少女達の青春群像 ~舞、その愛~
「なーんだ、亜希ちゃんは下田君のことが好きだったのか。それなら、もっと早く言ってくれたら良かったのに」
響歌と同じことを舞にも言われてしまった。
舞のあっけらかんとした様子に、響歌は呆れていた。
「これが、さっきまで石像になっていた人の言うことかしらね。切り替えが早過ぎでしょ」
「そ、それは。さっきは突然過ぎたから慌てただけだよ。亜希ちゃんだって私の友達だもの。友達なら、中葉君とつき合っていたことを隠すわけがないでしょ。これまでは話す機会がそう無かったから言わなかっただけで…」
「そういうことにしておいてあげましょうか。さっきのはどう見ても、慌てているようには見えなかったけどね」
「だから、それは…」
舞と響歌はくだらないことで言い合っていたが、亜希はそれを見て今まで下田への恋心を隠していた自分がバカらしく思えた。
「あんた達を見ていたら、これまで恥ずかしがっていた私ってなんだったんだろうって思ってしまうわ」
つい口にもしてしまう。
亜希の言葉を聞いた舞は、響歌との争いを止めて亜希に向かった。
「友達同士なのに、どうして恥ずかしがる必要があるのよ。恋をするということは人間だったら自然な現象なんだから。むしろ恋をしない方が、私からすれば恥ずかしいことだよ。だってさぁ、そういう人って、いってみればまだお子様ということだもん」
…何かがおかしい。
舞の言葉を聞いた2人の感想は、こうだった。
舞と知り合って日が浅い亜希の方は、額にうっすらと冷や汗が流れている。
響歌は舞の言動に慣れ切っているので、呆れながらも余裕そうなのだが…
いつもなら舞の常識外れな言葉を聞き流す響歌も、今は亜希がいるので少し注意をする。
「ムッチー、お子様というのはちょっと言い過ぎだと思うよ」
「えっー、そうかなぁ。確かに言葉は悪いけど、本当のことではあるでしょ。それにここにいる3人は、恋する気持ちも経験済みでお子様の部類に入らないんだからいいじゃない。そんなに目くじら立てないで。ね?」
自分をなだめようとする舞の態度に、響歌はこれ以上言うのもバカらしくなって肩をすくめた。
「でも、まさか1年の時に亜希ちゃんが下田君と同じクラブで、2人で仲良く下校していたなんてねぇ。私、全然知らなかったよ」
舞は残念がっていたが、亜希は舞が何故そんなに残念そうなのかわからない。
「なんでそんなに嘆いているの?」
「だってクラブが終わるのって、だいたい7時頃でしょ。ということは、亜希ちゃん達って、その時間帯に比良木に向かって歩いていたわけよね。そのことになんで今まで気づかなかったのか。それが凄く残念なのよ」
その説明だと、亜希ちゃんは全然わからないと思う。
響歌は心の中で突っ込んだ。
案の定、舞の言っていることがわからなかった亜紀が、舞に再び訊く。
「だから、それはなんで?」
舞は鈍い亜希に少し焦れながら、もう少し詳しく言った。
「だーかーら、その時期ってね、私と響ちゃんもよく7時に帰っていたの。それなのに亜希ちゃんと下田君の姿を一度も見たことが無かったのよ。もしかしたらすぐ近くにいたかもしれないのに、私がそれに気づかなかったせいで。くぅっ~!」
言葉は足してくれたが、亜希にはやはり舞が悔しがっている理由がわからない。
このままでは時間だけが過ぎてしまう。
響歌は仕方なく、舞の代わりに説明した。
「ムッチーはね、亜希ちゃんと下田君のラブラブツーショットが生で見られたかもしれないのに、それを自分の不注意で見逃してしまったかもしれないって嘆いているの。人の恋路を盗み見するのって、すっごく楽しいものだから。ね、そうでしょ、ムッチー」
