生贄姫完結記念【番外編】

その5、その公爵令嬢は、挫折から立ち直る。

 アルカナ王国公爵家令嬢リリアーヌ・アシュレイ・アルテミスは、一心不乱に剣を振るっていた。
 とにかく頭の中を空っぽにしてしまいたい、そんな彼女の心情が透けて見えるかのような7つの子が行うには無茶な鍛え方だった。

「はい、ストップ」

 振り下ろしたその剣を、ただの棒切れが止める。

「………はぁ、はぁ、ゼノ……様?」

「無茶が過ぎるよ、姫」

 茶色の瞳は心配そうにリアを見つめ、そう言った。

「……父の差し金ですか?」

 ひとりになりたくて、わざわざ護衛を撒いて人気のないところで身体を動かしていたというのに、どうしていつもゼノは自分の居場所をこうもあっさり見つけてしまうのか、とリアはため息をつく。

「団長にはまだ言ってないよ。あの人今余裕ないから、多分まだ姫が護衛撒いていなくなったことに気づいてないと思うよ。俺は姫の護衛から姫がいなくなったって泣きつかれて、探してただけ」

「そうですか。門限までには戻りますので、私のことはお気になさらず。ゼノ隊長もお仕事中でしょう。どうぞお引き取りを」

 ほんの少し前までは、ただ本当に小さな子どもで素直なお姫様だったのに、王立の学園に行きだしてからリアは随分変わったとゼノは思う。
 公爵令嬢として、自身の振る舞いが全て見られており、それが全て公爵家ひいては父と母の評価にも繋がると自覚した途端、彼女は人前で一切の隙を見せなくなった。
 齢7つではオンオフの切り替えがリーリエやテオドールのように上手くできないのだろう。
 気心が知れているはずのゼノの前ですら、公爵令嬢リリアーヌであり続けていた。

 ゼノは昔リーリエに言われた事を思い出す。
 
『リアの初めての友達に、なってあげてもらえませんか?』

 リアが学園に上がる前に、話のついでのようにリーリエにそう言われた。

『妃殿下、お言葉ですが友達って、俺もう30近いおっさんですけど?』

 ゼノのやんわりとした線引きの意思表示を聞いて、翡翠色の瞳は何もかも見透かしてしまいそうな楽しげな色を浮かべてくすっと笑った。

『あなたにリアの気持ちに応える義務はありません。ですが、子どもの戯言と流すと足元掬われますよ? あの子は、私とテオドール様の子ですから』

 ゼノはたまに思う。この翡翠色の瞳は一体何手先の未来を見ているのだろうか、と。

『見ていてくれるだけでいいのです。何かを強制する気はありません。ただ、ゼノ様はゼノ様のままで変わらずリアと向き合ってくれたら、という私の勝手な願望なのです。リアはこれから公爵令嬢として立たなくてはなりません。そしてリアが折れそうなとき、必ずしも私達が側にいられるとは限らないし、親ではダメな時もあるのです』

 自分が敬愛するテオドールが寵愛するその人は初めて会った時から変わらず、底が見えない。それでも、ゼノにとっては充分信頼できる相手だ。その人がわざわざこんな話をするのなら、心に留めておく必要はあるのだろう。

『ふふっ、そんなに難しく考えないで? リアと向き合う事はあなたが自分の問題と向き合うきっかけにもなる、かもしれない。くらいの気持ちでいいのです』

 そして悪戯をする子どものように笑って、

『ああ、でも。あの子があなたにとって"小さな女の子(レディ)"ではなく、一人の立派な淑女に見える日が来たら、やめてもいいですよ? 友達』

 とても楽しそうにそう言った。

 ゼノは放っておいて、とツンとそっぽを向くリアを見て仕方なさそうにため息をついて、ポケットから通信機を取り出す。

「あ、もしもしー団長? 俺、俺、俺っす。……詐欺じゃねぇよ。……ウケる。そうそう、で。姫お預かりします、ちゃんと家まで送るんで。あ、あと明日団長出勤しなくていいんで、妃殿下の側にいてやってください。…………じゃねぇよ。あー、あといいっ加減そのギリまで頼らない癖直してくれます? わぁー俺ちょーいい部下。部下力高ぇー。ごほーびほしー…………あははっ、期待してます。おー全員で団長のサイフ空にしてやんよ、ってわけで後で伺います」

