生贄姫完結記念【番外編】
その3、公爵夫人は旦那さまのルーツを辿る。
「新婚旅行……ですか?」
リーリエはミルクをたっぷり入れたカフェオレを飲みながら、テオドールの提案を聞き返す。
「ああ。一応まとまった休みが取れそうだし、リィが行きたいところがあればと思っているんだが」
前回は人質としての結婚だったため、表向きは屋敷内幽閉となっていたし、テオドールの配慮で出歩けても変装しての王都内のみの範囲でしか出かけていない。
だが、今回は正式に王弟殿下の正妃として嫁いでおり、結婚式も済んでアルテミス公爵夫人として広く周知済み。
堂々とどこへでも行ける身分なのだから、せっかくならリーリエが行きたい所に連れて行ってやりたいと思い本人に希望を確認してみたのだった。
「……どこでもいいですか?」
少し考えたあと、リーリエはそう尋ねる。
「可能なら国内だと助かる。国内でも正式に行くとなると連れて行く使用人の選定や護衛もいるし」
「2人で行きたい、は無理でしょうか?」
前々から行こうと思って計画していた場所がありましてと、リーリエは地図を取り出す。
「ここのところ旦那さまは特に忙しそうですし、旦那さまの長期出張に合わせて一人でこっそり行く予定だったのですけれど、可能なら一緒に行けると嬉しいなって」
トンっとリーリエが指した場所はアルテミス公爵領だった。
「……視察したい、ってことか?」
嫁いで来てからずっとリーリエは領地に関する資料を読み漁り続けている。
魔術師としての自身の仕事を続けながら、公爵夫人としての役目を果たして社交をこなし、領地運営について色々案を出してくれている。
「よく、たった2年でここまで立て直したなっていうのが正直な感想で、はっきりいって今のこの領地は不良債権の塊です」
リーリエは地図に目を落とす。そこは元々テオドールの実母の生家であるアルテミス伯爵家の領地と親戚筋の子爵家や男爵家の領地であった。
だが、18年前幽閉されていたリッカ妃が亡くなったと共に一族まとめて断罪され、領地は第二王子派の家臣たちに下賜され、いいように搾取されていた。
3年前のルイスの失脚を企てていた貴族たちを反逆罪で裁いた際に取り返し、国の保有となっていたものをテオドールが臣籍に下った際に公爵領として引き受けたものだった。
「たった15年でよくまぁ、ここまで荒らせたものです。領民はさぞ苦しかったでしょうね」
記録が物語る杜撰な経営と略奪の跡にリーリエは舌打ちしたくなる。
「旦那さまには王家を除いて血縁がおりませんし、仕事上旦那さまが王都で暮らす以上、本来なら私がすぐにでも領地で暮らすべきなのだと思います」
爵位を継いでも王城勤めのため王都で暮らす貴族は多々おり、その場合は先代や親戚が領地運営をすることも多い。
だが、そうできない場合は使用人などを置いての運営となる。リーリエと結婚する前のテオドールの場合は頼める親戚はいないため外部委託一択しか無かった。
「委託するにしろ、私を配置するにしろ、今後の運営方針はしっかり固めておきたいので、一度この目でありのままの領地を見て、巡ってみたいと思いまして」
なので、これを機に一緒に行きませんか? とリーリエは笑顔でテオドールを誘う。
だが、テオドールはため息混じりに苦笑して、リーリエの蜂蜜色の髪を撫でる。
「……悪いな、結婚早々苦労かけて」
そう、漏らすテオドールにリーリエはきょとんと首を傾げ、
「苦労? いつかけられました?」
と不思議そうにテオドールに尋ねる。
「リィの言う通り、公爵領は赤字領地だし、王都からも随分遠い。そもそもここがこうなったのは、俺が生まれたせいで、母親が俺を産んだ罪人として裁かれなければこうはならなかったはずで。今更かもしれなが、俺は責任を取りたいと思っているが、それにリィを巻き込んでいる」
