少女達の青春群像 ~舞、その愛~
歩は不満だったのです
色々な行事があった2学期もあっという間に終わり、冬休みに入った。
歩は今、真子が暮らしている町に向かう電車の中にいる。冬休み期間中だけ真子と一緒にバイトをすることになったのだ。
やはりお金は少しでも欲しかったし、真子が気に入っている『宮本さん』という大学生を見てみたい。真子も人手が足りなくて大変そうだ。そういうことから真子のバイト先でバイトをすることに決めたのだ。渕山にクドクド言われはしたが、なんとかバイト許可証をもぎ取って。
乗車口近くに立ち、ぼうっと景色を眺めている。いつも見ている景色とは違うのでなんだか新鮮だ。それでもまだ柏原市内。市外までにはあと3駅停車しなくてはいけない。
1駅間の間隔も短い。5分くらいの間隔で電車が停まってしまう。それでも各駅停車だから仕方がない。
また電車が停まり、歩のすぐ傍にある扉が開いた。降りる人はいなかったが、乗ってきた人は10人くらいいた。これは休みの日にしては多い方なのかもしれない。柏原は市ではあるけど、都会とはいえない場所だ。車で移動する人が大半を占めている。通学で利用する学生以外はあまり電車を利用しないのだ。
目的の駅までにあと5駅止まらなければならない。もしかしたら座った方が良かったのかもしれない。すぐ着くだろうと思って立っているが、座席はまだ空いているし、こうも度々扉が開閉されると落ち着けないものだ。いつも乗っている宮内方面行は1駅間の間隔が長いのでこんなことは感じたことが無かった。どうやら乗っている路線によってかなり勝手が違うらしい。
今からでも移動しようかな。そう思い、車内の方へと目を向ける。
そこで初めて彼の姿に気づいた。
なんと歩が恋をしているあの細見が、同じ電車に乗っていたのだ。
やだ、どうしよう。嬉しいけど、心の準備ができていないよ!
細見も歩と同じように立っていた。車両の後ろの方の扉に数人の友達といる。そのうちの何人かは歩も知っている。細見といつもバスケをしている友達だ。
気づいたからには緊張して動くことができない。慌てて視線を逸らしたが、やはり気になって視線をそっちの方に戻してしまう。
歩は景色を見る振りをしながら細見をチラチラと見ていた。度々開閉する扉もまったく気にならなくなった。
しばらくそうしていたが、彼の友達に見られているような気がした。
もしかして私が見ていることに気づいた?
細見さんも私のことに気づいているのかもしれない。
どうしよう、やだ、嫌わないで!
歩が真っ先に思ったのは、それだった。
それ以降は、細見がいる方に視線を向けることができなかった。彼らがいつ電車から降りたのかもわからない。
だが、歩が降りる駅までに降りたのは確実だった。その時には彼らの姿は車内から消えていたのだから。
電車から降りても、まだ心臓が落ち着いてくれない。その心臓を抱えたまま改札を出ると、真子の姿が見えた。バイトの初日なのでわざわざ迎えに来てくれていたのだ。
「あっ、歩ちゃん。こっち、こっち!」
「まっちゃん、おはよう。もう来てくれていたんだ。ありがとう」
「そんな、お礼なんていいよ。むしろお礼を言うのは私の方だよ。わざわざここまで来てくれてありがとう。柏原市街の方がいいバイト先があったはずなのに。バイトだから交通費が出ないかもしれないの。もし本当に出ないのなら、違うバイトにしてくれてもいいからね」
真子は申し訳なさそうだった。
交通費が出ないのは歩にとってかなり痛い。真子の言う通り、家の近くで別のバイトを探した方が絶対にいいはずだ。
それでも歩としては、引き受けたからには最後までやり通さないといけない。それにお金は欲しいが、真子の想い人を見たい気持ちが大きかった。
「まっちゃんがそんなに気にすることなんて無いよ。2週間だけだし、大丈夫。今更断らないからね」
「ありがとう。あっ、今日は店長とそういった話をするだけなんでしょ。私はレジに入るけど、終わったらゆっくり買い物でもしていって。確か宮本さんも今日はバイトに出ているはずだよ。時間があれば歩ちゃんのことを紹介するね」
えっ、もう宮本さんが見られるの!
