少女達の青春群像           ~舞、その愛~
 歩と亜希は舞と響歌に説明した翌日に早速実行した。

 亜希が筆跡を変えて書いたラブレターを朝一で橋本の靴箱の中に入れたのだ。もちろん住所は書いていない。名前も、だ。苗字も『足達』のままでいった。文章も後輩だと思わせるように敬語を使った。これでしばらく様子を見るつもりだ。

 歩の席は、実は橋本の前だ。しかも一番後ろなので、彼が隣の席の木原と話をしない限り様子が一切わからない。

 ここまで近すぎると後ろをチラッと見ることもできない。席替えで自分の席が橋本の前だとわかった時は響歌に橋本の情報が提供できると喜んだが、かえって動きにくくなってしまっていた。

 それでも木原との会話は聞こえるので、どんな会話をしていたのか教えてあげられてはいたのだが…

 響歌への情報提供は、歩の他にも舞がしていた。それでも舞の情報の内容はというと、1時間目、現代文…真面目に授業を受けていた。2、3時間目、家庭科…木原君とずっとおしゃべり。4時間目、社会…真面目だった。5時間目……といった、はっきりいってもらってもまったく嬉しくない情報だったのだが。

 何も様子がわからないまま2、3日が経過した。今度は『足達の友達』として歩が橋本に電話をかけることになった。自分だけでは不安なので亜希に一緒にいてもらっている。もちろん自分のスマホは使わない。家電ももってのほかだ。非通知設定も止めておいた。歩はわざわざ公衆電話を探し出して、そこから橋本家の電話にかけた。その手には、シナリオを書いた紙がある。

 絶対に誰かがいるであろう時間を狙ってかけたので、電話をとったのは橋本の母親らしき人だった。

「あの、私、足達と言いますが、英明君はいらっしゃいますか」

 激しくなる心臓を無視して冷静さを保ち、いつもよりも少し高めの声を出した。

 隣には亜希がいて、肩に手を置いてくれている。

「はい、ちょっと待っていてね」

 女性がそう言うと、保留音が流れ出した。やっぱり橋本は家にいるようだ。

「歩ちゃん、頑張れ」

 亜希が小声で励ましてくれる。

「うん、頑張るね」

 歩も小声で返した。

 保留音が消えて橋本の声がする。

「はい、代わりました」

 よし、やるぞ。

 歩は自分に気合を入れると、高い声を出した。

「私、1年の足達さんの友達ですが、足達さんからの手紙は見てもらえましたか?」

「はい、見ました」

 何故か敬語で応じる橋本。

「ところで、今は好きな人なんかはいるのでしょうか?」

「いません」

 やはり敬語で応じる橋本。

 それにしても、もう少しは話してくれないだろうか。これじゃ、会話が続かない。

「あの、以前、葉月さんとつき合っているという噂があったのですが、本当なのでしょうか?」

「違います」

 またもや敬語で応じる橋本。

「あ、そうだったんですか。じゃあ、今は好きな人がいないっていうことで受け取っていいんですね?」

「そうです」

 まだ敬語で応じる橋本。

 これじゃ、間がもたない。

 この人って、こんなに無口だったっけ?

「わかりました。では、彼女にはそういう風に伝えておきますね。話してくれてありがとうございました」

「いえ」

 最後まで敬語で応じた橋本。

 電話を切った後、一気に疲れが出た。

「はぁっ、疲れたぁ」

「歩ちゃん、お疲れ様。なんだか大変そうだったね」

 早速、亜希が労ってくれる。

「こんなに話してくれないとは思わなかったよ。私もそんなに聞きだすのって得意な方じゃないし。もしかして人選を間違えたかなぁ。私じゃない人が電話をかける方が良かったかもしれない」

「それって、私しかいないじゃない。あんなの、私でも無理だわ。ムッチーも無理そうだし、こういったことに一番適任な響ちゃんは、電話の声を橋本君に知られているもの。やっぱり歩ちゃんが良かったんだよ。それに一応は聞きたいことが聞けてよかったんじゃない?」

