生贄姫完結記念【番外編】

番外編2「生贄姫は憧れる」

本編には全く関係ないですが、時系列的には29話後あたりとなっております。
以下番外編スタート


 リーリエが真剣な面持ちで資料に目を通している。
 時折資料に追記し、別の資料をめくり、付箋を貼り付けていく。
 気の向かない書類仕事は嫌いだと机に突っ伏す事が多い彼女にしては、珍しく一言も発しない。
 翡翠色の目は幾つもの資料に同時に視線を滑らせていく。

「ん、これでいいかな」

 ひと段落ついたらしく、小さく息を吐いてホッとしたようにつぶやいた。

「終わったのか?」

 そのタイミングを見計らったかの様に控えめにノックされ、テオドールがリーリエの執務室に入室する。

「旦那さま、今日は随分お早いお帰りですね! お声かけくださればよかったのに」

「かけようと思ったが、随分真剣だったからな」

 どうやら既に一度覗かれていたらしい。集中し過ぎて気づかなかったとリーリエは軽く謝罪した。

「何をしていたんだ?」

「結婚式の準備ですよ」

 リーリエはキレイにまとめた資料をテオドールに差し出す。

「2国間の参列者と序列、政治的立ち位置を含めた勢力図をまとめています。式までにお目通しください」

 覚えられなくても当日私がフォローしますから大丈夫ですよとリーリエは微笑む。

「……結婚式って、来年じゃなかったか?」

 2国間で条約が締結した際、式の時期について折り合う事ができず、契約履行に併せてリーリエだけが単身でアルカナに来ている。
 動き出すには早すぎる気もするが、リーリエの表情を見る限りそうではないらしい。

「お察しの通り、一年切ってますから時間的余裕はあまりありません。今頃2国間が水面下でガチンコの殴り合いをしながら、利権争い第二ラウンドを繰り広げているかと思うと、父とルゥの心中を察しつつ本当に花嫁の立場でよかったなーと気楽な気持ちで一杯です」

 机に積み上げられた資料の厚さを見ながら、これで気楽なのかとテオドールは頭痛がしてくる。

「俺にコレを渡していいのか? リーリエにも立場があるだろうに」

 アルカナの情報はともかく、カナン側の来賓についても詳しくまとめられている資料。
 本来ならこれはテオドール自身でやるべきものだという事もわかっている。

「私の役目はあくまで2国間の契約履行の担保です。契約事項の中には旦那さまのフォローも入っておりますから、問題ないのですよ。この機会に2国間の歴史や政治的背景も少しずつ頭に入れて頂ければと思います」

 テオドールは物心ついたころには既に王宮から出されており、王族として修めておくべき教育を受けていない。とは言え、独学で概ね問題ないくらい習得できているのだから血は争えないなとリーリエは思う。

「今更ですが、私がチューターでよろしいのですか? 旦那さまが望まれるならいくらでも優秀な人材を付けて貰えると思うのですが」

 内部の腐敗があったとしてもアルカナの教育水準は決して低くない。むしろ外部のリーリエよりルイスの息のかかった人間の方がより世情に明るく、最速で必要な知識を習得できるはずだ。
 だが、テオドールはルイスからの提案と支援を固辞した。

「リーリエがいい。世情や政治手腕だけでなく、交渉術や心理戦、見ているだけで学べる事が多いしな。それに城内に行くのも面倒だし、うちの屋敷には来たがらない人間の方が多い。俺の配下は俺も含め、差別や蔑みを不当に受ける者が多いからな」

 テオドールの黒髪、オッドアイも。
 ここで働く人類以外の種族の人たちも。
 少数派というだけで、不当に弾かれている。
 リーリエは気にした事が無さ過ぎて、すっかり忘れていた。
 リーリエはそっとテオドールに手を伸ばし、その髪に触れる。

「こんなにキレイな色の価値が分からないなんて、なんて勿体無い人達なのでしょう」

 そう言ってリーリエは笑う。

「きっと夜をヒトの形にしたら、旦那さまみたいになるのでしょうね」

 闇夜のような漆黒も、星の様に瞬く青や金の目も、とても綺麗で、羨ましい。

「私、一日の中で夜が1番好きなのです。明日は何をしようって考えると、わくわくして眠れなくなるくらい」

 リーリエは翡翠色の瞳にテオドールを写す。

「今日も私の旦那さまは素敵ですよ。謙虚で努力家なところも良き良きなのです」

 一目惚れした最愛の推しは、今日も変わらずカッコいい、リーリエの憧れだ。

「私の結婚相手が旦那さまで良かったです」

 そう言って微笑むリーリエの言葉が本心なのだと分かるほどには、時間を共にした。

「正直、私は子どもの頃から結婚というものに夢も希望も興味も全くもってなかったのです。ですが、結婚も悪くはないと今は思います」

 死神を恐れない生贄姫は今日もとても楽しそうだ。

「俺もヒトの事は言えんが、そこまでか」

 リーリエが割とリアリストな面を考慮してもそこまで言い切ることにテオドールは苦笑する。

「私、理想が高いのですよ。そして、絶対に叶わない事も分かってましたから」

 リーリエは婚約者と円満に別れて他国に人質として出されるまでに画策しまくった日々を思い出し、本当に頑張ったなと頷く。

「理想?」

 リーリエが無理だと言い切る理想に興味が惹かれ、テオドールは聞き返す。

「私の両親、恋愛結婚なのです」

「公爵家なのにか?」

 上流貴族などほとんどが政略結婚で縁組される中、恋愛結婚などかなりのレアケースだ。

「ええ。公爵家なのに、です。ちなみに母は伯爵家の出身で魔力が一切ありません」

「それはまた、随分な身分違いだな」

「父にも元々政略結婚の相手がいたそうですが、父があまりに結婚する気がなく、のらりくらりかわし、蔑ろにし過ぎるので、手ひどく振られた上相手の方は駆け落ちされたそうです」

