少女達の青春群像           ~舞、その愛~

揺れ動く、響歌の恋心

 響歌は1人で視聴覚室の前にいた。すぐ傍にある階段に座り、何をするでもなく外を見ている。

 視聴覚室は教室が並ぶ北校舎とは反対の南校舎にあるので人が来ることは滅多に無い。だから何かを考えたい時や友達同士で秘密の話をする時には最適の場所だった。

 響歌もたまに舞とここに来たりしていのだが、1人で来たことは無かった。

 だが、今日は1人になりたい気分だったので、放課後になるとすぐにここにやってきた。

 まだ黒崎へのショックから立ち直っていなかったから。

 教室で舞達、バカップルを見るのが嫌だった、というのもある。そういった理由で、ここで電車が来るまでの時間を潰すことにした。

 でも…失敗、だったかなぁ。

 1人になると、どうしても黒崎と加藤のことを考えてしまう。つき合っている幸せそうな2人の姿を想像してしまう。

 これじゃあ、全然ダメだ。こんなので忘れられるのだろうか。

 目が涙で潤ってきた。

 その時、遠くから視聴覚室に向かってくる足音が聞こえてきた。

 慌てて涙を拭った響歌の前に現れたのは、なんと橋本だった。

 予想していなかった人物の登場に、響歌の両目が大きく開いた。

「久し振りじゃない。どうしたのよ、こんなところまで来て。もしかして私、お邪魔かしら?」

 橋本とは教室で毎日会っているが、最近話していなかったので自然に響歌の口から久し振りという言葉が出た。

「別に邪魔じゃない。お前がここにいるってわかっていたからな。さっき教室から出ていくのを見かけたからちょっと見に来たんだ。最近…いや、さすがにあの2人がいちゃついているところにはいたくなかったのか?」

 橋本は何か言いかけたような気がしたが、今はあまり突っ込む気にはなれない。響歌はそれを流した。

「そうだね。だって5組の教室って、今はもうあの2人だけしかいないでしょ。ムッチーは周りの目を気にしていたけど、中葉君の方は堂々とムッチーに寄り添っているんだもの。そりゃ、誰だって逃げ出したくなるわよ。あの2人、まさか卒業までずっとあんな調子じゃないでしょうね」

 本当にそうなってしまったら、みんなにとってはいい迷惑だ。今はつき合ったばかりだから大目に見るが、こんな状態が続くとなると少し注意しておかなければならないだろう。教室はあの2人だけのものではないのだから。

「確かにそうだよな。いちゃつくのなら、もっと別の場所でいちゃつけってな。お前さぁ、この学校にもそんな場所があるのを知っているか?」

「え、それって、どういうこと?」

「言葉通りのことだ。まぁ、こっちに来てみろ」

 橋本は視聴覚室の奥へと響歌を促した。

 そっちに行っても、行き止まりのはずなのに…

 響歌は怪訝に思いながらも橋本の後へと続く。

「もしかして…ここのこと?」

 何も無いと思い込んでいたが、どうやら部屋があったらしい。扉の傍には『女子休養室』と書かれてある。

 響歌は扉を開けようとしたが、案の定、鍵がかかっていて開かなかった。

 橋本が言った場所はここなのだろが、開かなければ確かめることなんてできやしない。

「あ~あ、中が見たかったのに」

 残念だけど、仕方がないか。使用しない部屋に鍵をかけるのって、当たり前のことだもんね。

 響歌は早々と諦めたが、その時、橋本がしゃがみ込み、扉を持ちあげるようにして持った。

 え、何をするつもり?

「こいつは開けるのにコツがいるんだよ」

 扉がガタガタと音を立てている。このままじゃ、壊れてしまいそうだ。

「えっ、ちょっと、壊さないでよ!」

 慌てて橋本を止めようとしたが、その前に音が止み、扉が開いた。

「ほら、これで開いた」

 目の前には畳二十畳くらいの広さの和室があった。それでも入口付近は洋風になっていて、簡単なソファセットが置いてある。確かに休養するにはもってこいの場所だ。

「ここの鍵は以前から壊れていたんだよ」

「なんで橋本君が、そんなことを知っているのよ?」

「そんなの、オレが壊したからに決まっているだろ」

 なんですって!