ど、どうしよう、心の準備がまだできていないよ。
さっきのことで相当心が乱されていたのだ。落ち着くまでもう少し時間が欲しい。
それでも歩の心情を知らない真子は、嬉々としながら歩を促す。
「さ、早く行こう。バイト先はここから歩いて10分くらいなんだ。今から行けば宮本さんの休憩時間に間に合うかもしれない」
えぇっ、行ってすぐに宮本さんに会うのー!
歩は慌てたが、それでも断るわけにはいかない。
「あっ、そ、そうだね。こんなところにいつまでも立っているわけにはいかないもんね。まっちゃん、行こう」
「うん、じゃあ、ついてきて」
そうして2人は駅を後にしたのだった。
10分後、冬休みに歩がバイトをするスーパーに着いた。外観は至って普通だった。どこにでもある田舎のスーパーといった感じだ。さほど大きくはない。まだ中に入って確かめてはいないが、食料品しか売っていないだろう。
まっちゃんは終わったらゆっくり買い物をしてって言ったけど、何を買えばいいのだろう。おやつくらいしか買うものが無いのだけど。
舞だったら店長との話が終わった後はすぐに帰るだろうが、律儀な歩はそんなことで悩んでいた。
そんな歩の傍で、真子が大きな声を出した。
「あっ、宮本さーん!」
真子の視線の先には背が高そうな男性がいた。その男性はエプロンをしているし、倉庫にあるダンボールを見ていたので一目でこの店の店員だということがわかる。しかも真子の大声でその男性の名前までわかってしまった。
真子に呼ばれた男性は、真子の姿を見て微笑んだ。
「まっちゃん、おはよう。今日は少し早い出勤なんだね」
「私はいつもと同じ時間から入るんだよ。私の友達が冬休みの間ここでバイトをしてくれるから、今日はその案内の為に少し早く来たんだ。長谷川歩ちゃんって言うの。私の高校の友達だよ。あっ、歩ちゃん。この人が宮本さん。同じバイト仲間なんだ」
真子は歩と宮本を簡潔に紹介した。
「そういえば明日からバイトに入ってくれる子がいるって店長が言っていたな。歩ちゃんだよね。オレは宮本蓮と言います。T大学の2年生だ。よろしくな」
宮本が挨拶してくれたので、歩も慌てて挨拶をする。
「あっ、私は長谷川歩と言います。冬休みの間だけになりますけど、よろしくお願いします」
挨拶だけではなくて律儀にお辞儀までした。
舞がこの場面を見ていたら、『さすが、歩ちゃん』礼儀がなっているわ。と感激していただろう。
お互いの紹介が終わったので、次は店長のところに案内してくれるのだろう。
歩はそう思っていたが、真子はこの場から動かなかった。歩のことをすっかり忘れているのか、輝くような笑顔で宮本と話し始めたのだ。宮本も真子くらいの笑顔とまではいかないものの、微笑んで対応している。
えぇっ、まっちゃんって、男の人とこんなにも話せるんだ!
学校での真子は男子とこんな風に話したことが無い。真子自身も男子と話すのは苦手だと言っていた。
それなのに今、自分の目の前で凄く仲が良さそうに男性と話しているのだから、歩の驚きはかなりのものだった。
「お年玉、頂戴」
「オレの方が欲しいわ」
歩が呆然としているうちに、話がいつの間にか正月のことに飛んでいる。
もしかしなくてもまっちゃんって…私のことを忘れているよね?
この調子だといつ終わるのかわからない。店長は開店時間までに来て欲しいようなことを言っていたので、これ以上遅くなるとマズイだろう。
さすがにもう待っていられない。歩は自分だけで店長のところに行くことにした。
行く前に、真子に耳打ちをする。
「頑張れ」
真子には聞こえていたはずだが、見事にスルーされてしまった。相変わらず宮本と楽しく話している。
歩は少し哀しかった。
歩は自分だけで店内に入ると、他の店員に店長の居場所を聞いて店長のところに行った。そしてそこで10分くらい、店長から明日からのことを聞いた。その後は女性店員から制服をもらったり、ロッカーを案内してもらったりしていたのだが、その間も真子は歩の前に姿を現さなかった。
結局、真子が現れる前に歩の用事がすべて終わってしまった。
真子と別れた場所まで戻ってみよう。そう思い、店の外に出ようとすると、真子が店内に入ってきた。
「歩ちゃん、案内できなくてごめんね。でも、いつの間に行ってたの?」
どうやら歩の囁きは真子には聞こえてなかったようだ。
あんなにも耳の近くではっきりと言ったのに!
