少女達の青春群像 ~途切れなかった絆~
黒崎の家に行くとなると、ちょっとした手土産は必要だろう。雪がちらつく中、車を走らせながら何がいいか考える。
だが、結局は思いつかず、黒崎に何がいいか電話して訊いてみた。黒崎は『お酒とつまめるもの』と言ったのでそれらと、自分用にアイスコーヒーを買うことにする。店もちらほらあるが、黒崎が住んでいるところの市内に入ってから買おう。響歌はそう思ったが、それが間違いだった。
市内に入ってから、どこを探してもそれらしき店が無いのだ。しかも響歌にとって、ここはアウェイ。年に一度くらいしか来ていなかったので、どこに何があるのかわからない。
それでもウロウロしているうちにようやく店を発見。つまみや酒類、もちろんアイスコーヒーも購入した。これで安堵したのもつかの間、今度は黒崎の家の在処がよくわからない。仕方なく再び黒崎に電話をして、彼の誘導で辿り着いた。これでかなり時間をロスしてしまった。
少しドキドキしながら黒崎の家のインターホンを押す。黒崎はすぐに出てきて、部屋に上がるよう響歌を促した。
やはりドキドキする心臓。黒崎の家は何回も来たのに、誘い方がいつもとは違ったせいか、何故か勝手が違う。
黒崎の部屋は、彼が柏原に借りていた家と同じようなタイプだった。1LDKで全部フローリングになっている。真ん中にベッドが置いてあるのはいかがなものかと毎回思っていたが、やはり今回もそう思ってしまう。
ベッドの頭側には一応壁があるが、左右には無い。これだと寝相が悪い人はすぐに落ちてしまうだろう。たとえば紗智とか。
ということは、黒崎の寝相はいいのだ。ベッドの高さは膝まで無いので落ちたとしてもそこまで痛くは無いだろうが、そういった経験があると左右のどちらかは壁につけるだろうから。
響歌はベッドを左右どちらかには壁につけたい派なので、ついそんなところが目についてしまう。
それでも黒崎の部屋にはくつろぐようなところがベッドしか無いのだ。ソファも無ければ、テーブルすら無い。響歌でなくても、みんなそこに目がいくだろう。
黒崎のベッドはセミダブルなので、ソファまで置いてしまうと部屋が狭くなってしまう。だから置いていないのかもしれないが、それでもせめてミニテーブルくらいは欲しいところだ。
黒崎は響歌の手にある袋を見て、目を丸くした。
「いっぱい買ってきたなぁ」
「え、そうかな。そんなことは無いと思うけど」
響歌はすぐにそう返したが、その後すぐ元彼に『またいっぱい買ってきて』とよく言われていたのを思い出した。
もしかして私の買うものって、本当に量が多いのだろうか?
でも、家に招待されているわけだから、これくらいは普通だと思うのだけど。食べきれない時は大抵そこの家主にあげているしね。
ベッドの足側にはテレビがある。そのテレビがついていたのでテレビを見ていたのかと思えば、どうやらそうではなくてゲームをしていたらしい。黒崎はベッドの端に座ると響歌を呼んだ。
「こっち、こっち」
呼ばれるままそこに座ると、すぐにコントローラを持たされてしまう。
「え、何?」
いきなり渡されても困るんですけど!
「このゲームを誰かと一緒にやりたかったんだよ」
「は?」
あなたさっき、そんなことを言っていましたっけ?
呆然となる響歌を横に、黒崎はゲームを操作していく。画面には沢山の人が移っている。三国志を題材にしたもので、数ある武将の中から1人を選び、それを操って敵を倒していくといった感じのものだった。中には女性も少しはいるが、ほとんどがおじさんのような出で立ちだった。
「ほら、始まったよ。操作していったらわかってくるから。なんでもいいからボタンを触ってみて」
はぁ、そうですか。
響歌は言われるがまま、わけがわからないまま滅茶苦茶ボタンを押していた。画面では響歌の選んだ人物が一応敵を倒しているようだった。
だが、響歌はさっぱりわからないままだった。
「えっ、これ、これで合っているの。ちょっと、全然わからないんだけど!」
「ちゃんと敵が倒れているから、それで合っているって」
黒崎が選んだ人物は華麗に敵を倒していっているが、響歌の方は明らかにぎこちなかった。それでも倒しにかかってきた敵を一発で仕留めていたりするので、やり込んだら上手くなるのかもしれない。
小学生の時は兄の影響でゲームもしていたが、最近はご無沙汰だからやっぱりわからない。
それにしてもこういうゲームって、女性はあまり好みではないのでは…
「こういうのって、男同士でした方が面白いんじゃないの?」
響歌の方はそう思ったが、黒崎は違った。
「えっー、男同士でやっても面白くないでしょ」
…そういうものなのだろうか?