 テオドールと話し終わり、通信機をしまう。

「いやぁー本当この魔道具便利。妃殿下相変わらずすごいの作るよなぁ」

 これのおかげでカラス飛ばす必要なくなったもんなとリーリエが開発を手がけた便利アイテムに感動しつつ、リアと向き合う。

「って、わけで、保護者様の許可も無事とれたから、今日は門限気にしなくていいんで。姫が潰れるまで鍛錬付き合ってあげます。とりあえず、魔法なしで軽く10キロマラソンから」

 リアの顔には素直にやらかしたと出ていたが、ゼノにとってもいい笑顔でそう言われて断れるわけもなく、リアはそこから地獄の鍛錬コースに強制突入させられた。

「踏み込みと蹴りが甘いっ。魔法に最初から頼るな」

「……チッ、わかってるわよ」

「体格差も腕力差もある相手に無策に突っ込むな。相手の力を利用して、受け流して返す。はい、もう一回」

 マラソンのあとは基礎訓練のち、組み手。剣や武器の類は一切持たせてもらえず、魔法もなし。
 大分手加減されているが、ゼノのしごきは割と容赦ない。
 というよりも、自分の身近にいる大人のしごきが容赦ないとリアは最近ようやく気づいた。
 王弟殿下の娘というだけあって、だいたいどこに行ってもチヤホヤされる自分にとっては必要なのだろうけれど、今日はもう本当に限界だ。

「ハイ、じゃあ今日はここまで」

「あ、…………はぁ、はぁ、まし……た」

 ゼノの号令と共に、言えたのかどうかも怪しい礼をしてリアは地面にゴロンと横になる。
 身体中悲鳴をあげていて、正直息をするので精一杯。呼吸が整って視界に入った夜空に浮かぶ星がキレイで、今日が満月だったのかと初めて知った。

「やぁー本当姫は我慢強いよねぇ。普通ここまでやったら、途中で泣いて喚いてもうやめてーって願い出るけどね」

「……私のわがままの、ためにわざわざ……隊長格に時間使わせているのに、投げ出せないでしょ」

 少し呼吸が整ってきたリアは、寝そべったままゼノを見てそう言う。

「途中で投げちゃってもいいのに、そういう弱音一切吐かないで根性座ってるとこはホント、団長そっくり」

 リアの隣に座って楽しそうに笑った。

「…………聞かないの? 何で家帰らないのか」

 リアは寝転んだまま腕で両目を隠すように覆って小さくそう聞いた。

「姫が話聞いて欲しいなら聞いてあげるよ。ついでに目一杯泣いてもいいよ」

「泣けません、心配……させちゃうから。今はお母様が大変な時で、お父様にも余裕がないのに。自分の事くらい、自分でなんとかします」

 現状なんともできていないし、上手く気持ちの切り替えもできないため家にも帰れない。
 だからと言って弱音を吐くわけにはいかない、とリアは思う。
"私は、公爵令嬢なのだから"と。

「……妃殿下が妊娠中に魔力酔いで体調崩されるのも、団長が隣であたふたしてるのもまぁしょうがないとして、それはそれ。姫がしんどい気持ち我慢する必要はないって」

 そう言った自分の言葉に、小さく横に首を振るリアを見て、ゼノは思う。この小さな身体で、この子は一体どれだけのものを背負っているのだろうと。
 子どもらしく泣き喚いてくれれば、大人として慰めてあげられるのに、雁字搦めの感情で苦しくなってもリアは自分にそれを許さない。
 だから、適当な言葉と態度で子ども扱いすることもできない。

『ああ、だから"友達"か』

 不意にリーリエの意図が読み取れてゼノは苦笑する。
 対等な信頼関係のある相手でなければ、きっとリアは本音を漏らさない。テオドールやリーリエがそうであるように。
 そうしなければ、害意あるものにつけ入る隙を与えてしまうかもしれないから。
 この子はもうそれを理解しているのか、とゼノは苦笑する。
 テオドールがもう少し子どもでいて欲しいと言った気持ちがわかった気がした。

「リア」

 普段自分を姫と呼ぶゼノが、リアと呼び、驚いたように腕を外して顔を見せる。
 そんな彼女にクスッと笑ったゼノは、地面に寝そべったままだったリアを抱き起こして視線を合わせる。