「その通り。さっすが響ちゃん、よくわかっているね。そうなんだよ、なんでわからなかったんだろ。ほとんど一緒の時間帯のはずなのに。亜希ちゃんさぁ、もしかして通学路じゃない道を通っていた?」
舞は亜希に訊いたが、亜希は呆然としていたので響歌が代わった。
「通学路も何も、学校からの道はあそこしか無いでしょ。あんたが気づかなかったんじゃなくて、ほんの少しだけ時間帯がズレていたのよ、きっと」
「なんで響ちゃん、そんな断言できるの?」
「私達だけならともかく、あの時期は中葉君や橋本君も一緒に下校していたじゃない。亜希ちゃんや下田君がいたら、あの2人が絶対に気づいているって。私とムッチーは亜希ちゃんのことを知らなかったし、下田君のこともよくわからなかったから気づかなくても当たり前だけど、中葉君と橋本君は下田君のことをよく知っているでしょ。同じ経済科の男子だし、しかも橋本君の方なんて下田君と幼馴染なんだから。バッティングしていたら気づくどころか、声だってかけているって」
「そうかぁ、言われてみればそうだよね。私ってば、あの2人の存在なんてすっかり忘れていたよ」
舞は呑気そうに笑った。
だが、それも一瞬のこと。響歌の口から中葉という言葉が出たので先程のことを思い出して目を吊り上げる。
また中葉から交換日記が戻ってきたのだ。
普通はつき合いが切れた時点で交換日記も止まる。これは同性同士…いわゆる友達同士でさえそうだ。異性間…恋人同士だったら尚更だ。
だが、舞と中葉の場合、つき合いが途切れた後もこのようなやり取りが続いている。中葉と別れてから1カ月が経とうとしているのに、だ。
舞の方は一刻も早くこんなやり取りは終わりにしたい。手渡しではないにしても、交換日記を勝手に机の中に入れられるのも嫌だった。
だが、舞がそのことを交換日記に書いて中葉に返してもわかってくれず、再び交換日記を舞に渡すのだ。だからまた中葉にわかってもらう為に嫌な気持ちを日記に書かなくてはいけない。その繰り返しでここまで来ている。
いったいどうすれば、あの人はわかってくれるの!
舞は苛立たしく溜息を吐いた。思い出しただけでムカムカしてくる。
響歌が舞の肩を軽く叩いて舞をなだめる。
「ムッチーの気持ちもわかるけど、こればっかりは仕方がないよ。今は何もせずに耐えるしかないわ」
舞の方から何かをしても、中葉はそれを受け入れない。だから何もするな。そう遠まわしに言っているのだ。
このことはこの1カ月の間、耳にタコができるくらい言われてきた。
「それは何回も聞いたよ。でも、日記を渡さなかったら、今度はネチネチ不満を書いた手紙を渡すんだもの。それにも返事をしなかったら直接言ってくるしさ。だったら返事を書くしかないじゃない!」
私にどうしろっていうのよ!
舞はそう叫び、頭を抱える。舞の手から日記が音を立てて落ちた。
亜希はこんな舞を見るのは初めてだった。
この場にやってきた時の様子にも驚いたが、今自分の目の前で頭を抱えている者は本当に自分が知っているあの舞なのだろうか。
亜希が知る舞は、いつも響歌の後ろに控えている物静かな女性だ。自分から前に出ることなど決して無い。
良くいえば、謙虚。悪くいえば、地味。それが舞だった。
他の4組のグループの仲間だともう少し違う意見なのだろうが、亜希から見る舞はこんな感じだ。
何しろ亜希は1年の時はもちろん、2年でも同じクラスになったことが無い。選択コースも別だ。帰る方向も違う。同じグループとはいえ、つき合いは薄かった。もしかしたら2人だけで話したことも無かったような気がする。だから妄想癖が激しいとか、時々奇声を発することも知らなかった。今まで中葉とつき合っていたことも、だ。