いや、やっぱり男同士の方が楽しめると思うのだけど。
響歌は黒崎の言葉に疑問を感じながらも、それはもう口にせずにゲームの相手をしていた。
それでもこのゲームは3D画面のせしばらくすると気分が少し悪くなってきた。
ちょっと、このゲームって、凄くあちこち動きまくるから酔ってきたんですけど。
それを察してか、それとも黒崎が飽きたのかはわからないが、このゲームは終わりにしてくれた。
それでもゲームの時間が終わったわけではない。黒崎が新たなゲームをセットした。『こっちの方が、響歌ちゃんの好みに合いそう』ということらしい。
さっきまでのおじさんだらけのむさ苦しさとは一転して、今度はファンタジー色が強いものだった。主人公も若い男性だ。もちろんこういったものにつきもののヒロインも可愛らしい女性だった。背景の画像も素晴らしく美しい。
へぇ、今はここまでゲームは進化しているんだ。ストーリーも面白そう。
だが、これも3Dだったので、動かし方がよくわからず、酔い気味なのも相変わらず続く。それでもわからないまま操作していたら、途中で宝箱らしきものを発見した。
「あれ、これって、宝箱?」
「おぉ、こんなところにあったんだ。いやぁ、ありがとう!」
「は?」
「オレ、ゲームは攻略本無しでするんだ。その方が面白いでしょ。だから取り逃がした宝箱も結構あるの。でも、まさかこんなところにあるなんて。本当にありがとう」
「そうなんだ。いや、お礼は別にいいんだけど」
そんなことを話しながら進めていたが、さすがにこのまま続けるわけにはいかない。聞くところによると、このゲームはクリアするのに何十時間もかかるらしい。さすがにそこまではやれないし、これ以上するともっとこのゲームをしたくなりそうなのでキリのいいところで止めた。
それでもさすがにエンディングが気になってしまう。
「ねぇ、エンディングが見たいんだけど」
黒崎は既にエンディングまで辿りついている。今のゲームなら、エンディングの部分は繰り返し見られるようになっているだろう。響歌はそう思って頼んだのだが、黒崎は見せてくれなかった。
「これはやっていく中でエンディングを見た方が感動する」
…は?
「なんだったら、オレんちへ来てそこまでやってもいいよ」
…いや、さすがにそれは距離的にも時間的にも辛いでしょ。
「それかゲーム機を買ったら貸してあげる」
…さすがにそこまでする程、このエンディングに興味は無いよ。
「そうなんだ。考えておくね」
響歌はこう濁すしかなかった。
結局、黒崎はエンディングを教えてくれなかったが、ムービーは二つ見せてくれた。ヒロインが踊っているものと、主人公とヒロインのラブシーンだ。
いくつかあるうちの二つだったが、黒崎は何故それらを選んだのだろう。
見るのなら、エンディングの映像が良かったのに!
響歌は少し不満だったし、居心地も悪かった。
いや、一つめの映像は良かったのだ。ヒロインが踊っているだけのものだったが、それがとても幻想的だったから。その部分がパッケージにも使用されていたので、制作側もかなりここに力を入れていたのだろう。
だが、二つめのラブシーンは落ち着いて見られなかった。ここには黒崎と自分だけしかいないし、その2人は現在曖昧な関係だったりするので特にそう感じるのかもしれない。しかも2人がいるのはベッドの上。響歌が選んでいたら絶対にこれ以外のものにしただろう。
なんで数ある中でこれを選ぶかな。普通は避けるでしょ。
しかも平然と見ているし!
