壊れるほどに愛さないで
「あぁ、脳死判定を受けて……悩んだ末、母の事もあったからね、臓器提供に踏み切ったんだ。執刀医は、僕……」

全身に鳥肌がたつ。思考が一瞬停止する。

「え……でも……身内の執刀は……」

野田医師は、黒眼鏡をくいと上げると、寂しそうに笑った。

「両親が、離婚しててね、すこし複雑なんだ……。橘院長のご配慮のお陰でね……手術も無事成功して、妹の心臓は、その人の中で今も生きている。その人の中で、その人と一緒に人生を共にしている。僕は、そう思ってる。それに顔も性格も違うのに、なんだか似ててね。背格好や、瞳の形とか……だから、ちょっと他の患者さんよりも気にかけてしまって……ご本人には言えないけれど、妹を、見てるみたいでね」 

俺は、震える声で、なんとか言葉を紡ぐ。

「失礼、ですが……野田先生の妹さんのお名前……お伺い……しても宜しいでしょうか?大学の友達にすごく似てて……」

野田医師が、俺と視線を合わせた。

「待野君、大学どこ?」

「松原……大学です。30期生になります」

野田医師の見開かれた瞳ですぐに分かった。

今から、野田医師から俺に伝えられる、写真の中の妹の名前は……。

「美野里だよ。母親の旧姓を名乗っていたから、秋宮美野里。君と同級生だね、驚いた」

俺は、水が一瞬で氷になるように、呼吸も時も止まったのを感じた。
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