今の亜希の衝撃はかなり大きかった。自分の目の前に落ちた日記を拾うことも忘れるくらいに。
舞は亜希に呆然と見られていることにも気づかず、頭を抱えながらも怒り狂っている。落ちた日記を拾う気は無さそうだ。
こうなると日記を拾う役目はおのずと決まってしまう。響歌は渋々日記を拾うと躊躇うことなく開いた。
「ちょっと、勝手にノートを見ていいの。それ、ムッチーと中葉君の交換日記なんでしょ」
亜希が慌てて止めようとしたが、響歌は構わずにページを進めていく。目的のページまで辿り着くとそこを読み始めた。
舞も響歌の行動を止めようとしなかったし、文句も言わなかった。相変わらず怒りに満ちた表情をしているが、それは中葉に対してのものであって、響歌のこの行動に対するものではない。
響歌は読みながら、何も知らない亜希に簡単に説明した。
「いいの、いいの。これはいつものことなんだから。その証拠に、ムッチーは何も言ってこないでしょ」
確かにそうだ。でも、ムッチーの方はそれでいいかもしれないけど、中葉君の方は読んで欲しくないんじゃ…。
亜希がそう思いながらも口に出さないでいると、どうやら顔に出ていたらしい。今度は舞が言った。
「本当にいいんだよ、亜希ちゃん。響ちゃんになら読まれても全然構わないし、中葉君の方もきっとそう思っているよ。だってね、中葉君ったら、私とつき合っている時にも響ちゃんにこの日記を読んであげていたんだよ。私が何度も止めてって言っているにも関わらず、だよ!」
「そうなの?」
「そうなんだよ。しかも響ちゃんだけじゃないの。他の経済科の男子達にも躊躇なく読ませていたんだから!」
その怒りも加わったのだろう、舞の怒りの表情が一段階アップした。
「こっちはいいって断っているのに、わざわざ読んでくれるんだもの。アレには参ったわ。国語の授業じゃないんだから勘弁して欲しかったわよ。それなら日記を渡して読ませてくれた方がどんなに良かったか。まぁ、たまにはそんな時もあったけどさ。ほとんど中葉君の朗読だったもんねぇ」
響歌からはうんざりした空気が漂っている。本当に勘弁して欲しかったようだ。
それでもこのことに関しては、舞の方がそう思う度合いは強いだろう。聞きたいと思わない内容をゆっくりとした口調で延々と読まれるのも苛々するが、中葉以外の人物には隠しておきたいことまで口に出して読まれるのだ。いくら自分が嫌がってもお構いなしに。
それでも響歌の方にも、舞と同じ気持ちがあった。
何しろ響歌は、舞に次ぐ交換日記の犠牲者なのだから。
響歌は舞と中葉がつき合っている時から中葉と交流があった。いや、響歌と中葉の交流があったからこそ、舞と中葉がつき合うことになったのだ。
中葉にとって響歌は一番親しい女友達だった。それ故に、交換日記に書かれている割合も、舞を除けば他のクラスメイトに比べて断トツに多い。
交換日記に自分の話題が上るのはありがたいことなのかもしれない。それだけ中葉にとって存在が大きいということなのだから。むしろいつも彼らの近くにいるのに話題に上らない方が寂しいものだ。だからこれは喜ばしいことだと、本当は思いたい。
だが、そう思えない事情がある。それは書いてある内容だ。
中葉が日記に書いていることには事実が多い。響歌について書いてあることも、ほとんどが当たりだ。
だったらいいんじゃないかと思うのだろうが、だからこそ響歌は犠牲者になっているのだ。
何しろこの日記には、響歌が好きだった黒崎の名前まで書いてあるのだから!