意識する自分が変なのだろうか。それとも黒崎の方が変なのだろうか。
そんなことを考えているうちに映像が終わった。時間も10時になっていたのでゲームはこれで終わることになった。
それでもテレビはついたままだ。テレビを見ながら気楽に過ごす。黒崎が電話で言っていたことが何時間も経ってようやく実現した。
響歌はそのままテレビの近くにいたが、黒崎の方はベッドの真ん中に移動した。
テレビでは賑やかな声が始終聞こえてくる。正月らしく初詣がどうのといった声が飛んでいた。
「初詣かぁ、そういえば今年はまだ行っていないなぁ。カウントダウンの方に行っていたから。そういえば黒崎君は、みんなで麻雀していたんでしょ。いつまでしていたの?」
あの電話の様子だと、かなり遅くまでしていそうだった。
「朝までだったかな。その後、みんなで初詣に行ってから解散した。響歌ちゃんはテーマパークでカウントダウンしていたんでしょ。楽しそうで羨ましいって、幸田君が叫んでいたよ」
「そうなんだ。でも、電話した時はそっちも賑やかだったわよ。朝までしていたんだから、幸田君だって十分楽しんでいるわよ。ところでどこの神社に行っていたの?」
「浄瑠璃海岸のすぐ近くにある姫島神社」
「やっぱりそこだったんだ。あそこならすぐ行けるもんね。結構有名だしさ」
「でしょ。あっ、このお酒、もらっていい?」
「もちろん。これ全部あげるから、余ったらまた違う日にでも飲んで」
「ありがとう」
テレビには賑やかな女タレント、石野桂里奈が映っている。綺麗な顔をしているのに芸人みたいな扱いをされてちょっと気の毒だ。今も年齢のことでいじられていた。しかもそんな性格だから結婚できないようなことまで言われていた。
「石野桂里奈って、よくこうしてみんなから結婚は無理って言われているけど、オレは桂里奈だったら結婚したいな」
なんと結婚しない主義の人の口からこんな発言が飛び出したわよ。
「黒崎君って、桂里奈がタイプなんだ。でも、前に結婚しないって言っていなかったっけ?」
「だから桂里奈だったら、ね。結構いいと思うんだけどなぁ、桂里奈。顔も美人なのに、なんでこんなにいじられるんだろう」
「そういう売り方をしているだけでしょ。裏ではやっぱりモテていると思うわよ。意外と世話好きそうだし、気も使っていそうだもの」
…あれ、それって、黒崎君のタイプでは?
やはり黒崎は、女の子っぽい、守ってあげたいタイプの女性より、意思がしっかりしている姉御肌な女性が好みのようだ。だから同い年や年下よりも年上を選ぶ場合が多かったのだろう。きっと半年前に失恋した女性も年上だったのだ。聞くところによると、その人は響歌や黒崎よりも1歳年上な遊里の友達だったみたいだから。
それでも略奪しようとするのは良くないよ。しかも元カノの友達って!
私だったら、元彼の友達は避けるけど、みんなはそうじゃないのかしらね。なんだか身近でくっついたり離れたりするケースが多いような気がする。
響歌がそんなことを思っていると、黒崎が響歌に言った。
「そこだとテレビを見るの、しんどいでしょ。もっと真ん中に来たら?」
えっ、そうかな。ここって、結構楽なんだけど。
それに真ん中に来たら…と言われても、そこには黒崎君が既にいるじゃないの。いくらこのベッドがセミダブルでも、さすがに2人共そこじゃ、狭いわよ。
「ここでいいよ」
それだけ答えると、再びテレビを見る響歌。
正月番組は面白くないものが多いとは言うが、この番組はそうでもなかった。内容はバカバカしいものだったが、それが今の響歌には良かった。最近はテレビ離れが進んでいたが、たまにはこうしてボケッ~と見るのもいいものだ。昨日から動きまくっていて心身共に疲れていたので特にそう思うのかもしれない。
しばらくすると、黒崎がベッドの真ん中から頭の方に移動した。
あれ、黒崎君の方が移動した。テレビから離れてしまうのになんで移動したのだろう。壁にもたれたかったのだろうか。
響歌は不思議に思いながらも、それを口に出さずにテレビを見続けた。
そんな響歌を、黒崎が呼ぶ。
「こっちに来て」
黒崎の言葉に、響歌の身体に緊張が走る。
ちょっと、この言葉って、聞き覚えがありまくりなんですけど!