だから悪いと思って、と言おうとしたテオドールの両頬をリーリエは両手で軽く包み、青と金の瞳を見つめて呆れたようにため息をつく。
「あなたが悪い事なんて、ひとつもないでしょ? 私の最愛の推しを貶めるのは、例え本人でも許しませんよ」
確かにテオドールは黒髪オッドアイを理由に国を滅ぼす忌み子などと事実無根の濡れ衣を着せられ辺境地送りになったし、その母親であるリッカ妃は忌み子を産んだ罪で幽閉され、死亡している。
その上、悪しき種を残すなと生家はおろかその親戚筋まで全て断罪されるというあってはならないことがまかり通り、テオドールは重い過去を背負わされてしまった。
だが、それは全て先代の国王と当時の家臣たちがやったことで、テオドールが背負うべき責任など何もないのだ。
彼は忌み子ではなく、国を滅ぼしもしないのだから。
「私、お金儲け好きなんですよねー。そして推しに投資するのが趣味なんです。こんな状況、むしろ大好物ですね」
翡翠色の瞳はとても楽しそうに笑う。
「それに、これ見てください」
リーリエは古い記録をテオドールに開いて見せる。
「アルテミス伯爵領だった頃の運営状況です。これを見る限り伯爵は……つまりあなたのお祖父様はとても実直で真面目な方だったみたいですね。テオ様そっくりじゃないですか」
「……これ、見ただけで分かるのか?」
「数字は嘘をつきません。それに、私データの分析は得意ですよ。なにせ魔法伯の爵位をもっている研究者ですから」
ドヤ顔で得意げにそう語るリーリエは、大事そうに記録を撫でる。
「こうやって、私の最愛の推しのルーツが知れるとか、控えめに言って最高じゃないですか!! 現地に行ったらもっとテオ様に繋がる何かが見つかるかもしれないし、ってわけで聖地巡礼したいのですよ!」
はぁー楽しみ過ぎるとリーリエが幸せそうに笑ってそう言う。その言葉がリーリエの本心だと信じられるテオドールは口角を緩め、穏やかな表情で笑い返した。
「リィ」
テオドールはリーリエを呼んでその華奢な体を抱きしめる。
「結婚してくれて、ありがとうな」
「……テオ様、急にどうしたのですか?」
びっくりして目を丸くし、自身の腕の中で顔を上げたリーリエを見て、テオドールはリーリエの頬を指で撫でる。
「こんないい女は、他にいないだろうなって思ってる。だから領地にリィだけ住むのはなしな方向で。別居は俺が耐えられそうにない」
テオドールに囁くようにそう言われ、リーリエの鼓動は速くなり耳まで赤く染まる。
そんな彼女の顔を見てクスッと笑ったテオドールの指が頬から顎に滑り、そのまま口付けた。
「領地の視察したいところ、また詰めような。とりあえず、今日は寝るか」
そう言ったテオドールは、真っ赤になったまま右手の甲を唇に当てているリーリエの左手に自身の指を絡め手をひく。
「……寝かせてくれます?」
「保証しかねる」
ちょっと意地悪気に口角を上げてそう言ったテオドールは、絡めた指でリーリエの指輪を撫でてパタンと寝室のドアを閉めた。
元々フィールドワークでひとりふらっと色んなところに行き慣れているリーリエは身軽な格好でいろんな場所を視察していった。
貴族の視察なんて、一通り眺めて微笑むだけが多いのに、リーリエは当たり前のように領民の中に入っていく。
その翡翠色の瞳で見て、自ら領民の言葉を聞いて、何が必要なのかを考えていく。
くるくるとよく変わるリーリエの表情を眺めながら、その後をついていくテオドールを見て、熱心に自分たちの今の生活の様を知ろうとするその人が、この領地の公爵夫人なのだと知って領民たちは驚く。
そんな領民の反応見ながら、リーリエはとても楽しそうに、そして気さくに声をかけ続けた。
「旦那さま、あの大きな橋見てください!」
テオドールには普通の橋に見えるそれをリーリエはやや興奮気味に眺め、触る。
