陰黒のプシュケ
キョウグウの共有
キョウグウの共有
赤川ヒロキと越沢ミワ…。
この二人の男女も、ノブトとユキノ同様、すでに肉体関係に至っていた。
ヒロキのこれまで生きてきた20数年の人生は、それこそ周囲から軽視され続けた毎日に凝縮されていた。
”いじめられる”とは微妙に毛色を異とした、いじり、利便回しの固定キャラクターを突き付けられるという日常…。
彼は物心ついた小学校低学年の頃より、常に周囲からその理不尽なルーティーンを受け入れるしかなかった。
それは社会人になっても…。
彼はこれまで、一つの職場を約1年で退職するという経緯を3度繰り返していた。
その結果、彼は…、人間というものは二人だけなら”その正体”は現わすことはなく、”いい仲”を保てても、それが3人以上のソーシャル空間ができた瞬間、”それまでの味方”は自身のセーフティーゾーンを確保するために弱者のキープを決して怠らない、マジョリティー側に身を翻していると…。
”グローバルな現代を生きるニンゲンってのは、結局は自己保身のためなら、手のひら返しなんて平気な、醜いあさましい生き物だ。オレのことを軽んじていいように駒回ししてきやがって!でもだ…、仮に二人きりで何かをやり遂げなきゃって局面になれば、途端に気色悪い愛想笑いを浮かべ、器用に何食わぬ顔でナカマヅラ・同志顔だ。カメレオンも真っ青だって!反吐が出るって!”
”絶望と怒り”…。
この相互感情に赤川ヒロキはすっぽり占拠された。
世間一般からすれば、彼などは前途光り輝く若者に他ならない。
だが、彼はこの若さでカンペキに折れていた。
屈折という万力によって、真っ二つに…。
しかし…、半年前に救いようのない、あきらめという自己宣告を己自身に発してまもなく…、彼の眼前にはかすかな光が訪れる…。
それが、”この指止まれ”の一スレッド、浦田ノブトの立ち上げた”リバイアサン”であった。
***
そう…、それはまさに絶望の淵にあった彼にとって、奇跡とも言える自己肯定の受け皿との巡り合わせだったのだろう。
明らかにポッキリ折れたはずの赤川ヒロキの芯は一転、柳の枝となり、弓状になって、今の世の全体をそのマトに当てた。
そんな屈折極まった赤川を、越沢ミワは愛する対象としてこれまたすんなり自己解釈してしまう。
彼女は、”人に言えない病”に侵された状態で、人生の大半を闇に覆われて生きてきたのだ…。
***
それは精神ストレスで体の随所にあざやおできができる、女性にとっては辛苦そのものの奇病だった。
その発疹は顔面に出るに及び、そこからの不安と恐怖心から、脱毛症を併発されるに至って、彼女の周りからは徐々に人が去って行った。
だが、彼女を真にどん底の淵へと追いやったのは、”そこ”ではなかった。
”私はこのビョーキを患って、初めて見えたわ。どんなに親友ズラして善人ぶってても、ニンゲン、いざとなれば自分可愛さからシンユウを平気でダシにして欲しいオトコに私の不遇を売り物にする…。なんて醜いのよ!!クソでしょ、そんなの…”
越沢ミワは、四谷怪談の主人公がむしろうやましいとさえ思えた。
”そうだって!諸悪の根源と言えば、弱肉強食のメンタルを個々の人間一人一人にまで埋め込んだグローバル社会なのよ!…ううん、そのクソなルールを節操なく受け入れてしまったニホンという国を生きる現代のニンゲン、社会よ!こんなもん、いっそ、泥沼の底に沈め落とさなきゃ、本当のコトなどわかる術もないわ!”
彼女また、ヒロキ同様に絶望と怒りマックスという、屈折したダークなエネルギーで臨界点に向けて突っ走っていた。
そこに、”運命の遭遇”が舞い降りる…。
赤川ヒロキと越沢ミワ…。
この二人の男女も、ノブトとユキノ同様、すでに肉体関係に至っていた。
ヒロキのこれまで生きてきた20数年の人生は、それこそ周囲から軽視され続けた毎日に凝縮されていた。
”いじめられる”とは微妙に毛色を異とした、いじり、利便回しの固定キャラクターを突き付けられるという日常…。
彼は物心ついた小学校低学年の頃より、常に周囲からその理不尽なルーティーンを受け入れるしかなかった。
それは社会人になっても…。
彼はこれまで、一つの職場を約1年で退職するという経緯を3度繰り返していた。
その結果、彼は…、人間というものは二人だけなら”その正体”は現わすことはなく、”いい仲”を保てても、それが3人以上のソーシャル空間ができた瞬間、”それまでの味方”は自身のセーフティーゾーンを確保するために弱者のキープを決して怠らない、マジョリティー側に身を翻していると…。
”グローバルな現代を生きるニンゲンってのは、結局は自己保身のためなら、手のひら返しなんて平気な、醜いあさましい生き物だ。オレのことを軽んじていいように駒回ししてきやがって!でもだ…、仮に二人きりで何かをやり遂げなきゃって局面になれば、途端に気色悪い愛想笑いを浮かべ、器用に何食わぬ顔でナカマヅラ・同志顔だ。カメレオンも真っ青だって!反吐が出るって!”
”絶望と怒り”…。
この相互感情に赤川ヒロキはすっぽり占拠された。
世間一般からすれば、彼などは前途光り輝く若者に他ならない。
だが、彼はこの若さでカンペキに折れていた。
屈折という万力によって、真っ二つに…。
しかし…、半年前に救いようのない、あきらめという自己宣告を己自身に発してまもなく…、彼の眼前にはかすかな光が訪れる…。
それが、”この指止まれ”の一スレッド、浦田ノブトの立ち上げた”リバイアサン”であった。
***
そう…、それはまさに絶望の淵にあった彼にとって、奇跡とも言える自己肯定の受け皿との巡り合わせだったのだろう。
明らかにポッキリ折れたはずの赤川ヒロキの芯は一転、柳の枝となり、弓状になって、今の世の全体をそのマトに当てた。
そんな屈折極まった赤川を、越沢ミワは愛する対象としてこれまたすんなり自己解釈してしまう。
彼女は、”人に言えない病”に侵された状態で、人生の大半を闇に覆われて生きてきたのだ…。
***
それは精神ストレスで体の随所にあざやおできができる、女性にとっては辛苦そのものの奇病だった。
その発疹は顔面に出るに及び、そこからの不安と恐怖心から、脱毛症を併発されるに至って、彼女の周りからは徐々に人が去って行った。
だが、彼女を真にどん底の淵へと追いやったのは、”そこ”ではなかった。
”私はこのビョーキを患って、初めて見えたわ。どんなに親友ズラして善人ぶってても、ニンゲン、いざとなれば自分可愛さからシンユウを平気でダシにして欲しいオトコに私の不遇を売り物にする…。なんて醜いのよ!!クソでしょ、そんなの…”
越沢ミワは、四谷怪談の主人公がむしろうやましいとさえ思えた。
”そうだって!諸悪の根源と言えば、弱肉強食のメンタルを個々の人間一人一人にまで埋め込んだグローバル社会なのよ!…ううん、そのクソなルールを節操なく受け入れてしまったニホンという国を生きる現代のニンゲン、社会よ!こんなもん、いっそ、泥沼の底に沈め落とさなきゃ、本当のコトなどわかる術もないわ!”
彼女また、ヒロキ同様に絶望と怒りマックスという、屈折したダークなエネルギーで臨界点に向けて突っ走っていた。
そこに、”運命の遭遇”が舞い降りる…。