生贄姫完結記念【番外編】

その2、かつて英雄は、昔の教え子達の幸せを願う。

 ジード・マクファーレンがその少年に会ったのは、もちろん偶然ではなかった。
 隣国アルカナ王国の辺境地に、忌み子として捨てられた第3王子がいる。それ自体は別にどうでも良かった。
 ジードが気になったのは、その後の報告内容。

『わずか5歳で戦場の前線に立たされて、未だに死なずにそこに居続けている』

 それだけでも充分興味をそそられたが、

『戦場で全てを赤く染めるその様は、まるで"死"を体現したかのようだった』

 そう綴られた文に、ジードの口角が上がる。
 齢10を過ぎたばかりの子どもを表すには、あまりに重く、生々しい。

「会いに、行ってみるか」

 彼の放浪癖は趣味と実益を兼ねていた。
 武術の見込みのある若者をスカウトする事と、カナン王国の将来の脅威を早急に潰す事。

 その少年は、一体どっちだろうか?

 どちらに転んでも絶対面白いと自分の勘が言っている。久しぶりに血が騒いだ。

*********

 目的の少年は、あまりにあっさりと見つかった。黒い髪と青と金の不揃いな目。
 10歳を過ぎた王子だと言うのに、従者も護衛も1人もおらず、その顔には表情と呼べるものがおおよそ見当たらなかった。
 戦場では明らかに害意を持って不利な状況に立たされている場面が幾度となく見られたのに、その少年は全く意に介することなく、自身の射程内で有れば敵味方関係なく全て葬っていた。
 たった10歳の子が背負うにはあまりに物々しい殺気と威圧感。戦場でのテオドールは自分以外誰一人として信じていない、そんな目をしていた。
 コレで、独学。剣を振り回す彼を見てジードは目を見張った。
 死ぬことを全く恐れていない、その戦い方は、天賦のモノとしかいいようのない動きで、嫉妬すら覚える程の才能だった。
 これは、カナン王国にとって脅威でしかない。このまま成長すればいずれ自分でも倒せない相手になることは明白だった。
 その死を望まれ、辺境地で他部族との諍いや魔獣の討伐に明け暮れている今はいい。
 だが、緊迫状態にあるカナンとアルカナで戦争が勃発し、コレと戦場で渡りあった場合、自国が不利な状況になる可能性が高い。
 ならば、その芽は今詰むべきなのだろう。
それは、分かっていた。
 だが、一方でどうしようもなく湧き上がる感情があった。

『その剣の才を磨いてみたい』

 敵国の、それも将来の脅威になり得る相手の才を磨くなどあってはならないことなのだろう。それでも、どうしようもなくその願望は湧いた。
 もしも極限までその才能を磨き上げたなら、コレはどこまで行くのだろう、と。
 きっと全盛期の自分ですら足元にも及ばない。そんな相手と剣を交えることができたなら、それはどれほど面白いだろう。
 世界の広さと可能性の原石。剣士としてそれを見つけて血が滾らないわけがなかった。

 テオドールに声をかけた第一印象は、どうしようもなく小生意気で死にたがりのガキだった。
 ジードは揶揄うように絡んでは、袖にされる日々を楽しみながら、テオドールに余計な世話を焼いていった。
 そうした日々の中で気づく。まだたった10歳を数えたばかりの彼は、子どもでいることを許されなかったのだ、と。
 そしてその姿が弱音ひとつ吐かずに生き急いでいる、翡翠色の目をした可愛い孫娘の姿と重なった。

『世界は広く、奇跡で溢れている。こんなにワクワクする可能性や面白いモノを見ず、知らず、死ぬ気か、坊主?』

 これは、勝手な願望だ。ずっと面倒を見てやれるわけでもない。
 それでも、ここに自分がいる間だけは、どうしても子ども扱いしてやりたいと、ジードはそう思っていた。

 テオドールとジードが共に過ごした日々はたった半年足らず。それでもテオドールはその間に驚くほどの速度で剣の技術を磨いていった。
 剣を交わらせて吹き飛ばす一方で、ジードはテオドールに良い事も悪い事もたくさん教えていった。
 名前を呼ばれただけで、驚いたような顔をし、照れたように、