「リア、聞いて欲しい。君はまだたった7つで、まだまだ子どもでいて許されるから。泣いて、わがまま言って、困らせちゃっても大丈夫だから。どれだけ大変な状況でも君の両親は全部受け止められるくらいの度量があるのは、俺が保証する」

 ゼノは言葉を選びながら、とても真剣な顔をしてリアに伝える。

「でもまぁ、両親に言えないこともコレから先出てくると思うから、ちょっと愚痴りたいだけって時のために、友達を作っておくといいかな。ちなみに、俺とかオススメだよ? 口硬いし、学校関係者じゃないし、利権絡まないし」

「……パパに言うでしょ?」

「ところが困った事にどこかの誰かさんの宣戦布告のせいで、それはそれはこわーい上司に睨まれておりまして、うっかりした事言えないんだなぁーコレが」

 茶化すようにゼノはそう言って笑う。そんなゼノの顔を見て、リアはつられるようにクスッと笑った。

「まぁでも友達なんで俺の愚痴も聞いてくれます? 俺の上司がなかなか報告書受け取ってくれなくて、業務滞ってるの。サクッと印鑑押してくれたらいいのにぃ」

「それは、ゼノ様の報告書の書き方に問題があるからじゃない? 今度手伝ってあげます。……友達なんで」

「ははっ、それは頼もしいな」

 そう言ってゼノはぐしゃぐしゃになっている蜂蜜色の髪を整えてあげ、優しく撫でた。

「……本当に、大した事じゃないの」

 そう前置きをしたリアが、ゆっくりと話し出す。

「ただね、学園に行って、初めて自分の置かれている状況に気づいたってだけ。何をしても"親の七光"って言われるのに、ちょっと疲れちゃっただけ……なの」

 今までどれだけ自分が大切に守られていたのか分かる。学園では基本的に身分による上下関係が存在しない。そこで初めてダイレクトに向けられた悪意に、足がすくんだ。

「どれだけ頑張っても、(リア)として見てもらえないのが、苦しい。まぁ七光って言われるのもわかるのよね。あからさまに私のことを贔屓する先生もいるし」

 生徒間で身分の上下がなかったとしても、どこにいても王弟殿下の娘であることは変わらない。そして残念な事にそれによる弊害は多少なりとあり、リアを苦しめる。

「学園が社交界の縮図だと言うのなら、私はそこでうまく立ち回らないといけないのに、私を私として見てくれないたくさんの視線と、汲み取りきれない意図に翻弄されて、ただただ人が怖くて、足がすくむの。情けないでしょ? ……私はお母様みたいにうまくできない」

 話しながらリアの深い碧色の目から涙が溢れる。

「誰を信じれば、何を信じればいいのか、分からない。……情けない。悔しい」

 ゼノはじっとリアの言葉をただ聞いた。悔しいとポロポロと大粒の涙を零す彼女は、それでも他の誰かを責める言葉を吐かなかった。

「じゃあ、宰相目指すの諦める?」

 リアは才に恵まれ、家柄も申し分ない。あの2人の間に生まれただけあって見目もいい。
 ただ、花よ蝶よと愛でられ大切にされ、普通の令嬢として幸せに生きていく道だってある。

「嫌っ。絶対、諦めない。私は、自分で立てるようになるの」

 だけど、リアの碧眼は強い意志を持っていて、ゼノを真っ直ぐに見据えて決意を述べた。

「……リアは、えらいね」

 涙を拭うリアにハンカチを渡して、ゼノは頭をポンポンと撫でてやる。

「また、そうやって子ども扱いする」

 受け取ったハンカチを握りしてリアは不満気に漏らすのを見て、ゼノは笑う。

「いや、本当に逃げないリアはえらいし、すごいと思うよ。俺は、逃げちゃったしなぁ」

 何なら未だに目を逸らしているしなとゼノは苦笑する。

「まぁ、リアほどでなくても、俺にもそれなりに抱えているものがあったんだけど、俺は全部放り投げて、実の親とは絶縁してるから。怖いっていいながら目を逸らさないリアは本当に立派だと思うよ」

 そう話すゼノはここではないどこか遠くを見ているようで、その目は少しだけ悲しそうに見えた。
 ゼノも戦っているんだろうか、とリアは思う。こんな大人でも、何かを抱えて足掻いているのだろうか、と。

