彩国恋花伝〜白き花を、麗しき紅い華に捧ぐ〜
 川原に戻ってきた時には、東の空に星が瞬き始めていた。

「巫女さーん!」

 先程と全く同じ場所で、体育座りをした少女が私に手を振っている。

 息を整えながらその隣りに寄り添うように座り、マヤ様からの教えをそのまま伝えた。

「そうですか……。自分で命を終わらせてしまったから、私は苦しみの中で立ち止まってたんですね……」

 身投げしたことを、とても後悔しているようだ。

「頑張ったんです! 私は、必死に頑張ってたんです! それなのに……、自分を一番苦しめる道を選択してたなんて……。生きていれば良かった。両親に、奉公先を変えて欲しいと頼めば良かった……」

 そう悔やみながら、大粒の涙をポロポロと流している。

 私の罪と重なった……。

(確かに、そうだ。私を苦しめていたのは、私自身だ! 私を助けてあげられるのは、私しか居なかったのに……)

 私も泣いていた。頑張って生きていた自分に申し訳なくて、胸が痛い。
 自ら命を終わらせることの愚かさに、今更ながら気付いていた。

「巫女さん、ありがとうございました。私、絶対に変わります!」

 伝わったのだと思った。マヤ様の教えを、私は伝えることができたんだ。だけど、そんな資格、私にあるの?

 突然、獣の鳴き声のような、誰かのうめき声のような、不気味な声が湧いてきた。

 ウゥーッ、ウォーッ、オーッ!
 
(えっ!)

 声のする方に視線を向けると、川岸から黒い集団が迫ってくるのが分かった。

「あっ、ここに居る霊達です! 悪霊も居るので、巫女さんは逃げて下さい!」

 よく分からないけれど、危険な状態だということだけは理解できた。

「えっ、じゃあ、一緒に逃げよう!」

「私はもう死んでるから大丈夫! あの霊達に、さっきの話をしてやります。変わりたいなら、地獄に行く覚悟を決めろって! さぁ、早く逃げて下さい!」

 次第にはっきりと見えてくる。人なのか獣なのか、最早もう分からなくなっている黒い影達。

 ウーーッ、ウウォーーーッ!

 私は震えながら立ち上がり、砂利道を走った。
 
(……え?)

 すぐに声が聞こえなくなった。

 振り返ってみると、あの少女が黒い集団を引き留めて話をしている。私より小さな体で、あの教えを必死に伝えているのだろう。

 黒い物体が、一つ、二つ……。次々と黒い煙になって消えていく……。
 その様子を満足そうに見つめながら、少女が私に会釈をしている。
 
(どうか、あの少女が、早く苦しみから解放されますように……)

 手を合わせ心から祈ると、少女は最後に笑顔を残し、同じように煙となって消えていった。
 
(あの少女が、ここで苦しんでいた霊達を地獄に連れていったんだ!)

 ウ〜ッ、ウ〜……。
 
(えっ?)

 全て消えたと思っていたのに、まだ、四、五体残っている。

 悪霊なのか?
 私に気付いて、こちらに向かってやってくる。
 
(やだ! 来ないでっ!!)

 私はまた、砂利道を走った。
 
(あの少女は、こんなところに10年も居たんだ! 充分、地獄じゃない!!)

 うめき声と、なんともいえない不快な悪臭が近付いてくる。

 ウーッ、ウォーッ、オーッ!
 
(もう、息が苦しい。肺が痛い)

「なんで! あの子の話、聞いたでしょ‼︎」

 そう叫びながら振り返ると、恐ろしい形相をした悪霊が私に飛び付いた。

 ギャーーッ‼︎

 振り払おうと、とっさにその朽ちた腕を掴む。
 
(え?)

 一瞬にして、悪霊が消えた。
 それを見た他の悪霊達が、私の右手に掛かっている数珠を見つめながら後ずさりして退散していく。
 
(嘘っ、この数珠が退治してくれたの?)

 私は赤い数珠を見つめながら、その場にヘナヘナと座り込んでいた。恐怖と体力の限界で、もう身体に力が入らない。
 
(でも、逃げなきゃ! 何か武器を持って、また戻ってくるかもしれない!)

 全力で立ち上がり、もつれる足を引きずりながら、そこからはもう振り返らずに走って帰っていった。
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