『うるせークソジジイ』

 と言った彼は年齢相応に見えて、ジードは孫のように可愛く思えたが、一方で腹は立ったのでとりあえずゲンコツは加えておいた。

 ジードは訓練後まだ酒の飲めないテオドールを毎回飲み屋に連れ回して、孫娘の自慢話を聞かせまくった。
 呆れたような顔をしながら、それでも離席することなく、毎回ついてくるテオドールはそれなりに律儀な子だった。

 テオドールが戦争になるかもしれない国の王子でなかったらと、ジードは幾度となく思った。もしそうでなかったら、自国に連れ帰りたいと思うほどに、彼を気に入っていた自分に驚いていた。
 が、連れ去るにはテオドールの背後に付いているものが多過ぎた。そんなテオドールにジードができた事は、ただ戦場で生き残る術を教えることだけだった。

************

「もう、会う事もないと思っていたんだがな」

 可愛い孫娘の元夫。政略結婚の縁も切れた今頃になって現れた、かつての教え子、テオドールに向けてジードはそう言った。

「久しいな、ジジイ。あんたそろそろ引退しろよ」

 ジジイの放浪癖のせいで探すのにかなり手間取ったじゃねぇかと文句を言いながら、テオドールは剣を仕舞う。

「悪いが生涯現役を掲げておってな。クソガキにここに来いと言った覚えもないわ」

 ジードは出番のなかった剣を仕舞う。ジードが倒すより早く、テオドールに倒されてしまったドラゴンを見上げて豪快に笑う。

「……強くなったな、テオドール」

 かつての英雄は12年ぶりに再会したかつての教え子に、嬉しそうにそう言った。

 かつての教え子とこんな風に酒を酌み交わす日が来るとは思わなかった、とジードは笑いながら酌を受ける。
 そして、一気に煽ったあと、

「で、アルカナ王国の王弟殿下がわざわざこんな僻地までワシを尋ねて来た理由はなんじゃ? うちの可愛い孫娘泣かしやがって。切り刻むぞ、クソガキ」

 と割とガチなトーンでテオドールにそう言った。

「せめてもう少しゆっくり呑めよ。ジジイ。あんた全然変わってないな」

 テオドールは苦笑しながら、追加で酒をついでやる。

「もういい加減歳なんだから、酒も程々にしとけよ。リィが心配するだろうが」

 そう言ってテオドールも一口酒を呑む。
 そんなテオドールを見ながら、本当に大人になったのだなとジードは思う。

「うちの可愛い孫娘を勝手に愛称で呼ぶな」

「本人から許可得てんだよ」

 離婚前だけどと、付け足してテオドールは左手の指輪をなぞる。リーリエから貰った日から一度も外した事のない、目標。

「うちの可愛い孫娘の経歴にたった半年で離婚歴つけやがって」

「……返さずに済むならそうした。でも、あの時の俺には他に選択肢なかったんだよ」

「他にも、あったろうが」

 例えば、リーリエに魔術師であることを諦めさせて共にいる道だって、あっただろう。
 だが、テオドールは首を振る。

「俺は、リィが子どもみたいに目を輝かせながら魔術式描いてるの見るのが好きなんだ。リィは、自分については潔いくらい簡単に切り捨てるから、俺は何一つ諦めさせたくないんだよ」

 けっ、と悪態を吐きながらジードはテオドールの指輪を見る。随分傷だらけになっている緑に蜂蜜色のラインが入っているおもちゃのそれは、テオドールが誰を想っているのか一目で分かる。
 色は違うが似たようなものが孫娘の指から未だに離れていないこともジードは知っている。
 2人が共にいた期間はわずか半年足らず。それを上回る時間が流れても互いを忘れられずにいるのは明白だった。
 そうして孫娘を攫いに来れるだけの力をつけて、今ここに足を運んでいるのだからテオドールの本気度は嫌でも伝わる。

