猫と髭と冬の綿毛と
「彼は若くて何も知らないの……、本当にごめん……」
場都の悪さに彼女だけが俯き、掴まれた手を外しながら、どうにか再度の謝罪を吐き出す。
「済みませんでした……。今日は、これで帰ります」
それでも手首の熱は離れず、彼女の言葉が脳裏で木霊する。
彼を護りながら此方まで庇い、許しを請う姿に、思わず固い拳を作った。
残された四日間が過ぎれば、海外へ帰って忘れることが出来る。
タクシーの窓から覗いた流れ去る景色が、瞬く合間に滲んで映っていた。
漸くホテルへ戻ると、終日の作業に取り掛かる気力もなく、ベッドの縁に腰を預けて、煙草を口にしたまま、ただ、動作を繰り返す。
時間の流れが異常に遅く感じて、備え付けられたデジタル表示の点滅が、止めたようにも見える。
酒でも呷るか、と財布をポケットに入れ、煙草に手を掛けたところで携帯が鳴り響く。
表示を見ながら静かにテーブルの上へ置き、無視する形で勝手に足が進み出す。
たった、一瞬で捉えた名前に、自分でも分かるほど、爪先が震えていた。
先程の件と今の状態では、出る気にもなれず、赴くままにエレベーターに乗り、地下の飲み屋へと向かい始める。
店へ入ると、黒服の店員に銘柄から細かく注文を告げ、席に腰を掛けたあと、煙草に火を点けて深く吐き出す。
今にも眠れそうなほどに疲労は有るが、何も考えずに飲みたい気分だった。
自分よりも年代が離れたジャズに耳を傾け、ゆっくりとバーボンを口に含んで、静かに飲み込む。
久しぶりの音楽と酒が荒れた心を穏やかにしてゆく。
僅かな残りを一気に飲み、札を置いてから、店舗を抜け出す。
また、こうした時間を作るか、と浸りながら、部屋へと向かった。