシだと思った僕は
再び席に座り、その残飯を口に運んだ。
もちろん美味しい訳がなくて
何度も吐き出しそうになった。
けど、きっと吐いたら吐いたで殴られるのもわかっていたから
なるべく見ずに、丸呑みして胃に流し込んだ。
『豚の餌よりひどいな』
継母は気持ち悪いものを見るかのように
僕に吐き捨てた。
なんとか食べ終えて、食器をキッチンに持って行くと
継母は帰ってくる父親のための晩御飯を作ってる最中だった。
魚の煮付けだったと思う。
僕は美味しそうな香りに我慢できずに
継母がいないのを見計らって
父の晩御飯を指でつまみ食いした。
継母は性格に難はありすぎたけど
料理の味はちゃんと美味しかった。
さっきの残飯の嫌な味は消えて、
口の中に美味しい煮付けの味が広がった。
ーーーーーーーーーガシャンッ!!!
背後からとんでもない音が聞こえて
びっくりして振り返ると、
そこにはすごい形相をして
料理を運ぶトレーを落とした継母が立っていた。
つまみ食いをしたのが見られたのか、
トレーを拾った継母が向かってきて
その持っているトレーで僕に殴りかかって来た。
「ごめんなさいっ…」
謝りながら慌てて顔や頭をガードしたけど
間に合わず、トレーの角張った角が頭に当たり
僕は床に倒れた。
継母は怒り狂って何か叫びながら
床に倒れた僕の腹や顔を蹴ってきた。
すると自宅の電話が鳴り、
コロッと態度を変えた継母が
猫なで声で電話に出た。
痛みに耐えながら、床に倒れた僕は
その様子を見ていた。
その態度の変わりようが
毎回、面白かった。
電話の相手はどうやら近所の人みたいで
会話の内容を聞く限り
何かを渡すから取りに来いと
言っているみたいだった。
電話を切った継母は、身につけていたエプロンを外し
『物置で立ってろ!!!!』
と僕に叫んで、最後にひと蹴り、浴びせてきた。
そして、継母はコンロの火を止めて
近所の家へ行った。
玄関の扉がバタんっと閉まった。
僕はゆっくり身体を起こすと
全身痛かった。
起き上がった瞬間、
頭から何かが顔に流れてきた。
手で触って確認すると
血だった。
トレーで殴られた部分が
ズキズキした。
初めて大量の血を見たけど
僕はそれを見ても意外と冷静だった。
すると、部屋から凛が出てきて
頭から血を流す僕と見て動きが止まった。
「……笑たきゃ笑え…」
僕は立ち上がり流れでる血を
ティッシュで押さえながら
凛に言った。
こいつは継母が居ないと
僕に口喧嘩も勝てない雑魚だった。
僕は6年生になるまでには、
継母が居ない時は、こいつに口喧嘩で
勝つくらいの語彙力を身につけていた。
そして、言い負かされると
継母にチクっては僕が怒られるという
こずるい手口を使ってきた。
親子揃って卑怯な奴らだ。
すると凛は、ティッシュの箱を掴んで向かって来た。
また殴られると思い、僕は反射的に目を瞑った。
だけど一向に殴られなくて目を開くと
ティッシュを何枚か取って
血が流れる僕の頭の傷を押さえてきた。
僕は、その行動が理解できず立ち尽くしていた。
頭から血を流してて流石にビビったんだろう。
こいつは、そんな小心者のくせに
普段、女王みたいに偉そうにしてて継母から
チヤホヤされていてムカついていた。
「触るな」
そう言って僕は、凛の腕をふり払って
頭を押さえながら継母の言われた通り
家の隣にある物置へ向かった。
外はもう暗くなっていたけど
父親はまだ帰ってこなかった。
物置にある椅子に座り
頭を押さえてじっとしていた。
もちろんライトなども無いから
中は暗く、
たまたま満月で、月明かりがほんの少しだけ
物置内を照らしてくれていた。
もう何度も同じ事をされたのもあって
その暗さにも慣れて、怖くはなかった。
ーーーーーーーーーーバタんっ
家の玄関の閉まる音が聞こえた。
足音が近づいてきて
物置の扉が開いた。
月明かりに照らされた凛が立っていた。
今度はなんの用だと思いながら
凛を見てると
ポケットから何かを取り出して
渡してきた。
『…お母さんに言ったらダメだよ』
そう言い残し、再び家の中へと戻って行った。
ティッシュで巾着型に包まれたそれを開いてみた。
月明かりで確認すると
そこには普段、凛が食べているお菓子が
何個か包まれていた。
それを見た僕は、一個口に入れた。
口にはそのお菓子の味が広がって
同時にボロボロと涙が出てきた。
凛のその行動の理由はわからなかったけど
初めて優しくされた事だけは理解できて
物置の中で月明かりの下、
僕は大号泣した。
.