猫と髭と冬の綿毛と
裾が解れて膝に穴が開きそうなネイビーブルーのジーンズに足を滑らせ、無地のシャツから灰色のパーカーに袖を通し、更に黒い綿のジャケットを重ねる。
フードを目深に被りながら、銀縁の眼鏡を掛け、現場の忙しさに紛れて、望遠レンズを覗き込む。
どこから見ても潜む影は、さながらスパイ、と言ったところか。
もしも、自分が報道関係者ならば、目の前の光景は大スクープだが、現実は世間からも公認された二人だ。
今日も"お似合いの恋人同士"が、幸せそうにセットの中で戯れる。
彼の話に耳を寄せて大笑いする人、ふざけてギターを持つ彼女に背後から教える人。
重なる狭間で光る揃いの指輪を捉えた途端に、酷い嫉妬が溢れてきた。
あの時、見てたようで、知らない表情が増え続ける。
最早、辛いと言うより、感情は完全に攫われ、立たされた状況が台本のように過ぎてゆく。
休憩に入る大勢の関係者や二人を、現場の片隅で佇み、壁際へ背を預けて眺める。
近頃は禁煙が流行り出したせいで、煙草を吸うのも間々ならず、手持ち無沙汰と口寂しさから彼女に目線を向けた。
ただ、飴を口にする姿に、空港での出来事を想像し、唾を飲み込んで掻き消す。
「あの、これ、咲山さんからです」
不意に現れた名も知らない若い女性が、此方に五本程の棒付き飴を差し出し、碌に返事もしないまま受け取ると、窘めるような声が飛ぶ。
「あとで、ちゃんとお礼してくださいね」
見学者だと思い込む様子に、愛想笑いで包み紙を剥き、飴を口内で溶かしながら残りをポケットに詰め、再び彼女を捉える。
次第に広がる甘みの中で、少し苦さを混ぜた味は、彼女の好みが変わったことを知らせた。
ふと、目線の先から彼女が此方へ向いた瞬間に、額を指して手の平で擦り、直ぐに離して息を吹きかける真似で笑い掛けてくる。
それは、子どもにする"おまじない"の一種で、何を返せば良いのか狼狽え、視点が迷子のように、どこかを探していた。