「橋だけじゃなくって、この辺一帯全部水害対策が施されてます。しかもこれ最近持て囃され始めた技術ですよ。アシュレイ領だって取り入れたの最近なのに」
リーリエが最新技術だと言うその橋はどう見ても、最近建てられたものではなく昔からそこに崩れることなく立っているものだと分かる。
「朽ちることなく何年もここで、領民を守ってきたんですね。それができる技術があるなんて、ワクワクしますね。橋の建てられた年代を推測するに、この時代は災害対策よりデザイン性重視のものが多かったはずなのに、これを導入した領主の慧眼には感服いたします。さらにコレを実現できたこの領地の人達は本当に凄いです」
リーリエは初めて来た領地で、テオドールが知らなかった事実を沢山掘り起こしていく。
何度か訪れただけで、外部委託になっていたこの領地をリーリエと巡りながら、テオドールはかつて自分の血縁と呼ばれる人達が治めていた頃を思う。
アルテミス伯爵家は莫大な財を築いたわけでも、王政に口を挟めるほど力があったわけでもない。
それでもここに生きる領民を大切にし、民を思ってきちんと責務を果たして守っていた一族だったのだと知れて良かったと思う。
「旦那さま! こっちで面白いもの見つけましたー!! 見てみてください」
少し先を歩き、領民達と話していたリーリエが楽しそうにテオドールに声をかける。
翡翠色の瞳に笑い返したテオドールは足早にリーリエの元へと向かう。
「リィ、楽しそうだな」
「はいっ、とっても!」
満面の笑みでテオドールに楽し気に語る彼女の蜂蜜色の髪を撫でながら、リーリエと出会わなければ、自身のルーツを知ろうとすることさえなかっただろうと思うと、改めて彼女と出会えた事に感謝した。
公爵夫人なら好きかもしれないと連れてこられたそこは小さな工房で、職人達が魔石を加工していた。
「うわぁ、この髪飾りすごく可愛い。この細工、それに石の研磨技術。すごい」
見せられたのは小さく加工された魔石を入れたとても繊細なデザインの髪留めや簪だった。
「ああ、それはリッカ様が」
説明しかけた年配の工房長がテオドールを見て慌てて口をつぐむ。
「私、リッカ様の話聞きたいわ。私達のお義母様について教えてくれる?」
断罪されたテオドールの実母であるリッカの話はタブーだったのだろう。
リッカの話が出るかもしれないことや否定的な話を耳にする可能性について、領地を巡る前にテオドールと話をした。
『リィがいるなら、何を聞いても平気だと思う。俺の家族は、ここにいるしな』
そう言った時のテオドールの顔は穏やかで、平気なフリではないと分かったので、リーリエはどんな話でも一緒に聞くことを約束した。
「大丈夫。旦那さまも了承済みだから」
ね? と微笑むリーリエはテオドールに手を伸ばす。
差し出されたリーリエの手を握ってテオドールは静かに頷いた。
躊躇っていた工房長は2人のそんな様子を見て、口を開いた。
「リッカ様が考案されたのです。この領地には目立った産業がありません。ですが、この加工技術を使って、魔石入りの髪飾りなどを開発できれば、お守りとして付加価値をつけて売れるのではないかと。魔力なら有り余ってるからといつも笑われていました。……実現する前に王家に嫁入りしてしまいましたが」
「デザインもリッカ様が?」
「ええ、流行りそうなデザインについて方々から情報を集めてくださってました」
工房長はとても懐かしむように、過去を口にする。
「リッカ様は公爵夫人のように領地を楽しそうに巡っては色々アイデアを出されたり、時にはその強い魔力で、盗賊や魔獣なんかを撃退してしまう位おてんばで。明るくて、朗らかで、優しいリッカ様の周りはいつも賑やかでした」
「素敵な人なのですね。私もお会いしたかったです」
会うことができないテオドールの実母を思い、リーリエは決める。
「旦那さま、私リッカ様のアイデア引き継ぎたいです」