「そうだと思いたいけど、凄く警戒されているみたいだったから本心とは思えないよ。もしかして私だってバレたかなぁ。明日、学校に行くのが怖いよ」

 歩は不安だった。やらない方が良かったかもしれないと後悔もしてしまう。

「大丈夫だって。多分バレていないよ。もしバレていたとしても、その時は私も一緒に怒られるから。もちろん響ちゃんの名前は絶対に出さないでおこうね。私らが勝手にしたことだって言おう。そして謝ろう。その後で、私らも橋本君を怒ろうよ。響ちゃんのことでは私も橋本君に言いたいことがあるんだから!」

 亜希の優しさに、歩は泣けてきそうだった。

 それでも言い出しっぺの自分が泣くわけにはいかない。橋本に怒られる覚悟を決めた。

「亜希ちゃん、ありがとう。取り敢えずやるべきことはやったから、明日には響ちゃんとムッチーに終了したことを伝えよう。放課後あたりでいいかな?」

「そうだね、明日は私も響ちゃんもデザインの課題で実習棟にいると思う。それでも実習棟まで来てくれたら抜け出すから、ムッチーと2人で来て」

「わかった、そうするね」

 2人は明日のことを簡単に打ち合わせをした後、それぞれ帰途についた。



 その翌日、歩はドキドキしながら登校した。橋本は既に来ていて、男子達と後ろの方で話している。その姿を見る限り、彼はいつも通りだった。

 橋本君、昨日のことをどう思っているんだろう?

 不安だが、なるようになるしかない。橋本に声をかけられるまでは自然なように過ごすよう努力をした。

 事が動いたのは3時間目の家庭科の授業中だった。

 家庭科の先生は5組と同じで古村(こむら)という中年の女性だ。彼女の授業は真面目に聞いていても何を話しているのかよくわからない。だから4、5組共、家庭科の授業はおしゃべりの時間になっていた。

 今日もよくわからないことを渕山のようにクドクドと話している。声を聞いているだけでよく眠れそうだ。

 実際に寝ている人もあちこちで見かけるが、歩は真面目だったので眠気に耐えながらノートをとっていた。

 その時、後ろの席の2人が雑談を始めた。情報係の癖で、つい意識がそっちの方に集中する。

 それでも最初は他愛もない話をしていたが、なんと橋本があのことを切り出したのだ!

「そういえば昨日、変な電話があったんだよな」

 昨日って、変な電話って!

「変な電話って、なんなんだ?」

 声だけしかわからないが、木原は怪訝そうだ。

「ほら、何日か前に手紙をもらったって言っただろ」

「苗字しか書いてなかったっていう、アレか?」

「そう、その友達とやらが電話をしてきたんだ」

 これはもう完全に私達の作戦のことを話している!