「それって器物破損じゃない。見つかったらどうするの!」

 響歌は焦ったが、当の橋本は涼しい顔をしている。

「見つかったら、大人しく説教でも受けるさ。それにこれはオレだけでやったんじゃないぞ。その時は中葉と黒崎、山田もいたんだ。ほら、グズグズ言っていないで中に入ってみろ」
 
響歌は橋本に促されて部屋の中に入ってみた。

「な、いちゃつくには最適の場所だろ」

 せめて落ち着くには最適の場所だと言って欲しい。

 響歌は橋本の露骨な表現にげんなりしたが、何も言わずに部屋の中を見渡した。

 和室には押入れがあったが、そこは何故か襖が開いたままになっていて、中に入っている座布団が丸見えになっている。

「ここって、泊まれそうでもあるんだけど。私達が知らなかっただけで、よく使用されているのかしらね?」

「そうでも無さそうだな。初めて入った時は埃まみれだったぞ。オレ達の努力のお陰でここまで綺麗な状態になったんだ」

 だからこれまでだと昼休みは4、5組の男子全員で集まっていたのに、最近は4人の姿がその中に無かったのか。

 いないと思っていたら、こんなところでくつろいでいたのね。

「でも、私に教えてもいいの。この部屋は4人の秘密部屋にしていたんでしょ?」

「まぁ、そんな感じなんだけどな。今日の昼休み、中葉が『ムッチーにも教えようかなぁ』と言っていたんだ。今井さんの耳に入ったら、どうせお前の耳に伝わるからな。オレもお前に教えたんだよ」