しかもそれに加えて響歌と橋本の恋愛進行状態まで記されてある。しかもそれについてお節介にも感想まで述べてあった。
響歌や橋本からすれば余計なお世話というものだ。こういったことを書かれている時点で怒ってもいいくらいだ。
だが、それだけで終わらないのが中葉だ。その日記を、なんと無関係な人にまで見せている。
無関係とはいっても、中葉の周辺にいる経済科の男子くらいなのだが。彼らに見せるだけでもとんでもないこと。いや、逆に彼らにだけは知られてはいけないだろう。
どのページを見せているのかはわからないが、それらのページを見せていたとしたら、響歌の想いが黒崎にバレている可能性がある。
橋本との方に関しては、本人も響歌の想いを知っているのでそれ程には追い詰められてはいないのだが、それでも見世物にされているようで気分が悪い。
だから響歌はこの件に関して相当怒っているのだが、響歌以上に赤裸々なことを書かれている舞は響歌以上に怒っていた。そのせいで中葉との関係にピリオドを打ったといっても過言ではない。
だが、中葉はそのことがわかっていない。本当のことを書いて何が悪いと思っている。
だからこそ舞が言う別れの理由にも、中葉には理解ができなかった。納得できず、未だに日記や手紙を舞に渡している。
自分の方には一欠片も非が無いと信じて…
響歌と同じことを舞にも言われてしまった。
舞のあっけらかんとした様子に、響歌は呆れていた。
「これが、さっきまで石像になっていた人の言うことかしらね。切り替えが早過ぎでしょ」
「そ、それは。さっきは突然過ぎたから慌てただけだよ。亜希ちゃんだって私の友達だもの。友達なら、中葉君とつき合っていたことを隠すわけがないでしょ。これまでは話す機会がそう無かったから言わなかっただけで…」
「そういうことにしておいてあげましょうか。さっきのはどう見ても、慌てているようには見えなかったけどね」
「だから、それは…」
舞と響歌はくだらないことで言い合っていたが、亜希はそれを見て今まで下田への恋心を隠していた自分がバカらしく思えた。
「あんた達を見ていたら、これまで恥ずかしがっていた私ってなんだったんだろうって思ってしまうわ」
つい口にもしてしまう。
亜希の言葉を聞いた舞は、響歌との争いを止めて亜希に向かった。
「友達同士なのに、どうして恥ずかしがる必要があるのよ。恋をするということは人間だったら自然な現象なんだから。むしろ恋をしない方が、私からすれば恥ずかしいことだよ。だってさぁ、そういう人って、いってみればまだお子様ということだもん」
…何かがおかしい。
舞の言葉を聞いた2人の感想は、こうだった。
舞と知り合って日が浅い亜希の方は、額にうっすらと冷や汗が流れている。
響歌は舞の言動に慣れ切っているので、呆れながらも余裕そうなのだが…
いつもなら舞の常識外れな言葉を聞き流す響歌も、今は亜希がいるので少し注意をする。
「ムッチー、お子様というのはちょっと言い過ぎだと思うよ」
「えっー、そうかなぁ。確かに言葉は悪いけど、本当のことではあるでしょ。それにここにいる3人は、恋する気持ちも経験済みでお子様の部類に入らないんだからいいじゃない。そんなに目くじら立てないで。ね?」
自分をなだめようとする舞の態度に、響歌はこれ以上言うのもバカらしくなって肩をすくめた。
「でも、まさか1年の時に亜希ちゃんが下田君と同じクラブで、2人で仲良く下校していたなんてねぇ。私、全然知らなかったよ」
舞は残念がっていたが、亜希は舞が何故そんなに残念そうなのかわからない。
「なんでそんなに嘆いているの?」
「だってクラブが終わるのって、だいたい7時頃でしょ。ということは、亜希ちゃん達って、その時間帯に比良木に向かって歩いていたわけよね。そのことになんで今まで気づかなかったのか。それが凄く残念なのよ」
その説明だと、亜希ちゃんは全然わからないと思う。
響歌は心の中で突っ込んだ。
案の定、舞の言っていることがわからなかった亜紀が、舞に再び訊く。
「だから、それはなんで?」
舞は鈍い亜希に少し焦れながら、もう少し詳しく言った。
「だーかーら、その時期ってね、私と響ちゃんもよく7時に帰っていたの。それなのに亜希ちゃんと下田君の姿を一度も見たことが無かったのよ。もしかしたらすぐ近くにいたかもしれないのに、私がそれに気づかなかったせいで。くぅっ~!」
言葉は足してくれたが、亜希にはやはり舞が悔しがっている理由がわからない。