 さっきまでの眠気なんて完全に吹き飛んでしまった。ドキドキしながら後ろの会話に集中する。

「なんで友達が、わざわざお前のところに電話をかけてくるんだよ」

「さぁ、それは聞いていない」

「そこは聞いておくべきだろ。本当に手紙の奴の友達だったのか?」

「そうだと思うけど」

「で、なんでその友達は、お前のところに電話をかけてきたんだよ」

「好きな人はいるのかって訊かれたけど…」

「それでお前はどう答えたんだ」

「いないって言った」

「なんでいるって言わなかったんだ」

 後ろの会話を忘れないよう、必死にメモを取っていく。

「足達って、誰だろう?」

「オレが知るわけがないだろ」

「1年といっても、同じ高校とは限らないし…」

 これは…大丈夫そう。私のことはバレていない。

 歩は安堵して息を吐いた。

 放課後になるのがとても楽しみだった。



 放課後の実習棟。

 3人は空き教室で歩から作戦の報告を聞いていた。

 昨日の時点では失敗に終わったと思っていたが、形勢逆転だった。まさか後でこんなおまけがついているとは4人共想像していなかった。

 歩が嬉々としながら報告を終えるなり、舞がねぎらいの言葉をかける。

「歩ちゃん、お疲れ様。結局は何もわからない状態だけど、ハッシーの反応が楽し過ぎたから、私は大満足だよ!」

 これだと褒めているのかけなしているのかわからない。

 それでも歩はおおらかなのか、自分だとバレなくて安堵していたからなのか、その言葉には突っ込まなかった。

「でも、橋本君はいいとして、問題は木原君よ。彼の方は終始疑っているような感じだったんでしょ?」

 亜希の疑問に、歩もその顔を引き締める。

「そうなんだよね。そんなに話には乗ってこなかった感じだったし、やっぱり木原君には疑われているのかなぁ」

「でも、一応は昨日の電話で作戦は終わりなんでしょ。それだったら木原君に疑われていてもいいんじゃないの?」

 響歌が安心させるように言った。

「そう…だね。それに橋本君の方は、そんなにも疑っていなかった感じだったから…」

「それにしてもまさか橋本君が、他校生かもしれないと思ってくれていたとはねぇ。これなんて、まさに私達の『思うツボ』でしょ。橋本君は比良木の人だよ。普通に考えたら比良木生ってわかるでしょうが。この調子なら、いくら木原君が疑ったところで絶対にバレないって」

 歩はまだ心配していたが、亜希は安心していた。

 どちらにしても橋本への作戦は終了したのだ。これ以上はすることが無い。

 その時、響歌が歩と亜希に言った。

「でもさ、疑っていないのなら、いつでもいいから完結させておくべきだよ。卒業間近でもいいから、先輩のことは諦めたといったメッセージを橋本君にしておかないと。放置状態だと、信じ切っている橋本君が可哀想でしょ」

 響ちゃんってば、ハッシーにあんな仕打ちをされているのに、なんて健気なの!

 舞は響歌の言葉に感動した。

 他の2人も、思うところがあったらしく受け入れた。

「そうだね。そうした方がいいのかもしれない」

 そう、歩が言えば。

「今すぐには無理だけど、きちんと覚えておいて完結させよう。時期はやっぱり卒業間近がいいよね。卒業おめでとうという言葉と共に、先輩のことは好きだったけど諦めたっていうような手紙でも出しておくわ」

 亜希も完結させることを約束した。

 その時、感動していた舞が、おずおずと切り出した。

「あの…みんな、できればでいいんだけど。この作戦、テツヤ君の方にもできないかな?」

 …は?

 みんなが驚いて舞の方を見た。

 舞は3人に注目されて焦ったけど、意を決して言う。

「チョコを渡す前に、どうしてもテツヤ君の好きな人のことを知りたいんだよ。この間、木原君と高尾君に、テツヤ君が『好きな人は誰だ!』と迫られていたから」

 その話は歩も知っている。他にも『宮内方面か?』とか『そこまで言ったら教えろ』と迫られていた。2人があそこまで食いついていたということは、川崎には本当に好きな人がいて、しかも同じ高校の可能性が高い。

 凄く気になったが、結局わからないままだった。

「お嬢様がどうのとも聞こえてきたから違うのかもしれないけど。でも…私はどうも響ちゃんのような気がして。だったらチョコをあげない方がいいかなって、どうしても考えてしまうんだ。私が告白してしまうと、テツヤ君が身動き取れなくなってしまうから」

 舞の言葉に、響歌達は呆然としてしまった。

 あんなにも川崎との恋の成就を信じていた舞が、川崎を気遣っている。川崎の好きな人がもし響歌なら、自分は身を引こうとしているのだ。

 入学当初に比べるとかなり変わってきている。真子とのことでは特にそれが感じられた。

 それに加えてここでも舞の成長を感じられて、みんな感動してしまった。

「そんな気遣いはしなくてもいいよ。川崎君が誰を好きでも、ムッチーは自分の想いを封じ込めない方がいい。そんなことをしたら後で絶対に後悔するよ。ねぇ、ムッチー。そんなことは気にしないで頑張ろう」