「アシュレイ公爵家にリーリエとの結婚の申し入れをしたが、断られた。ジード殿お力添えを頂けないだろうか」

 改まったようにテオドールはそう言い、ジードに深く頭を下げた。

「悪いが、簡単に手を離すような男に孫はやれん。今のお前ならいくらでも選び放題だろうが」

「リーリエでなければ意味がない。だから今、もう2度と手を離さずに済むように、努力してんだよ」

「リィは別にお前がいなくても平気だと思うが?」

「そうかもな。でも、俺はリーリエがいい」

「ワシに頼んだところで、リィは手に入らんが? リィの身分は公爵家にある」

「それは分かっている。でも、夫人にベタ惚れの公爵にとって、ジード殿の言葉は聞くに値するものだろう?」

 何せ公爵家に乗り込んで行って屋敷を破壊しても許されるレベルだ。おそらく、公爵にとって数少ない頭の上がらない人物だ。

「お前を推薦してやる理由がない」

「俺が未熟者なのは、重々承知している。だからまずはジード殿に認めてもらいたい。公爵にも、他の家族にも自分で認めてもらえるように努力する。だから、公爵と会えるように口利きしてもらえないか?」

「……随分、回りくどい事をするな」

 大国の王弟という身分と国でナンバー2の権力を保持し、揺るがないだけの後ろ盾もある今のテオドールなら、そんな事をしなくてもアシュレイ公爵に会う方法ならいくらでもあるだろう。

「そうだな。でも出来るなら、俺はリーリエが大事にしている、家族に認められて、彼女を迎えに行きたいと思っている。リーリエは家族を愛しているから。リーリエが大事にしているものは、俺も全部大事にしたい。今すぐには無理でもリーリエが望むならいつでも、家族と会えるようにしてやりたいし」

 そう言って穏やかな表情で笑うテオドールにジードは目を細める。
 あれから12年。あの頃の誰一人信じていない、物々しい雰囲気を背負った少年の面影はそこにはなく、随分と丸くなったなとジードは思う。

「なんだ、うちの孫娘に骨抜きにされたか」

 揶揄うつもりでいったジードの言葉に、

「ああ。アンタの孫娘自慢もうちょっと真面目に聞いておけばよかったなって思うくらい、焦がれてる」

 テオドールはなんの躊躇いもなく肯定する。

「……どうしようもない小生意気なガキだったのに、変わったな」

「そう、かもな。でも、俺が変わったんだとしたら、一番最初にそのキッカケをくれたのは、アンタだと思ってるから。……感謝、してる」

 テオドールは少し照れたようにそっぽをむいて、酒を飲みながらそうつぶやく。その横顔は初めてテオドールの名をジードが呼んだときの顔を思い出させた。
 ジードはテオドールの頭をガシガシと乱暴に撫でる。

「やめろ、クソジジイっ!!」

 痛ぇよと手をどけさせるテオドールにジードは破顔して笑う。

「デカくなったな、テオドール」

 今のテオドールなら、きっとリーリエの事を大事にして、彼女を守っていくだろう。ならば、託してみてもいいのかもしれない。

「まぁ、口利きしてやるかはこれから決める。ワシを説得してみせろよ」

 ニヤっと笑ったジードはそう言って、酒を煽り、テオドールのコップに並々酒を注ぐ。

「ああ、そのつもりだ」

 テオドールは注がれた酒を一口飲んで、静かにそう言った。
 
 テオドールがジードから公爵への謁見を口利きをしてもらえたのは、それから2ヶ月後の事だった。

 その2ヶ月の間にテオドールがジードから散々幼少期のリーリエについて自慢げに聞かされたのも、後にそれを知ったリーリエが恥ずかしさのあまり部屋から出てこなくなってテオドールが困ったのもまた別のお話である。
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