「ちょっ、あんた達の判断でそんなことを決めて良かったの。黒崎君と山田君も、私達にこの部屋が知られていいって言ってくれたの?」

「あいつらの方から『今井さんにも教えてやれよ』って、中葉に言ってきたんだよ。だから中葉もその気になって、お前と今井さんには知られてもいいという話になったんだ」

 橋本の言葉に、響歌の動きが止まった。

 ということは…私達の方も昼休みにムッチーから中葉君とのことを報告してもらったけど、中葉君も早々とみんなに報告をしていたのね。

 まぁ、今は今でああいった状態だから、遅くても今日中にはみんなが知ることになったのだろうけど。

 本来、舞は目立つことが大嫌いな性格だ。それなのに初めからこんなことで大丈夫なのだろうか。

 なんだか心配になってきたが、既に2人はつき合ってしまったのだからなるようにしかならないだろう。

 響歌は息を吐くと、せっかくだから…と思い、橋本の向かいにあるソファに座った。

「見た感じだと堅そうだったのに、座ったらそうでもないね。ところで橋本君、最近は私達を避けていたのに、今日はどうしたの?」

 響歌が一番気になっていたのは、この部屋でも、舞のことでも無い。自分の目の前にいる橋本だ。

 多分、好きな人のことを追求されたくなくて避けていたのだとは思う。だから避けていた理由については訊く気は無い。

 最初の頃はさすがに気になっていたが、その間に色々なことがあったので最近では橋本が来ないことも気になっていなかった。

 それが突然こうなのだ。態度だって普通だ。以前は『響歌ちゃん』と言ったりして響歌のことをからかっていたが、そういった感じも無くなっている。

 どういった心境の変化なのだろう。ようやく好きな人を教えてくれる気になったのだろうか。

「好きな人を教えてくれる気になったの?」

 響歌の単刀直入な質問に、橋本はうなだれた。

「まだそれを訊くのかよ。まぁ、そこまで知りたいのなら教えてもいいけどな。小長谷さんだよ」

 響歌は驚愕した。

 橋本があっさりと白状したのもそうだが、小長谷さんの方だとは思ってもみなかったのだ。

「えっー、小長谷さんだったの。絶対に加藤さんの方だと思っていたのに!」

「なんで絶対なんだ」

「だってクラスの女子の中で一番仲がいいじゃない。授業中でも話したりしているのを何度も目撃しているしね」

「授業中は加藤さんがオレに問題について質問してくるから、それに答えているだけだ」

 授業中以外でも仲がいいのに…

 橋本の言葉を聞いても、響歌はあまり納得できなかった。舞には小長谷の可能性もあると言ったが、それも可能性としては加藤よりも全然低かったのだ。

「じゃあ、何がきっかけで小長谷さんのことを好きになったのよ?」

 この質問にはあまり答えたくないのか、橋本が一瞬ためらった。

 それでも今回は逃げないらしく、仕方がない感じで答えた。

「他愛もないことなんだけど…1学期の物理の授業って、各自で問題を解いた後、みんなで答え合わせをしていくといった感じだっただろ」

 あの頃の物理は、まずは自分達の力で問題を解いてみるといった授業だった。それでも絶対に1人で解かなくてはいけないわけではなくて、仲間と一緒に解いても良かった。だから響歌はグループのみんなと机を合わせて一緒に解いていた。

 まぁ、そうはいっても私達の場合、ほとんどさっちゃんのお世話になっていたんだけどね。

「その時に、よく加藤さんと小長谷さんが、オレ達男子のところに問題の解き方を訊きに来ていたんだ。そこで少し小長谷さんと話す機会があったから…」

 へぇ、そういうことがあったんだ。

「それで話していて、いい人だなって思って好きになったんだ?」

 響歌がからかい口調で言うと、橋本が動揺した。

 あっ、当たっているのね。

「まぁ、小長谷さんの方で良かったじゃない。加藤さんだったら今頃は失恋真っ只中だもんね。でも、小長谷さんならフリーのはずだからチャンスもまだあるわよ。誰かに取られる前に行こう!」

 響歌は橋本をけしかけたが、橋本はそれに乗ってこない。それどころか嫌そうな顔をしていた。

「どうしたの、告白するのが怖いの。それとももう少し片想いを楽しみたいの?」

 それならそれでいいけど、その間に小長谷さんを誰かに取られたらどうするのだろう。その時になって後悔するような気がするんだけどなぁ。

 あっ、まさかもう振られてしまったとか。

 その可能性があるのをすっかり忘れていた!

 思えば、橋本君が私達になかなか好きな人を教えなかったのも、既に失恋していたからなんじゃないの。

「ごめんね、何も知らなかったとはいえ、こんなことを言って」

「…は?」

 響歌が謝ると、橋本は怪訝な顔をした。

「橋本君の心の奥底に封印してあった苦い思いを目覚めさせてしまって、本当にごめん。でも、橋本君はまだ若いんだし、この学校には女子が多いから、すぐに忘れて次にいけるって。だから…」

「お前、何か勘違いをしているだろ」

「…え?」

「オレは小長谷さんに告白したことも、フラれたことも無い」

 橋本はきっぱりと言った。

「えっー、だったらなんでそんなノリが悪いのよ。諦めたわけじゃないんでしょ」

 響歌は思わず立ち上がったが、橋本は座ったまま響歌を見上げた。

「いや、オレはもう小長谷さんのことは諦めたから」

「フラれてもいないのに諦めたって。ちょっと、それはなんでよ。なんで小長谷さんのことを諦めたの?」

 フラれてもいない。小長谷さんはまだフリーだ。そんな中で、なんで諦めてしまうのか。

 いったい何が原因でそうなったのよ。いや、そもそもそれなら最初から好きな人はいないって言ってくれたら良かったのに。散々焦らした挙句、諦めただなんて。それはないよ!

 しかも橋本の態度を見ていると、今の質問には答える気が無さそうだ。

「そこまでは教えない」

 案の定、あっさり拒否した。

「なんで!」

「お前にそこまで教える義理は無いからな」

「それはそうだけど…」

「これ以上はダメ」

「ケチッー!」

 響歌は食い下がったが、橋本も頑なだった。

「あっ、もう帰らなきゃいけない時間だ。じゃあな」

 橋本はソファから立ち上がると逃げるように部屋から出て行った。

 だが、響歌もここまで聞いたからには引き下がれない。急いで教室に戻って帰り支度をすると、目を丸くしている2人をよそに橋本の後を追った。
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