「だから、リアは大丈夫。リアは負けない。強くてカッコいい、無敵のお姫様だから」

 真剣な言葉とは裏腹によしよしと頭を撫でてあやされる。いつもは嫌だと思う完全な子ども扱いに、なぜかとてもほっとしたリアは、ゼノに抱きついてタガが外れたように、声をあげて泣く。
 泣きながら、全肯定してくれる親以外に誰かひとりでも自分自身を見てくれる味方がいるなら、もう少し頑張れそうだと確かに思った。
 そんな小さな淑女の背中をあやすようにトントンと軽く叩きながら、ゼノはリアが泣き止むまでずっとそうしていた。

 ひとしきり泣いた後、

「パパとママには言わないでね、カッコ悪いから」

 すっかり落ち着きを取り戻したリアはいつもの口調でそう言って笑った。

「ははっ、了解。姫はカッコつけだなぁ」

 いつもの呼び方に戻って揶揄うようにそう言うゼノに、

「そういうお年頃なの。ほら、私ゼノ様と違って若いから、多少のことは許されると思うのよ」

 とリアは笑って応戦する。

「おっと、急に姫に年寄り扱いされはじめたぞ。俺、気持ち的には親戚のお兄ちゃんポジションなんだけど」

「30歳過ぎて書類一枚期限通りに出せない親戚のお兄ちゃんはいらない」

「姫が辛辣っ」

 あー本当にあっと言う間に大きくなっていくなぁと笑って、

「団長じゃないけど、姫が彼氏のひとりでも連れてくる日が来たら俺も泣くわ。その時はだんちょーと2人で飲みに行こっ」

 茶化すように泣き真似をして見せるゼノにリアはイラッと眉根を寄せる。
 圏外なのは十分承知しているし、今の自分に応える大人がいたらそっちの方が問題だと分かっているが、恋する乙女としては複雑ではある。

「さて、姫。そろそろ帰りましょうか。あんまり遅いと俺が団長に締め上げられるんで」

 リアに傅いて手を差し出すゼノにため息をついて、まぁ今日くらいは大人しくお姫様(こども)でいるかと甘んじてその手を受け入れた。

「ゼノ様、さっき逃げちゃったって言ってたけど、逃げた先でこれだけがんばって騎士団の隊長まで登りつめたなら、やっぱりかっこいいと思うわ。パパはだいぶ人好み激しいから、パパに信頼されてて、ついていけるってかなりすごい事だと思うの」

 ゼノの手を取ったリアはそう言って、えらい、えらいと何度も褒める。
 そんな小さな女の子にゼノは驚いたように目を見開き、そして静かに笑った。

「大抵は男なら逃げるなって叱責されるんだけど。姫は寛容だねぇ」

「逃げる逃げないの選択と性別関係なくない? 要は自分がどうしたいか、でしょ?」

 きょとんと首を傾げるリアを見て、ゼノは声をたてて笑う。

「……俺にソレ言ったの、姫で2人目だよ」

 ああ、本当に親子だな、と過去テオドールに言われ、拾われた時の事を思い出しながらゼノはリアの髪を優しく撫でた。

「…………私、今は友達に甘んじてあげるけど」

 少し拗ねたような口調でリアはそう言うと、真っ直ぐにゼノの茶色の瞳を見つめ、

「いつまでも圏外だと思わないでよね。私がなりたい関係は、友達ではないもの。だから、私の"これから"ちゃんと見ていてね」

 すっかり泣き止んで、不敵に笑う小さな女の子(レディ)はそう宣言する。この人に認めてもらうには"お姫様"ではいられない。
 そして、いつかゼノが抱えているものを教えてもらえるに値する自分になりたいと、リアは思う。
 あと、借りは返す主義だからとそう付け足すその背中はしっかり伸びていて、もう迷ってなどいなかった。

 その後吹っ切れたリアが学園の頂点を目指してあの手この手で様々な戦略を試行錯誤しながら、人間関係や心理戦を学んでいったり、ゼノに愚痴る代わりにゼノの報告書や予算案などの書類を手伝ったのがテオドールにバレてゼノと2人でテオドールに怒られたりしたのはまた別のお話し。
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