いずれにしても領地の改革は必要だ。なら、リッカやここでその思いを守って耐えて来た人達の気持ちを汲みたい。
「この髪留めや簪、魔石入りの魔道具にしましょう。私が魔術式を入れますから」
「公爵夫人、コレはかなり小さなものですが」
「私、これでも爵位持ちの魔術師でして」
リーリエは自信満々にそう話すと、手に持っていた髪留めに試しに魔術式を組み始める。
「これからちょうど社交シーズンなので、貴族向けに宣伝もできますね! 魔術式何入れようかなー。いっそのこと沢山バリエーションつけて、選んでもらえるようにして。あ、魔道具じゃなくて、宝石の屑石加工して平民向けにノーマルな髪飾りや宝飾も作って売りに出してもいいかも!」
話しながら魔術式をあっという間に引き終わったリーリエは、
「やばい、旦那さま! ワクワクが止まらないっ!! 絶対楽しいっ」
翡翠色の瞳をキラキラ輝かせてそう言った。
アルテミス公爵領の滞在期間は数日だったが、とても充実した時間だった。
「いい領地でしたね。私、ここの領地とても気に入りました」
リーリエはテオドールと話し合ったこれからの方針をざっくりまとめながらそう笑う。
「今はまだ赤字経営ですけど、私と旦那さまならきっとあっという間に優良領地に変えられますね! どうせなら国で一番目指しましょうか」
これからが楽しみだなと、サンプルとして持ち帰ってきた魔石入りの髪留めや簪を手で撫でながらリーリエは将来を語る。
「リッカ様のお話も聞けて良かったです。素敵な方ですね、テオ様のお母様は」
姿絵一枚残っていない彼女の痕跡。それは確かにここに残っていて、今日まで大事に受け継がれていた。
「私がリッカ様の続きを、引き受けること許してくださってありがとうございます。きっと、成功させてみせますね」
リーリエはその思いに応えられるように、最善を尽くしたい、と強く思った。
「いや、礼を言うのは俺の方だろ」
テオドールはリーリエの隣に座り、リーリエの頭を抱いて自分に寄りかからせる。
「リィとここに来れて良かった。まぁ、しばらくこっちで暮らすのは無理なんだが、都合つけてまた領地に来る気だから、その時は一緒について来てくれるか?」
「ふふ、当たり前じゃないですか。私はあなたの妻ですよ?」
どこへでもお供します、とリーリエに言われテオドールはリーリエの髪を優しく撫でた。
過去を変えることはできないが、未来は作っていける。そして、隣にリーリエがいるのならきっと何が起きても楽しいだろうなとテオドールは笑う。
「リィ、俺もひとつやりたい事ができた」
テオドールにそう言われ、リーリエは隣に座る彼の顔を覗き込む。
「生まれや種族や性別なんか関係なく、自分の能力を発揮できて、リィみたいに好きな事を楽しめる領民が生活できる領地にしたい。で、いつか俺たちに子どもが生まれたら、ここの土地が好きだって言ってもらえるようなそんな領地に……って、なんで泣く!?」
話を聞いていたリーリエが突然泣き出し、テオドールは慌てる。そんなテオドールにリーリエはぎゅっと抱きついて、
「だって、あなたが義務でも責務でもなくて……自分で、やりたいって……未来を、語るからっ」
途切れ途切れになりながら、リーリエはそう言葉を紡ぐ。
「ただ、嬉しいの。テオが未来を語るのも、そこに私が当たり前にいるのも、嬉しくて」
そう言って顔を上げた涙で濡れた翡翠色の瞳は、愛おしそうにテオドールを見つめていた。
テオドールは最愛の妻の涙を拭いながら、
「ホント、リィは泣き虫だな」
とても愛おしそうにそう言って笑うと、彼女に優しくキスをした。
その後、アルテミス公爵領に度々訪れては領地改革に奮闘する公爵夫妻の姿が見られたり、リーリエが引き継いだリッカ発案の魔石入りアクセサリー産業がトレンド入りしてリッカの名前の入ったアクセサリーが貴族から庶民まで広く愛されるブランドになるのはもう少し先のお話し。