それだけ宮本との話に夢中になっていたのだろう。
それなのにまだ宮本よりも高尾の方が好きだと言うのだろうか。
「行く前に声をかけたんだけどな。話に夢中で聞こえなかったんだね。でも、店長はすぐにわかったし、大丈夫だったよ。まっちゃんはこれからバイトなんでしょ。頑張ってね」
「うん、宮本さんにさっき千円をもらったから、今日はいつも以上に頑張れるよ」
千円って、羨ましい!
「じゃあ、私は帰るね。明日からよろしく」
「うん、一緒に頑張ろうね」
歩は真子と挨拶を交わすと、店をあとにした。
それにしても…本当に意外だったな。
でも、あれはもう完全に恋に落ちちゃっているでしょ!
いい加減に認めたらいいのに。
歩はそう思いながらも、顔はほころんでいた。
自分の存在を忘れられていたけど、真子の恋がようやく動き出しそうだったので凄く嬉しかったのだ。
それにしても…まっちゃんって、やっぱり高尾君みたいな顔が好きなのかな。
宮本さんもそっち系の顔だったから、それがどうも気になるのよね。
とはいっても2人共凄く楽しそうだったから、高尾君の時みたいにはならないとは思うのだけど。
その高尾は、秋頃に彼女と別れていた。どうやら高尾の方から別れ話を切り出したらしい。『デザインコースだから、課題が沢山あって時間がとれない』と言っていたようだが、同じコースの響歌は『それ、絶対に嘘だから。今はまだそんなに課題なんて出ていないもの』と否定していた。
別れた本当の理由は別にあるのだろうが、それでも高尾がフリーなのは間違いがない。だから高尾を想ったままでもいいのだろうが、やはり真子は未だに高尾とは話せていないので宮本の方に行って欲しい。これが歩を含めたみんなの思いだった。
今度こそ上手くいって欲しいなぁ。
いや、上手くいかせたい!
最近、歩のまわりはすっかり枯れムードだった。
浮いた話がまったく無くなってしまったのだ!
4組のみんなはほとんど恋愛していなさそうだし、5組のみんなも浮いた話をしなくなってしまった。
はっきりいって、歩はとても不満だった。
もう、みんな、どうしちゃったのよ~。
特に舞と響歌は、最近は恋愛よりもサークルの方に力を入れているので、恋愛の方は全然進展が無いのだ。
あの2人は恋愛に集中するべきなのに!
ムッチーはまだ中葉君と決着がついていないし、響ちゃんなんて中途半端なまま止まっているんだから。
それでも響ちゃんの場合は、橋本君次第という感じでもあるのだけど。橋本君もいきなりどうしてしまったのだろう。響ちゃんの話だといきなり不愛想になったみたいだけど、絶対に何か理由があると思うんだけどなぁ。響ちゃんのことをたまに見ているような気がするし。
響ちゃんは響ちゃんで、橋本君に絞ってはいないような気がするんだよね。
黒崎君のこと、本当に忘れられたのだろうか。
黒崎君も夏に年上の彼女ができたみたいだけど、それもまた1カ月で別れたというから無理に忘れることなんて無いと思うのだけど。
ムッチーも中葉君とはもう完全決着をさせて新たな恋に向かって欲しいよ。絶対にムッチーは川崎君に気持ちが戻っているんだから!
舞は川崎に気持ちが戻ったことを周りに隠しているつもりだったが、はっきりいってバレバレだった。
なんとかして2人を動かしたい。歩はずっとそう思っていたが、何も方法が浮かばず焦れる毎日を送っていた。
そんな中で急上昇したのが真子の恋愛だ。一時はドツボに嵌っていた彼女だったが、宮本の登場によって形勢逆転したようなものだった。
あれくらい仲が良ければ、成就するのも時間の問題だよ!
あとはまっちゃんが自分の気持ちを自覚することだよね。
歩は久し振りに訪れた恋の予感に心を弾ませていた。
それでもやっぱり気になるのは細見のこと。
今までは見ているだけでいいと思っていた。
見ているだけでとても幸せだった。
でも、もうすぐ彼は卒業してしまう。
彼が比良木高校にいてくれるのはあと3カ月だけだ。いや、もう2月になると3年生はほとんど学校に来なくなるので1月しか見られなくなってしまう
このまま見ているだけで本当にいいの?
来年になると、もういなくなっちゃうのよ?
ムッチー達をどうこうするよりも、自分のことをした方がいいんじゃないの?