このままでは時間だけが過ぎてしまう。
響歌は仕方なく、舞の代わりに説明した。
「ムッチーはね、亜希ちゃんと下田君のラブラブツーショットが生で見られたかもしれないのに、それを自分の不注意で見逃してしまったかもしれないって嘆いているの。人の恋路を盗み見するのって、すっごく楽しいものだから。ね、そうでしょ、ムッチー」
「その通り。さっすが響ちゃん、よくわかっているね。そうなんだよ、なんでわからなかったんだろ。ほとんど一緒の時間帯のはずなのに。亜希ちゃんさぁ、もしかして通学路じゃない道を通っていた?」
舞は亜希に訊いたが、亜希は呆然としていたので響歌が代わった。
「通学路も何も、学校からの道はあそこしか無いでしょ。あんたが気づかなかったんじゃなくて、ほんの少しだけ時間帯がズレていたのよ、きっと」
「なんで響ちゃん、そんな断言できるの?」
「私達だけならともかく、あの時期は中葉君や橋本君も一緒に下校していたじゃない。亜希ちゃんや下田君がいたら、あの2人が絶対に気づいているって。私とムッチーは亜希ちゃんのことを知らなかったし、下田君のこともよくわからなかったから気づかなくても当たり前だけど、中葉君と橋本君は下田君のことをよく知っているでしょ。同じ経済科の男子だし、しかも橋本君の方なんて下田君と幼馴染なんだから。バッティングしていたら気づくどころか、声だってかけているって」
「そうかぁ、言われてみればそうだよね。私ってば、あの2人の存在なんてすっかり忘れていたよ」
舞は呑気そうに笑った。
だが、それも一瞬のこと。響歌の口から中葉という言葉が出たので先程のことを思い出して目を吊り上げる。
また中葉から交換日記が戻ってきたのだ。
普通はつき合いが切れた時点で交換日記も止まる。これは同性同士…いわゆる友達同士でさえそうだ。異性間…恋人同士だったら尚更だ。
だが、舞と中葉の場合、つき合いが途切れた後もこのようなやり取りが続いている。中葉と別れてから1カ月が経とうとしているのに、だ。
舞の方は一刻も早くこんなやり取りは終わりにしたい。手渡しではないにしても、交換日記を勝手に机の中に入れられるのも嫌だった。
だが、舞がそのことを交換日記に書いて中葉に返してもわかってくれず、再び交換日記を舞に渡すのだ。だからまた中葉にわかってもらう為に嫌な気持ちを日記に書かなくてはいけない。その繰り返しでここまで来ている。
いったいどうすれば、あの人はわかってくれるの!
舞は苛立たしく溜息を吐いた。思い出しただけでムカムカしてくる。
響歌が舞の肩を軽く叩いて舞をなだめる。
「ムッチーの気持ちもわかるけど、こればっかりは仕方がないよ。今は何もせずに耐えるしかないわ」
舞の方から何かをしても、中葉はそれを受け入れない。だから何もするな。そう遠まわしに言っているのだ。
このことはこの1カ月の間、耳にタコができるくらい言われてきた。
「それは何回も聞いたよ。でも、日記を渡さなかったら、今度はネチネチ不満を書いた手紙を渡すんだもの。それにも返事をしなかったら直接言ってくるしさ。だったら返事を書くしかないじゃない!」
私にどうしろっていうのよ!
舞はそう叫び、頭を抱える。舞の手から日記が音を立てて落ちた。
亜希はこんな舞を見るのは初めてだった。
この場にやってきた時の様子にも驚いたが、今自分の目の前で頭を抱えている者は本当に自分が知っているあの舞なのだろうか。
亜希が知る舞は、いつも響歌の後ろに控えている物静かな女性だ。自分から前に出ることなど決して無い。
良くいえば、謙虚。悪くいえば、地味。それが舞だった。
他の4組のグループの仲間だともう少し違う意見なのだろうが、亜希から見る舞はこんな感じだ。
何しろ亜希は1年の時はもちろん、2年でも同じクラスになったことが無い。選択コースも別だ。帰る方向も違う。同じグループとはいえ、つき合いは薄かった。もしかしたら2人だけで話したことも無かったような気がする。だから妄想癖が激しいとか、時々奇声を発することも知らなかった。今まで中葉とつき合っていたことも、だ。
今の亜希の衝撃はかなり大きかった。自分の目の前に落ちた日記を拾うことも忘れるくらいに。
舞は亜希に呆然と見られていることにも気づかず、頭を抱えながらも怒り狂っている。落ちた日記を拾う気は無さそうだ。
こうなると日記を拾う役目はおのずと決まってしまう。響歌は渋々日記を拾うと躊躇うことなく開いた。