リーリエはミルクをたっぷり入れたカフェオレを飲みながら、テオドールの提案を聞き返す。
「ああ。一応まとまった休みが取れそうだし、リィが行きたいところがあればと思っているんだが」
前回は人質としての結婚だったため、表向きは屋敷内幽閉となっていたし、テオドールの配慮で出歩けても変装しての王都内のみの範囲でしか出かけていない。
だが、今回は正式に王弟殿下の正妃として嫁いでおり、結婚式も済んでアルテミス公爵夫人として広く周知済み。
堂々とどこへでも行ける身分なのだから、せっかくならリーリエが行きたい所に連れて行ってやりたいと思い本人に希望を確認してみたのだった。
「……どこでもいいですか?」
少し考えたあと、リーリエはそう尋ねる。
「可能なら国内だと助かる。国内でも正式に行くとなると連れて行く使用人の選定や護衛もいるし」
「2人で行きたい、は無理でしょうか?」
前々から行こうと思って計画していた場所がありましてと、リーリエは地図を取り出す。
「ここのところ旦那さまは特に忙しそうですし、旦那さまの長期出張に合わせて一人でこっそり行く予定だったのですけれど、可能なら一緒に行けると嬉しいなって」
トンっとリーリエが指した場所はアルテミス公爵領だった。
「……視察したい、ってことか?」
嫁いで来てからずっとリーリエは領地に関する資料を読み漁り続けている。
魔術師としての自身の仕事を続けながら、公爵夫人としての役目を果たして社交をこなし、領地運営について色々案を出してくれている。
「よく、たった2年でここまで立て直したなっていうのが正直な感想で、はっきりいって今のこの領地は不良債権の塊です」
リーリエは地図に目を落とす。そこは元々テオドールの実母の生家であるアルテミス伯爵家の領地と親戚筋の子爵家や男爵家の領地であった。
だが、18年前幽閉されていたリッカ妃が亡くなったと共に一族まとめて断罪され、領地は第二王子派の家臣たちに下賜され、いいように搾取されていた。
3年前のルイスの失脚を企てていた貴族たちを反逆罪で裁いた際に取り返し、国の保有となっていたものをテオドールが臣籍に下った際に公爵領として引き受けたものだった。
「たった15年でよくまぁ、ここまで荒らせたものです。領民はさぞ苦しかったでしょうね」
記録が物語る杜撰な経営と略奪の跡にリーリエは舌打ちしたくなる。
「旦那さまには王家を除いて血縁がおりませんし、仕事上旦那さまが王都で暮らす以上、本来なら私がすぐにでも領地で暮らすべきなのだと思います」
爵位を継いでも王城勤めのため王都で暮らす貴族は多々おり、その場合は先代や親戚が領地運営をすることも多い。
だが、そうできない場合は使用人などを置いての運営となる。リーリエと結婚する前のテオドールの場合は頼める親戚はいないため外部委託一択しか無かった。
「委託するにしろ、私を配置するにしろ、今後の運営方針はしっかり固めておきたいので、一度この目でありのままの領地を見て、巡ってみたいと思いまして」
なので、これを機に一緒に行きませんか? とリーリエは笑顔でテオドールを誘う。
だが、テオドールはため息混じりに苦笑して、リーリエの蜂蜜色の髪を撫でる。
「……悪いな、結婚早々苦労かけて」
そう、漏らすテオドールにリーリエはきょとんと首を傾げ、
「苦労? いつかけられました?」
と不思議そうにテオドールに尋ねる。
「リィの言う通り、公爵領は赤字領地だし、王都からも随分遠い。そもそもここがこうなったのは、俺が生まれたせいで、母親が俺を産んだ罪人として裁かれなければこうはならなかったはずで。今更かもしれなが、俺は責任を取りたいと思っているが、それにリィを巻き込んでいる」
だから悪いと思って、と言おうとしたテオドールの両頬をリーリエは両手で軽く包み、青と金の瞳を見つめて呆れたようにため息をつく。