歩は帰りの電車に揺られながら、ずっと自問自答していた。
歩は今、真子が暮らしている町に向かう電車の中にいる。冬休み期間中だけ真子と一緒にバイトをすることになったのだ。
やはりお金は少しでも欲しかったし、真子が気に入っている『宮本さん』という大学生を見てみたい。真子も人手が足りなくて大変そうだ。そういうことから真子のバイト先でバイトをすることに決めたのだ。渕山にクドクド言われはしたが、なんとかバイト許可証をもぎ取って。
乗車口近くに立ち、ぼうっと景色を眺めている。いつも見ている景色とは違うのでなんだか新鮮だ。それでもまだ柏原市内。市外までにはあと3駅停車しなくてはいけない。
1駅間の間隔も短い。5分くらいの間隔で電車が停まってしまう。それでも各駅停車だから仕方がない。
また電車が停まり、歩のすぐ傍にある扉が開いた。降りる人はいなかったが、乗ってきた人は10人くらいいた。これは休みの日にしては多い方なのかもしれない。柏原は市ではあるけど、都会とはいえない場所だ。車で移動する人が大半を占めている。通学で利用する学生以外はあまり電車を利用しないのだ。
目的の駅までにあと5駅止まらなければならない。もしかしたら座った方が良かったのかもしれない。すぐ着くだろうと思って立っているが、座席はまだ空いているし、こうも度々扉が開閉されると落ち着けないものだ。いつも乗っている宮内方面行は1駅間の間隔が長いのでこんなことは感じたことが無かった。どうやら乗っている路線によってかなり勝手が違うらしい。
今からでも移動しようかな。そう思い、車内の方へと目を向ける。
そこで初めて彼の姿に気づいた。
なんと歩が恋をしているあの細見が、同じ電車に乗っていたのだ。
やだ、どうしよう。嬉しいけど、心の準備ができていないよ!
細見も歩と同じように立っていた。車両の後ろの方の扉に数人の友達といる。そのうちの何人かは歩も知っている。細見といつもバスケをしている友達だ。
気づいたからには緊張して動くことができない。慌てて視線を逸らしたが、やはり気になって視線をそっちの方に戻してしまう。
歩は景色を見る振りをしながら細見をチラチラと見ていた。度々開閉する扉もまったく気にならなくなった。
しばらくそうしていたが、彼の友達に見られているような気がした。
もしかして私が見ていることに気づいた?
細見さんも私のことに気づいているのかもしれない。
どうしよう、やだ、嫌わないで!
歩が真っ先に思ったのは、それだった。
それ以降は、細見がいる方に視線を向けることができなかった。彼らがいつ電車から降りたのかもわからない。
だが、歩が降りる駅までに降りたのは確実だった。その時には彼らの姿は車内から消えていたのだから。
電車から降りても、まだ心臓が落ち着いてくれない。その心臓を抱えたまま改札を出ると、真子の姿が見えた。バイトの初日なのでわざわざ迎えに来てくれていたのだ。
「あっ、歩ちゃん。こっち、こっち!」
「まっちゃん、おはよう。もう来てくれていたんだ。ありがとう」
「そんな、お礼なんていいよ。むしろお礼を言うのは私の方だよ。わざわざここまで来てくれてありがとう。柏原市街の方がいいバイト先があったはずなのに。バイトだから交通費が出ないかもしれないの。もし本当に出ないのなら、違うバイトにしてくれてもいいからね」
真子は申し訳なさそうだった。
交通費が出ないのは歩にとってかなり痛い。真子の言う通り、家の近くで別のバイトを探した方が絶対にいいはずだ。
それでも歩としては、引き受けたからには最後までやり通さないといけない。それにお金は欲しいが、真子の想い人を見たい気持ちが大きかった。
「まっちゃんがそんなに気にすることなんて無いよ。2週間だけだし、大丈夫。今更断らないからね」
「ありがとう。あっ、今日は店長とそういった話をするだけなんでしょ。私はレジに入るけど、終わったらゆっくり買い物でもしていって。確か宮本さんも今日はバイトに出ているはずだよ。時間があれば歩ちゃんのことを紹介するね」
えっ、もう宮本さんが見られるの!
ど、どうしよう、心の準備がまだできていないよ。
さっきのことで相当心が乱されていたのだ。落ち着くまでもう少し時間が欲しい。
それでも歩の心情を知らない真子は、嬉々としながら歩を促す。
「さ、早く行こう。バイト先はここから歩いて10分くらいなんだ。今から行けば宮本さんの休憩時間に間に合うかもしれない」
えぇっ、行ってすぐに宮本さんに会うのー!