 歩が舞を励ました。

「ムッチーも本当にしつこく言うわよねぇ。そんなにも川崎君は私のことが好きだと思うんだ。そりゃ、私は彼とよく話しているけど、それだけでそっち方面に結びつけない方がいいよ。それにもし仮に川崎君が私のことを好きだとしても、私が好きな人は別の人なんだから気にせずにいけばいいのよ」

 響歌も呆れた響きもあったが、歩に続いて励ました。

「でも…」

 どうしても『遠慮しとくわ』が頭にこびりついて離れないのだ。川崎はあの時、苦笑いをしていた。冗談でも響歌にそんなことを言われたくなかったのかもしれない。

 私のせいでテツヤ君が傷ついたかもしれない!

 あの時のことを鮮明にい思い出してしまい、舞は落ち込んだ。

 亜希は正直なところ最初は気が乗らなかったが、舞の滅多にないこの姿を見て、してあげたいという気になった。

「わかった、川崎君の作戦も立てることにする。でも、それによって作戦がバレる可能性も、橋本君のと一緒に高まってしまうけど、それでもいいかな?もちろんバレないように工夫はするよ。それに川崎君に対しては、彼は別に悪いことをしていないから申し訳ない気もするんだけど」

 それでもやっぱり口に出した通り、川崎に対して悪いような気がしているのだが。

 その時、響歌が言った。

「まぁ、それでムッチーの気が済むのなら…ね。私もちょっと悪い気はするけど、実際にも川崎君は1年の子に好かれているっぽいから、丸っきり嘘にはならないでしょ」

「えっ、そうだったんだ。でも、川崎君って背は低いけど端正な顔立ちをしているから、そんな人も結構いるかもしれないよね。顔だけでいえば、2年の経済科の男子の中で1番かもしれない」

 歩が川崎を褒めてくれたので、舞は上機嫌になった。

「やっぱり歩ちゃんもそう思うんだ。そうなのよ、テツヤ君って、ほんっっっとうにカッコイイのよ。隠れファンクラブがいてもおかしくない程よね。世間では高尾君がカッコイイという話だけど、とんでもないよ。頬がこけているし、目だって小さいじゃない。それなのに背が高いというだけでモテているの。はっきりいって私には理解できないよ」

「そうそう、それについては私も賛成だわ。顔だけでいえば、高尾君よりも断然川崎君の方がカッコイイわよ。だいたいあの人は何もかもがペラいのよ。器も小さそうだしさ…」

 舞が高尾のことを持ち出したせいで話が脱線し始めた。亜希もここぞとばかりに高尾の悪口を言い始めた。最近は真子に遠慮していたお陰で、言いたいことが言えずに鬱憤が溜まっていたのだ。

 それでも亜希まで参加されたら、話が明後日の方にいってしまう。

「ちょっと、お2人さん。今は川崎君の話をしているんだから。作戦をするのなら、今すぐにも作戦を練らないといけないでしょ。高尾君のことを話している暇なんて無いわよ」

 響歌が注意をすると、歩も同意する。

「そうだよ、高尾君のことなら帰りに私が聞いてあげるから、亜希ちゃんはしばらく我慢して。で、ムッチー、どうするの。本当にして欲しい?」

「うん、やっぱり気になるから。もちろん橋本君のような結果になるかもしれないけど、それでもいいよ。バレた時は私も一緒に怒られるから。お願いできるかな?」

 自分が怒られる羽目になっても、橋本のように何もわからずじまいでも、作戦は実行して欲しいようだ。

 亜希は話を途中で打ち切られた形になったけど、文句を言わずに話を進める。

「わかった。じゃあ、早速手紙を書くね。もちろん橋本君に使ったのとは違う便せんを使うよ。歩ちゃん、帰りに雑貨屋に行くからつき合ってくれる?」

「もちろん」

「そうだ、亜希ちゃん。今回はポストに投函するから切手も買っておいてくれるかな。できたら私に渡して。宮内のポストから投函するよ。それと電話をする時には、その人が宮内まで来てくれるかな。私の親戚が宮内駅の近くに住んでいるから、今回はその家の電話を使わせてもらおうと思うの。多分、川崎君なら手紙の相手を突き止めようとはしないだろうから、それで大丈夫だと思う。かえって公衆電話からの方が怪しまれそうだわ。それに今回は、全部偽名でいいからフルネームにしよう。さすがにあの人は聡そうだし、変に隠さない方が無難だと思う」