「あなたが悪い事なんて、ひとつもないでしょ? 私の最愛の推しを貶めるのは、例え本人でも許しませんよ」
確かにテオドールは黒髪オッドアイを理由に国を滅ぼす忌み子などと事実無根の濡れ衣を着せられ辺境地送りになったし、その母親であるリッカ妃は忌み子を産んだ罪で幽閉され、死亡している。
その上、悪しき種を残すなと生家はおろかその親戚筋まで全て断罪されるというあってはならないことがまかり通り、テオドールは重い過去を背負わされてしまった。
だが、それは全て先代の国王と当時の家臣たちがやったことで、テオドールが背負うべき責任など何もないのだ。
彼は忌み子ではなく、国を滅ぼしもしないのだから。
「私、お金儲け好きなんですよねー。そして推しに投資するのが趣味なんです。こんな状況、むしろ大好物ですね」
翡翠色の瞳はとても楽しそうに笑う。
「それに、これ見てください」
リーリエは古い記録をテオドールに開いて見せる。
「アルテミス伯爵領だった頃の運営状況です。これを見る限り伯爵は……つまりあなたのお祖父様はとても実直で真面目な方だったみたいですね。テオ様そっくりじゃないですか」
「……これ、見ただけで分かるのか?」
「数字は嘘をつきません。それに、私データの分析は得意ですよ。なにせ魔法伯の爵位をもっている研究者ですから」
ドヤ顔で得意げにそう語るリーリエは、大事そうに記録を撫でる。
「こうやって、私の最愛の推しのルーツが知れるとか、控えめに言って最高じゃないですか!! 現地に行ったらもっとテオ様に繋がる何かが見つかるかもしれないし、ってわけで聖地巡礼したいのですよ!」
はぁー楽しみ過ぎるとリーリエが幸せそうに笑ってそう言う。その言葉がリーリエの本心だと信じられるテオドールは口角を緩め、穏やかな表情で笑い返した。
「リィ」
テオドールはリーリエを呼んでその華奢な体を抱きしめる。
「結婚してくれて、ありがとうな」
「……テオ様、急にどうしたのですか?」
びっくりして目を丸くし、自身の腕の中で顔を上げたリーリエを見て、テオドールはリーリエの頬を指で撫でる。
「こんないい女は、他にいないだろうなって思ってる。だから領地にリィだけ住むのはなしな方向で。別居は俺が耐えられそうにない」
テオドールに囁くようにそう言われ、リーリエの鼓動は速くなり耳まで赤く染まる。
そんな彼女の顔を見てクスッと笑ったテオドールの指が頬から顎に滑り、そのまま口付けた。
「領地の視察したいところ、また詰めような。とりあえず、今日は寝るか」
そう言ったテオドールは、真っ赤になったまま右手の甲を唇に当てているリーリエの左手に自身の指を絡め手をひく。
「……寝かせてくれます?」
「保証しかねる」
ちょっと意地悪気に口角を上げてそう言ったテオドールは、絡めた指でリーリエの指輪を撫でてパタンと寝室のドアを閉めた。
元々フィールドワークでひとりふらっと色んなところに行き慣れているリーリエは身軽な格好でいろんな場所を視察していった。
貴族の視察なんて、一通り眺めて微笑むだけが多いのに、リーリエは当たり前のように領民の中に入っていく。
その翡翠色の瞳で見て、自ら領民の言葉を聞いて、何が必要なのかを考えていく。
くるくるとよく変わるリーリエの表情を眺めながら、その後をついていくテオドールを見て、熱心に自分たちの今の生活の様を知ろうとするその人が、この領地の公爵夫人なのだと知って領民たちは驚く。
そんな領民の反応見ながら、リーリエはとても楽しそうに、そして気さくに声をかけ続けた。
「旦那さま、あの大きな橋見てください!」
テオドールには普通の橋に見えるそれをリーリエはやや興奮気味に眺め、触る。
「橋だけじゃなくって、この辺一帯全部水害対策が施されてます。しかもこれ最近持て囃され始めた技術ですよ。アシュレイ領だって取り入れたの最近なのに」
