壊れるほどに愛さないで
ようやく眠った美織の目尻は、赤く(ただ)れて腫れている。僕は、そっと指先で美織の唇に触れた。美織の唇の端は、僅かに切れて、まだ血が滲んでいる。  

「美織、ごめん……」

泣かせたくなかった。
悲しませたくなかった。
怖がらせたくなかった。

美野里の心臓のことなど、知らずに、ただ、僕の隣で笑っていて欲しかったんだ。

美織の静かな寝息を聞くのは、いつぶりだろうか。僕は、美織の長い栗色の髪をゆっくり漉いていく。 

「あの男……一体」

今の美織には、深く聞くのは心の負担が大きいと思い、聞かなかったが、美織を拉致しようとしていた、あの男……証拠は、何一つないが、美野里を殺した犯人と同一人物なんじゃないだろうか?そうじゃないと、あえて美織を狙ってストーカーする理由が、僕には思い浮かばない。

そして、仮にそうであるとしたならば、あの男は、美野里の心臓移植の件を知っている人物という事になる。ただ、移植の事を知っている人物など、限られている。あの待野雪斗すら知らない情報なのだから。
 
「誰なんだ……?」

少なくとも、僕と付き合っていた三年、こんな事は、なかった。美織が、待野雪斗と出会ってから、ストーカー行為が始まったと考えると、やはり、あの男は、何らかしら、美野里と待野雪斗を知っている可能性が高い。

僕は、顎に拳を当てて、美織を襲った男の事をもう一度、頭に浮かべながら、よく振り返る。

「そう言えば……あんな男?って言ってたか?」

美織が、襲われているのを遠くから見かけた僕は、慌てて駆け寄った際、男が美織に、そう言っていたことを思い出す。

少なくとも、僕をみて、過剰な反応をしなかった所をみると、あの男の言ってる『あんな男』は、僕じゃない。となると、『あんな男』は、待野雪斗の事じゃないだろうか。そう考えると、やはり僕の仮説の辻褄は合ってくる。

「ただ、背格好じゃ分からないな……」

男は、パーカーの黒いフードを深く被り、黒サングラスに黒いマスクをしていて顔は分からない。声もヘリウムガスで変えられていた。  

(美織への異常な執着心……)

「ん?……」 

僕は、顎にあてていた拳を離す。


ーーーーブーッブーッ

隣の部屋から、小さなバイブ音が聞こえてくる。

僕は、美織を起こさないように起き上がると、美織の鞄からスマホを取り出し、液晶画面を確認すると、僕は、すぐにスワイプした。
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