 響歌は思いつくままに亜希に指示を出した。今回、初めて作戦に参加する割には手慣れている。

 もしかしてこういったことをやったことがあるのだろうか。そう思い、舞が訊くと『そんなわけないでしょ』と一蹴していたが…

「確かにラブレターなのに苗字だけなのは変だもんね。だからこそ木原君は怪しんだのかもしれないもの。できるだけ橋本君の時とは被らないようにしよう。ということは今回の場合は、比良木高校とは別の生徒という設定でいくんだね」

「そうした方がいいでしょ。同じ学校だと危険だよ。どこかで見て、一目惚れみたいな設定でいいんじゃないかな。あの人が帰る時間帯って、他校の生徒も宮内駅に多くいるしね。できるだけぼかしながら、橋本君と離れた設定にした方がいいよ」

 亜希と響歌が話していると、歩がそこにおずおずとしながら入ってきた。

「でも、響ちゃん。やっぱり電話をする時は友達としてかけたいんだけど…橋本君と被るからダメかな。本人としてかけるのは、さすがにちょっと…」

 要は、恥ずかしくてできないと言いたいらしい。

 本当は本人としてかけた方が警戒されないだろう。それでも歩に任せるのなら、友達としてやってもらった方がいい。歩が安心できるし、その分スムーズに進められるだろうから。歩のやる気を下げてしまうと、成功するものも失敗してしまう。

 そう考えた響歌は、歩の要求を呑むことにした。

「それが歩ちゃんにとって一番やりやすいのなら、そうしていいわよ。というよりもこれって、歩ちゃんが率先してやっている作戦じゃないの。自分で決めていいよ。私は気づいたことをちょっとアドバイスしただけだから」

 あくまで自分は率先してしない。響歌の言葉から、そのことがわかった。

「川崎君って、表面上はクールな少年って感じで警戒心も強そうに見えるけど、実際はそうでもないから。かえって橋本君の方が、そういったものに異様に警戒するタイプだわ。融通も効かなさそうだしね。だから昨日も、敬語で一言づくめだったのよ」

 さすが2人と話したことがある響歌。彼らの性格を把握していた。

 今回は響歌の意見を参考にした方がいい。もしかしたら後で男子達の間でそういった話題になるかもしれないのだ。その時の為にも、前回よりも練りに練らなければならない。

「多分、橋本君も川崎君も、男子全員には話さないと思う。橋本君が木原君に話したのは、橋本君にとって木原君が一番仲のいい友達だからよ。多分、木原君以外の男子には…話さないんじゃないかな。特に川崎君の方は他の男子に話すとは思えない。それでももし彼が話すとしたら橋本君にだと思うから、危険は危険なんだけどね」

 だからこそ響歌は、できるだけ作戦の内容が被らないようにしたいのだ。

「それじゃあ、川崎君が橋本君に話したら終わりなんじゃないの?」

 亜希が響歌に訊くと、響歌は肩をすくめた。

「だから、話すとしたら…と付け加えたでしょ。実際は話さない可能性の方が高いのよ。川崎君って、自分のことをペラペラとしゃべらないもの。これがまた黒崎君や高尾君あたりだったら、今頃は男子全員に知られていただろうけどね」

