もう一度あなたに恋したときの処方箋



現在の私は、総合商社『SKホールディングス』のシステム管理部で働いている。
まずまず大企業だし、社員の待遇もいい。
入社して四年、二十六歳になって収入もグンと増えた。

大学一年生の夏から、私の人生は180度変わった。
子どもの頃から家庭では色々あったけど、あれほど精神的にダメージを受けるような経験はなかった。
あの事件のあと、私はお姉ちゃんの住むスペインに行くことにした。夏休みの間、日本から逃げたのだ。

私とお姉ちゃんは父親の違う姉妹で、十歳も離れている。
だけど、とってもなかよしだ。

私たち姉妹の母親は、若い頃は『恋多き女』と呼ばれていたそうだ。
お姉ちゃんのお父さんとは学生結婚で、子供が出来たのに価値観の違いとかであっさり離婚。

私の父親は IT関連の起業家だったが、当時は無名でお金もなく母は苦労したらしい。
だから私が五歳の時、話し合いで円満離婚。

今、母は北海道の牧場主との三度目の結婚生活を満喫している。
子供の頃に憧れていた『アルプスの少女ハイジ』のような暮らしを今の旦那さまは与えてくれるんだそうだ。

母は自分の思うがまま自由奔放に生きているけど、そのしわ寄せは私たち姉妹が被った。
結婚と出産と離婚を繰り返し、育児放棄した母に変わって祖母に育てられることになったのだ。

祖母は地方では老舗の造り酒屋の女主人で厳しい人だった。
言葉使いから礼儀作法まで躾けられて、母のようになるなと言われ続けたのだ。
老舗にふさわしい娘に育てようと祖母は私たちを旧家のしきたりで縛りつけた。
使用人たちは祖母の言いなりだったから私生活まで監視されてしまった。

そんな毎日だったから、高校生だったお姉ちゃんはグレた。
祖母に反発して、インテリアを学ぶため東京の専門学校に進学した。
卒業と同時に本物のガウディ建築を見てみたいとスペインに渡り、なんとあちらで恋に落ちて結婚してしまったのだ。

狭い町だから親子二代の大恋愛は面白おかしく噂されたし、中には誹謗中傷もあった。
『恋多き女』はまだしも、『奔放』で『淫乱な血筋』とまで言われたのだ。

私は、小・中・高校と息を潜めて暮らした。
お母さんやお姉ちゃんのように世間で噂されたり、祖母の機嫌を損ねたりしないことばかり考えていた。
分厚い殻を被って『お勉強のできるいい子』を演じ続けたのだ。


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