落ちこぼれ聖女ですが、王太子殿下のファーストキスは私がいただきます!【書籍化】



 イングリス神殿の大聖堂の方から、パイプオルガンの音色が聴こえて来る。
 緊張のあまり、周囲に聞かれてしまうのではないかという程に大きくなっていた心臓の音をかき消され、私は少しホッとした。


「聖女クローディア様。とてもお綺麗ですわ」


 ウェディングドレスに身を包んだ私の後ろから、鏡越しにリアナ様が言う。

 アーノルト殿下のプロポーズから、約一年。
 筆頭聖女となった私は正式に王太子アーノルト・イングリス殿下と、婚約を結ぶことになった。

 恋愛下手なアーノルト殿下と、恋愛小説大好きだけれど恋愛経験ゼロの私。
 この一年間、奥手な私たちは少しずつ恋愛マニュアルを読みながらお互いに歩み寄ってきた。

 ガイゼル様はそんな私たちを、目をひそめながら生暖かい目で見守ってくれていた。が、やはり奥手の私たちを見てイライラしたのだろう。自分の方はさっさとリアナ様に告白して、結婚してしまった。
 リアナ様の方は、ヘイズ侯爵家の過去を負い目に思っていて、結婚には躊躇したと聞いている。
 それでも最後にはガイゼル様の一途な気持ちが通じて、今では仲睦まじいおしどり夫婦。来年早々には二人の子どもも誕生するらしい。


(う、胃が痛くなってきたよ……)


 付き添いのリアナ様と共にアーノルト殿下が待つ大聖堂の扉の前に立ち、私は背中を丸める。


「クローディア様……せっかくの晴れ舞台なのですから、もう少し背中を伸ばして下さい」
「でもリアナ様! この扉を開けたら、国中から集まった招待客が並んでいるんでしょう? 想像しただけで胃が痛くて」
「大丈夫です。アーノルト殿下以外の方は、みんな野菜か何かだと思えばいいのです。クローディア様は殿下の目だけを見て、真っすぐ歩いていって下さいませ」


 招待客は野菜、招待客は野菜……。呪文のように唱えた後、私はリアナ様に御礼を言って、不安を払拭するようにピンと背筋を伸ばした。


「筆頭聖女、クローディア様です!」


 司祭様の声の後、大聖堂の扉が左右に大きく開かれる。
 一礼をし、心を決めて一歩踏み出した――のだが。


(あれ? 招待客は?)


 私の正面の目線の先には、正装したアーノルト殿下と司祭様が立っている。
 しかし左右を見渡してみても、招待客と思しき人は誰一人いなかった。


「ディア!」


 アーノルト殿下が、輝くような笑顔で私を呼ぶ。
 私は状況がよく分からないまま、殿下の元にゆっくりと進んだ。


「殿下! これは一体どういう……」
「ディアとても綺麗だよ」
「ありがとうございます、殿下もとても素敵で……じゃなくて! どうしてこんなに誰もいないんです?」


 戸惑う私の手を引き、アーノルト殿下は私と並んで司祭様の前に立った。
 司祭様と殿下は視線を合わせて頷きあい、そしてそのまま司祭様までもが聖堂から出て行ってしまう。


「ちょっ……! 司祭様まで出て行きますけど、いいんですか?!」
「私は運命の相手である君に、ファーストキスを捧げた。でも君は? キスをしたことを覚えている?」
「覚えてないですよ。あの時私は土砂に埋もれて意識を失っていたんですから。でもそれとこれとは関係が……」


 殿下は私の前で跪くと、ロングヴェールの裾に軽く口付けをした。
 ヴェールを上げてくれた殿下の顔を見上げると、殿下はどこか誇らし気に笑みを浮かべていた。


「つまり結婚の誓いのキスが、君にとってのファーストキスのようなもの。ファーストキスはロマンチックな場所で二人きり、誰にも邪魔されずにするのが良いというだろう」
「殿下……知らないうちに私の『一流のカップルの九割が実践する、ファーストキスの極意』を読みましたね?」


 事前に予習してくるなんて、どこまでも真面目なアーノルト殿下。聖堂に誰もいないのは、殿下の仕業だったんだ。
 私は笑いそうになるのを何とか抑え、殿下の顔を軽く睨みつけながら、美しいブロンドの髪を少しかき分ける。

 そして、私の記憶の中には存在しない自分のファーストキスを、大好きな人にそっと捧げた。

(おわり)
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