リーリエが最新技術だと言うその橋はどう見ても、最近建てられたものではなく昔からそこに崩れることなく立っているものだと分かる。
「朽ちることなく何年もここで、領民を守ってきたんですね。それができる技術があるなんて、ワクワクしますね。橋の建てられた年代を推測するに、この時代は災害対策よりデザイン性重視のものが多かったはずなのに、これを導入した領主の慧眼には感服いたします。さらにコレを実現できたこの領地の人達は本当に凄いです」
リーリエは初めて来た領地で、テオドールが知らなかった事実を沢山掘り起こしていく。
何度か訪れただけで、外部委託になっていたこの領地をリーリエと巡りながら、テオドールはかつて自分の血縁と呼ばれる人達が治めていた頃を思う。
アルテミス伯爵家は莫大な財を築いたわけでも、王政に口を挟めるほど力があったわけでもない。
それでもここに生きる領民を大切にし、民を思ってきちんと責務を果たして守っていた一族だったのだと知れて良かったと思う。
「旦那さま! こっちで面白いもの見つけましたー!! 見てみてください」
少し先を歩き、領民達と話していたリーリエが楽しそうにテオドールに声をかける。
翡翠色の瞳に笑い返したテオドールは足早にリーリエの元へと向かう。
「リィ、楽しそうだな」
「はいっ、とっても!」
満面の笑みでテオドールに楽し気に語る彼女の蜂蜜色の髪を撫でながら、リーリエと出会わなければ、自身のルーツを知ろうとすることさえなかっただろうと思うと、改めて彼女と出会えた事に感謝した。
公爵夫人なら好きかもしれないと連れてこられたそこは小さな工房で、職人達が魔石を加工していた。
「うわぁ、この髪飾りすごく可愛い。この細工、それに石の研磨技術。すごい」
見せられたのは小さく加工された魔石を入れたとても繊細なデザインの髪留めや簪だった。
「ああ、それはリッカ様が」
説明しかけた年配の工房長がテオドールを見て慌てて口をつぐむ。
「私、リッカ様の話聞きたいわ。私達のお義母様について教えてくれる?」
断罪されたテオドールの実母であるリッカの話はタブーだったのだろう。
リッカの話が出るかもしれないことや否定的な話を耳にする可能性について、領地を巡る前にテオドールと話をした。
『リィがいるなら、何を聞いても平気だと思う。俺の家族は、ここにいるしな』
そう言った時のテオドールの顔は穏やかで、平気なフリではないと分かったので、リーリエはどんな話でも一緒に聞くことを約束した。
「大丈夫。旦那さまも了承済みだから」
ね? と微笑むリーリエはテオドールに手を伸ばす。
差し出されたリーリエの手を握ってテオドールは静かに頷いた。
躊躇っていた工房長は2人のそんな様子を見て、口を開いた。
「リッカ様が考案されたのです。この領地には目立った産業がありません。ですが、この加工技術を使って、魔石入りの髪飾りなどを開発できれば、お守りとして付加価値をつけて売れるのではないかと。魔力なら有り余ってるからといつも笑われていました。……実現する前に王家に嫁入りしてしまいましたが」
「デザインもリッカ様が?」
「ええ、流行りそうなデザインについて方々から情報を集めてくださってました」
工房長はとても懐かしむように、過去を口にする。
「リッカ様は公爵夫人のように領地を楽しそうに巡っては色々アイデアを出されたり、時にはその強い魔力で、盗賊や魔獣なんかを撃退してしまう位おてんばで。明るくて、朗らかで、優しいリッカ様の周りはいつも賑やかでした」
「素敵な人なのですね。私もお会いしたかったです」
会うことができないテオドールの実母を思い、リーリエは決める。
「旦那さま、私リッカ様のアイデア引き継ぎたいです」