「ちょっと、勝手にノートを見ていいの。それ、ムッチーと中葉君の交換日記なんでしょ」
亜希が慌てて止めようとしたが、響歌は構わずにページを進めていく。目的のページまで辿り着くとそこを読み始めた。
舞も響歌の行動を止めようとしなかったし、文句も言わなかった。相変わらず怒りに満ちた表情をしているが、それは中葉に対してのものであって、響歌のこの行動に対するものではない。
響歌は読みながら、何も知らない亜希に簡単に説明した。
「いいの、いいの。これはいつものことなんだから。その証拠に、ムッチーは何も言ってこないでしょ」
確かにそうだ。でも、ムッチーの方はそれでいいかもしれないけど、中葉君の方は読んで欲しくないんじゃ…。
亜希がそう思いながらも口に出さないでいると、どうやら顔に出ていたらしい。今度は舞が言った。
「本当にいいんだよ、亜希ちゃん。響ちゃんになら読まれても全然構わないし、中葉君の方もきっとそう思っているよ。だってね、中葉君ったら、私とつき合っている時にも響ちゃんにこの日記を読んであげていたんだよ。私が何度も止めてって言っているにも関わらず、だよ!」
「そうなの?」
「そうなんだよ。しかも響ちゃんだけじゃないの。他の経済科の男子達にも躊躇なく読ませていたんだから!」
その怒りも加わったのだろう、舞の怒りの表情が一段階アップした。
「こっちはいいって断っているのに、わざわざ読んでくれるんだもの。アレには参ったわ。国語の授業じゃないんだから勘弁して欲しかったわよ。それなら日記を渡して読ませてくれた方がどんなに良かったか。まぁ、たまにはそんな時もあったけどさ。ほとんど中葉君の朗読だったもんねぇ」
響歌からはうんざりした空気が漂っている。本当に勘弁して欲しかったようだ。
それでもこのことに関しては、舞の方がそう思う度合いは強いだろう。聞きたいと思わない内容をゆっくりとした口調で延々と読まれるのも苛々するが、中葉以外の人物には隠しておきたいことまで口に出して読まれるのだ。いくら自分が嫌がってもお構いなしに。
それでも響歌の方にも、舞と同じ気持ちがあった。
何しろ響歌は、舞に次ぐ交換日記の犠牲者なのだから。
響歌は舞と中葉がつき合っている時から中葉と交流があった。いや、響歌と中葉の交流があったからこそ、舞と中葉がつき合うことになったのだ。
中葉にとって響歌は一番親しい女友達だった。それ故に、交換日記に書かれている割合も、舞を除けば他のクラスメイトに比べて断トツに多い。
交換日記に自分の話題が上るのはありがたいことなのかもしれない。それだけ中葉にとって存在が大きいということなのだから。むしろいつも彼らの近くにいるのに話題に上らない方が寂しいものだ。だからこれは喜ばしいことだと、本当は思いたい。
だが、そう思えない事情がある。それは書いてある内容だ。
中葉が日記に書いていることには事実が多い。響歌について書いてあることも、ほとんどが当たりだ。
だったらいいんじゃないかと思うのだろうが、だからこそ響歌は犠牲者になっているのだ。
何しろこの日記には、響歌が好きだった黒崎の名前まで書いてあるのだから!
しかもそれに加えて響歌と橋本の恋愛進行状態まで記されてある。しかもそれについてお節介にも感想まで述べてあった。
響歌や橋本からすれば余計なお世話というものだ。こういったことを書かれている時点で怒ってもいいくらいだ。
だが、それだけで終わらないのが中葉だ。その日記を、なんと無関係な人にまで見せている。
無関係とはいっても、中葉の周辺にいる経済科の男子くらいなのだが。彼らに見せるだけでもとんでもないこと。いや、逆に彼らにだけは知られてはいけないだろう。
どのページを見せているのかはわからないが、それらのページを見せていたとしたら、響歌の想いが黒崎にバレている可能性がある。
橋本との方に関しては、本人も響歌の想いを知っているのでそれ程には追い詰められてはいないのだが、それでも見世物にされているようで気分が悪い。
だから響歌はこの件に関して相当怒っているのだが、響歌以上に赤裸々なことを書かれている舞は響歌以上に怒っていた。そのせいで中葉との関係にピリオドを打ったといっても過言ではない。
だが、中葉はそのことがわかっていない。本当のことを書いて何が悪いと思っている。
だからこそ舞が言う別れの理由にも、中葉には理解ができなかった。納得できず、未だに日記や手紙を舞に渡している。
自分の方には一欠片も非が無いと信じて…