歩は慌てたが、それでも断るわけにはいかない。
「あっ、そ、そうだね。こんなところにいつまでも立っているわけにはいかないもんね。まっちゃん、行こう」
「うん、じゃあ、ついてきて」
そうして2人は駅を後にしたのだった。
10分後、冬休みに歩がバイトをするスーパーに着いた。外観は至って普通だった。どこにでもある田舎のスーパーといった感じだ。さほど大きくはない。まだ中に入って確かめてはいないが、食料品しか売っていないだろう。
まっちゃんは終わったらゆっくり買い物をしてって言ったけど、何を買えばいいのだろう。おやつくらいしか買うものが無いのだけど。
舞だったら店長との話が終わった後はすぐに帰るだろうが、律儀な歩はそんなことで悩んでいた。
そんな歩の傍で、真子が大きな声を出した。
「あっ、宮本さーん!」
真子の視線の先には背が高そうな男性がいた。その男性はエプロンをしているし、倉庫にあるダンボールを見ていたので一目でこの店の店員だということがわかる。しかも真子の大声でその男性の名前までわかってしまった。
真子に呼ばれた男性は、真子の姿を見て微笑んだ。
「まっちゃん、おはよう。今日は少し早い出勤なんだね」
「私はいつもと同じ時間から入るんだよ。私の友達が冬休みの間ここでバイトをしてくれるから、今日はその案内の為に少し早く来たんだ。長谷川歩ちゃんって言うの。私の高校の友達だよ。あっ、歩ちゃん。この人が宮本さん。同じバイト仲間なんだ」
真子は歩と宮本を簡潔に紹介した。
「そういえば明日からバイトに入ってくれる子がいるって店長が言っていたな。歩ちゃんだよね。オレは宮本蓮と言います。T大学の2年生だ。よろしくな」
宮本が挨拶してくれたので、歩も慌てて挨拶をする。
「あっ、私は長谷川歩と言います。冬休みの間だけになりますけど、よろしくお願いします」
挨拶だけではなくて律儀にお辞儀までした。
舞がこの場面を見ていたら、『さすが、歩ちゃん』礼儀がなっているわ。と感激していただろう。
お互いの紹介が終わったので、次は店長のところに案内してくれるのだろう。
歩はそう思っていたが、真子はこの場から動かなかった。歩のことをすっかり忘れているのか、輝くような笑顔で宮本と話し始めたのだ。宮本も真子くらいの笑顔とまではいかないものの、微笑んで対応している。
えぇっ、まっちゃんって、男の人とこんなにも話せるんだ!
学校での真子は男子とこんな風に話したことが無い。真子自身も男子と話すのは苦手だと言っていた。
それなのに今、自分の目の前で凄く仲が良さそうに男性と話しているのだから、歩の驚きはかなりのものだった。
「お年玉、頂戴」
「オレの方が欲しいわ」
歩が呆然としているうちに、話がいつの間にか正月のことに飛んでいる。
もしかしなくてもまっちゃんって…私のことを忘れているよね?
この調子だといつ終わるのかわからない。店長は開店時間までに来て欲しいようなことを言っていたので、これ以上遅くなるとマズイだろう。
さすがにもう待っていられない。歩は自分だけで店長のところに行くことにした。
行く前に、真子に耳打ちをする。
「頑張れ」
真子には聞こえていたはずだが、見事にスルーされてしまった。相変わらず宮本と楽しく話している。
歩は少し哀しかった。
歩は自分だけで店内に入ると、他の店員に店長の居場所を聞いて店長のところに行った。そしてそこで10分くらい、店長から明日からのことを聞いた。その後は女性店員から制服をもらったり、ロッカーを案内してもらったりしていたのだが、その間も真子は歩の前に姿を現さなかった。
結局、真子が現れる前に歩の用事がすべて終わってしまった。
真子と別れた場所まで戻ってみよう。そう思い、店の外に出ようとすると、真子が店内に入ってきた。
「歩ちゃん、案内できなくてごめんね。でも、いつの間に行ってたの?」
どうやら歩の囁きは真子には聞こえてなかったようだ。
あんなにも耳の近くではっきりと言ったのに!