 さらっと家のスキャンダルを暴露するリーリエ。

「そんな父が一目惚れした相手が母でした。騎士団総隊長の娘で、騎士団所属。そして誰よりも自分に厳しく強かった母は、魔力持ちの父をあっさり負かし、"それでも貴様は次期公爵か!?" と手厳しく袖にしたそうです」

 クスクスと可笑そうにリーリエは話すが、笑っていいところなのか判断に迷う。

「それから父が口説き続けること約5年。プロポーズ回数5500回」

「それは、また情熱的だな」

「はっきりストーカーって言ってもらっていいですよ? 娘の私でも割と引きます」

 テオドールがせっかく言葉を選んでオブラートに包んだというのに、リーリエは父の所業をばっさり切り捨てる。

「母も散々無理難題吹っ掛けたみたいですが、父はそれを嬉々と受け入れてこなしたらしく、たった5年で最年少で国の宰相まで登り詰めました」

 すごいですよねとどこか誇らしげに両親を語るリーリエの横顔を見て、彼女は両親の事が本当に好きなのだとテオドールは思う。

「そしていつもならプロポーズしに押しかけて来る時間になっても父が来ないので心配になって探したら、大人数の野盗に囲まれて殺されかかっていたらしく、母が1人で撃退したそうです」

「リーリエの母上、強すぎないか?」

「実力だけなら師団長クラスですからね」

 女性なので役職につけませんがとリーリエは残念そうに目を伏せる。

「まぁ、そんなことがあって"あなたを野放しにすると、国害になりかねません。仕方ないので私が引き取ります"と母からの逆プロポーズで結婚に至ります。情の深い人なので、5年の間に絆されたんでしょうね」

「……なかなかないパターンだな」

「そんなわけで、私の理想はお母様みたいな方なんですが、かっこよすぎてそんな男性現実にはいないんですよね。お父様が羨ましい。むしろ私が結婚したい」

 嬉々として語るリーリエの話を聞いて、テオドールはリーリエのルーツを知る。規格外の令嬢の両親はやはり規格外だ、と。

「まぁ、公爵家の長女ですから普通に政略結婚になるのも分かってましたし、そこに不満はないのですけれど」

 それでもやはり憧れはする。

「例えば、心から尊敬できる方と自分の好きなドレスや宝石を選んで好きな物だけに囲まれて、親しい人達だけを招待して、何の政治的しがらみもなく、純粋に祝われるだけの、小規模なガーデンパーティー……みたいな結婚式は憧れますね。まぁ、現実的に無理ですけれど」

 この結婚が2国間で行われる政略結婚である以上、それが叶わないことは分かっている。

「そうか。まぁ無理だな」

 テオドールはそう言って肯定する。

「そうですね。さて、じゃあ現実的に結婚式と言う名の外交頑張りましょうね、旦那さま。誠心誠意、パートナーを務めさせていただきますので」

 さして気に留める事もなく、リーリエは頷く。
 いくら憧れを募らせても、現実は変わらない。
 これが政略結婚である以上、沢山の思惑が入り乱れる中で、幸せな結婚式など望めるはずがないのだから。

「今更恋愛結婚はさせられないし、5年計画も無理だしな」

「別にそこはいりませんよ? ふふっ、旦那さまは真面目ですね」

 小首を傾げて可笑そうに笑うリーリエの髪に、手を伸ばしたテオドールは優しく頭を撫でる。
 リーリエの語る様な家族像などテオドールは持っていない。
 彼女の理想を叶える事は難しいだろう。

「結婚式2回やればいいんじゃないのか? 相手が俺で良ければだが」

 そう言われたリーリエは意味が飲み込めず目を丸くしたまま、テオドールを見返す。

「全部は叶えてやれないが、式の件くらいなら、まぁやれない事もない」

 例えば、それは。
 自分の好きなドレスや宝石を選んで。
 好きな物だけに囲まれて。
 親しい人達だけを招待して。
 何の政治的しがらみもなく、純粋に祝われるだけの小規模なガーデンパーティー。

「ふふっ、"好きにしろ"ですか?」

 リーリエは嬉しそうに笑ってそう尋ねる。

「ああ、そうだ。好きにしろ」

 テオドールは少し照れたようにそっぽを向いて肯定する。

「では"いつか"の約束をさせてくださいませ。いつか、2回目の結婚式をやる時はアシュレイ領が良いです。私の好きな場所を旦那さまにお見せしたいので」

 そんな"いつか"の夢を見る。
 そんな日が来たのなら、それはさぞ幸せな事だろう。

「ふふ、実はもう一つも叶っていたりするのですよ」

 疑問符を掲げるテオドールに笑うだけで答えないリーリエ。
 この結婚は恋愛結婚なんかじゃないのだけれども。

『私が、あなたを選んだのですよ』

 リーリエは心から尊敬できる憧れの人に内心でそうつぶやいた。
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