 怖い可能性を示唆してくれる。

 それでも確かに黒崎や高尾あたりだとすべての男子に知れ渡っていただろう。今頃は男子全員で誰が差出人なのか考えていたかもしれない。

 舞は冷や汗が出てきた。

「響ちゃん、ハッシーの方で良かったね」

 つい響歌の手を握りしめてそんなことを言ってしまった。

「まぁ、川崎君が橋本君に話さないことを願っていましょ。そういえば川崎君って、中学の時は陸上部だったよね。陸上の大会で彼を見て惚れたというような具体的な設定でいった方が、今度の場合はいいような気がする。どの大会に出ていたか、ちょっと後で調べてみるわ」

「素晴らしいよ、響ちゃん。やっぱり響ちゃんって、過去にこういったことをしたことがあるんでしょ!」

 響歌の両手を握ったまま失礼なことを言う舞。

「だから無いって言っているでしょ。で、歩ちゃんと亜希ちゃんの意見はどう。橋本君のように曖昧にした方がいい?」

 響歌は舞を嫌そうに振りほどくと歩と亜希に向かった。この作戦はあくまでも彼女達が率先してやっていること。だからこれも提案しただけだ。彼女達が了承しなければやるつもりは無い。

 歩は少し考えた後、響歌の提案を受け入れた。

「うん、それでいいと思う。実は橋本君の時にそう後悔したの。あまりにもぼかし過ぎたから、あんなに警戒されたのかもしれないって。さすがに一言ばかりだと話が続かないよ」

「ほんと、警戒されていたよね。その時の不愛想な顔まで想像できてしまったわよ。でも、あの人ってそんな時が多いよね。笑ったところを見たことって、そういえば無いなぁ」

 亜希は橋本とあまり接点が無いので橋本自体をよく見たことはないのだが、それでもたまに見かける彼はいつも無表情のような感じだった。

 橋本はレベル的でいえば普通なのだが、実は笑顔がいいのだ。舞風に言えば『笑顔がス・テ・キ』といったところだろうか。

 響歌は彼の笑顔を何度も見たことがあるし、ずっと彼と同じクラスの2人もそうだった。だから今の亜希の発言には驚いた。

 それでも舞と歩は最初こそ驚いたものの、最近の彼を思い出して納得してしまった。

「私らと一緒にいる時はよく笑っていたんだけどなぁ。言われてみれば、私も最近はムスッとしているところしか見たことが無いかもしれない。あの人は笑顔しかチャームポイントが無いんだからもっと笑うべきなのに」

 舞が橋本に対して酷いことを言っている。

「というよりも、響ちゃんと離れてから笑顔が少なくなったかもしれないよね。さすがに中葉君くらいにどんよりとはしていないけど。それでも笑顔だけしかチャームポイントが無いというのはさすがに橋本君に失礼だよ、ムッチー」

 歩が舞を注意したけど、舞は素知らぬ顔だ。

「そりゃ、私に怒っていたら笑顔も少なくなるでしょうよ。取り敢えず2人の了解を得たし、今日はこの辺で帰るね。すぐに川崎君について調べたいから。ムッチーはどうする?」

 デザインの作品制作中だというのに、響歌はもう切り上げるようだ。

「もちろん一緒に帰るよ。だってあの人もまだ残っているんでしょ。わざわざ危険な橋なんて通らないって」

 舞も帰る気満々だ。

 歩と亜希もこれからレターセットを買いに行ったり、新たにできた作戦のことについて考えないといけないので、今日はもう帰ることにした。

 あれから響歌はすぐに他校の友達と連絡を取り、川崎の情報を仕入れた。その情報を元に、歩と亜希は川崎の作戦を考えた。

 川崎を好きな子は、川原結(かわはらゆい)。1学年上で、宮内市内に住んでいる。中学も高校も、その近くの学校だ。3年最後の夏の陸上の大会で200メートル走の予選に参加していた川崎の姿を見かけて好きになった。それでも彼のことはその時だけしか見かけなかった。諦めかけていた時、駅に向かう彼の姿を発見。消えかけていた想いに再び火がついた。自分の卒業が近づいてきたので、焦って告白をする。

 …といった設定でいくことにした。
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