それだけ宮本との話に夢中になっていたのだろう。
それなのにまだ宮本よりも高尾の方が好きだと言うのだろうか。
「行く前に声をかけたんだけどな。話に夢中で聞こえなかったんだね。でも、店長はすぐにわかったし、大丈夫だったよ。まっちゃんはこれからバイトなんでしょ。頑張ってね」
「うん、宮本さんにさっき千円をもらったから、今日はいつも以上に頑張れるよ」
千円って、羨ましい!
「じゃあ、私は帰るね。明日からよろしく」
「うん、一緒に頑張ろうね」
歩は真子と挨拶を交わすと、店をあとにした。
それにしても…本当に意外だったな。
でも、あれはもう完全に恋に落ちちゃっているでしょ!
いい加減に認めたらいいのに。
歩はそう思いながらも、顔はほころんでいた。
自分の存在を忘れられていたけど、真子の恋がようやく動き出しそうだったので凄く嬉しかったのだ。
それにしても…まっちゃんって、やっぱり高尾君みたいな顔が好きなのかな。
宮本さんもそっち系の顔だったから、それがどうも気になるのよね。
とはいっても2人共凄く楽しそうだったから、高尾君の時みたいにはならないとは思うのだけど。
その高尾は、秋頃に彼女と別れていた。どうやら高尾の方から別れ話を切り出したらしい。『デザインコースだから、課題が沢山あって時間がとれない』と言っていたようだが、同じコースの響歌は『それ、絶対に嘘だから。今はまだそんなに課題なんて出ていないもの』と否定していた。
別れた本当の理由は別にあるのだろうが、それでも高尾がフリーなのは間違いがない。だから高尾を想ったままでもいいのだろうが、やはり真子は未だに高尾とは話せていないので宮本の方に行って欲しい。これが歩を含めたみんなの思いだった。
今度こそ上手くいって欲しいなぁ。
いや、上手くいかせたい!
最近、歩のまわりはすっかり枯れムードだった。
浮いた話がまったく無くなってしまったのだ!
4組のみんなはほとんど恋愛していなさそうだし、5組のみんなも浮いた話をしなくなってしまった。
はっきりいって、歩はとても不満だった。
もう、みんな、どうしちゃったのよ~。
特に舞と響歌は、最近は恋愛よりもサークルの方に力を入れているので、恋愛の方は全然進展が無いのだ。
あの2人は恋愛に集中するべきなのに!
ムッチーはまだ中葉君と決着がついていないし、響ちゃんなんて中途半端なまま止まっているんだから。
それでも響ちゃんの場合は、橋本君次第という感じでもあるのだけど。橋本君もいきなりどうしてしまったのだろう。響ちゃんの話だといきなり不愛想になったみたいだけど、絶対に何か理由があると思うんだけどなぁ。響ちゃんのことをたまに見ているような気がするし。
響ちゃんは響ちゃんで、橋本君に絞ってはいないような気がするんだよね。
黒崎君のこと、本当に忘れられたのだろうか。
黒崎君も夏に年上の彼女ができたみたいだけど、それもまた1カ月で別れたというから無理に忘れることなんて無いと思うのだけど。
ムッチーも中葉君とはもう完全決着をさせて新たな恋に向かって欲しいよ。絶対にムッチーは川崎君に気持ちが戻っているんだから!
舞は川崎に気持ちが戻ったことを周りに隠しているつもりだったが、はっきりいってバレバレだった。
なんとかして2人を動かしたい。歩はずっとそう思っていたが、何も方法が浮かばず焦れる毎日を送っていた。
そんな中で急上昇したのが真子の恋愛だ。一時はドツボに嵌っていた彼女だったが、宮本の登場によって形勢逆転したようなものだった。
あれくらい仲が良ければ、成就するのも時間の問題だよ!
あとはまっちゃんが自分の気持ちを自覚することだよね。
歩は久し振りに訪れた恋の予感に心を弾ませていた。
それでもやっぱり気になるのは細見のこと。
今までは見ているだけでいいと思っていた。
見ているだけでとても幸せだった。
でも、もうすぐ彼は卒業してしまう。
彼が比良木高校にいてくれるのはあと3カ月だけだ。いや、もう2月になると3年生はほとんど学校に来なくなるので1月しか見られなくなってしまう
このまま見ているだけで本当にいいの?
来年になると、もういなくなっちゃうのよ?
ムッチー達をどうこうするよりも、自分のことをした方がいいんじゃないの?
歩は帰りの電車に揺られながら、ずっと自問自答していた。