いずれにしても領地の改革は必要だ。なら、リッカやここでその思いを守って耐えて来た人達の気持ちを汲みたい。
「この髪留めや簪、魔石入りの魔道具にしましょう。私が魔術式を入れますから」
「公爵夫人、コレはかなり小さなものですが」
「私、これでも爵位持ちの魔術師でして」
リーリエは自信満々にそう話すと、手に持っていた髪留めに試しに魔術式を組み始める。
「これからちょうど社交シーズンなので、貴族向けに宣伝もできますね! 魔術式何入れようかなー。いっそのこと沢山バリエーションつけて、選んでもらえるようにして。あ、魔道具じゃなくて、宝石の屑石加工して平民向けにノーマルな髪飾りや宝飾も作って売りに出してもいいかも!」
話しながら魔術式をあっという間に引き終わったリーリエは、
「やばい、旦那さま! ワクワクが止まらないっ!! 絶対楽しいっ」
翡翠色の瞳をキラキラ輝かせてそう言った。
アルテミス公爵領の滞在期間は数日だったが、とても充実した時間だった。
「いい領地でしたね。私、ここの領地とても気に入りました」
リーリエはテオドールと話し合ったこれからの方針をざっくりまとめながらそう笑う。
「今はまだ赤字経営ですけど、私と旦那さまならきっとあっという間に優良領地に変えられますね! どうせなら国で一番目指しましょうか」
これからが楽しみだなと、サンプルとして持ち帰ってきた魔石入りの髪留めや簪を手で撫でながらリーリエは将来を語る。
「リッカ様のお話も聞けて良かったです。素敵な方ですね、テオ様のお母様は」
姿絵一枚残っていない彼女の痕跡。それは確かにここに残っていて、今日まで大事に受け継がれていた。
「私がリッカ様の続きを、引き受けること許してくださってありがとうございます。きっと、成功させてみせますね」
リーリエはその思いに応えられるように、最善を尽くしたい、と強く思った。
「いや、礼を言うのは俺の方だろ」
テオドールはリーリエの隣に座り、リーリエの頭を抱いて自分に寄りかからせる。
「リィとここに来れて良かった。まぁ、しばらくこっちで暮らすのは無理なんだが、都合つけてまた領地に来る気だから、その時は一緒について来てくれるか?」
「ふふ、当たり前じゃないですか。私はあなたの妻ですよ?」
どこへでもお供します、とリーリエに言われテオドールはリーリエの髪を優しく撫でた。
過去を変えることはできないが、未来は作っていける。そして、隣にリーリエがいるのならきっと何が起きても楽しいだろうなとテオドールは笑う。
「リィ、俺もひとつやりたい事ができた」
テオドールにそう言われ、リーリエは隣に座る彼の顔を覗き込む。
「生まれや種族や性別なんか関係なく、自分の能力を発揮できて、リィみたいに好きな事を楽しめる領民が生活できる領地にしたい。で、いつか俺たちに子どもが生まれたら、ここの土地が好きだって言ってもらえるようなそんな領地に……って、なんで泣く!?」
話を聞いていたリーリエが突然泣き出し、テオドールは慌てる。そんなテオドールにリーリエはぎゅっと抱きついて、
「だって、あなたが義務でも責務でもなくて……自分で、やりたいって……未来を、語るからっ」
途切れ途切れになりながら、リーリエはそう言葉を紡ぐ。
「ただ、嬉しいの。テオが未来を語るのも、そこに私が当たり前にいるのも、嬉しくて」
そう言って顔を上げた涙で濡れた翡翠色の瞳は、愛おしそうにテオドールを見つめていた。
テオドールは最愛の妻の涙を拭いながら、
「ホント、リィは泣き虫だな」
とても愛おしそうにそう言って笑うと、彼女に優しくキスをした。
その後、アルテミス公爵領に度々訪れては領地改革に奮闘する公爵夫妻の姿が見られたり、リーリエが引き継いだリッカ発案の魔石入りアクセサリー産業がトレンド入りしてリッカの名前の入ったアクセサリーが貴族から庶民まで広く愛されるブランドになるのはもう少し先のお話し。