響歌はその言葉を元彼の口からよく聞いていた。つき合った時はもちろん、つき合う前も、だ。
その言葉の通りにして無事に終わったことなど無い。大抵引き寄せられ、その後は…の状況に突入していた。
響歌の心境も知らずに、黒崎は『こっち、こっち』と手招きしている。
まぁ、黒崎君は元彼とは違うから大丈夫かな。
いや、でも、一応は警戒をして、少しだけ傍に寄ってみよう。そしてすぐにまたここに戻ってくればいいよね。
「何?」
腰を上げてベッドの真ん中あたりまで行ってみる。
黒崎はそんな響歌の腕を掴むと、自分がいる方に強く引っ張った。
「っ!」
あっという間に、響歌の身体は黒崎の身体に包まれた。その力はかなり強い。
そうしながら響歌の耳元で囁く、黒崎。
「ほら、この方が楽に見えるだろ?」
も、もしかしてこの状況は…でも、まさか黒崎君が!
今まで黒崎の家には何回もお邪魔してきた。深夜にお邪魔してベッドを借りたこともある。それでも何もされたことが無かった。
だから安心していたのに!
黒崎の顔は響歌のすぐ傍にある。雰囲気的にも、振り向いた瞬間キスをされてしまうだろう。
固まる響歌の身体を、黒崎は当分離すつもりが無いようだ。しばらくこのままの状態が続いた。
相変わらずテレビでは桂里奈を中心に芸人達が騒いでいるが、響歌の頭にはそれがまったく入ってこない。すぐ後ろにいる黒崎のことが気になって仕方がなかった。
それでもなんとかここから脱出しなくてはならない。密着しているからこそ、わかってしまう。
黒崎君のあの部分が確実に大きくなっていることが!
もしかしたら黒崎は、わざとそこを響歌の腰に押しつけていたのかもしれない。
響歌は焦りながらも黒崎の腕の中にいた。いや、黒崎の力が強くて腕の中から出られなかったのだ。女性よりも細い身体をしているのに、その力は男性のものだった。
それでもさすがにずっとそのままでいるわけにはいかない。黒崎の力が緩んだその瞬間、アイスコーヒーを取るふりをして腕の中から離れた。アイスコーヒーはテレビの前に置いてあったので、黒崎のいる場所には戻らずにそのままでいた。その後は黒崎も何も言ってこなかった。
良かったぁ、何か言われるかと思ったけど、どうやらこのまま無事でいられそう。
でも…なんであんなことをしたのだろう。
もしかして私って、黒崎君の許容範囲に入っているの?
それでもすんなり離してくれたから、やっぱり止めておこうと思ってくれたのだろうか。
響歌はテレビを見ているようで、その意識は黒崎の方にばかり向いていた。
その黒崎は、いつの間にかベッドに入ってお休み体制だ。
そういえば黒崎君も、私ほどではないにしてもほとんど寝ていないのではないだろうか。時間も12時を過ぎているし、もう帰った方がいいのかもしれない。
窓の外を見てみると、夕方にはちらつく程度だった雪が本降りへと変わってきている。天気予報ではこれから大雪になるらしい。朝になるとすぐには帰れないくらい積もっているかもしれない。
黒崎君と雪と言えば、思い出すのは高校の時の相合傘だ。あの時はあんなにもドキドキしながら隣に並んでいたのに、まさか今になってこんな風に夜を一緒に過ごすことになっているなんて…
しかもさっきなんて抱きしめられていたのよ!
今もその感触は覚えているのに…なんだか信じられないよ。
もちろん今だってドキドキしている。さっきも嫌ではなかった。もしかしたらあのまま黒崎君の腕の中にいた方が良かったのかもしれないとまで思ってしまう。
あの時とは、違う。彼とは友達のはずなのにね。
さて、と、もう帰ろう。そもそも今日は少し顔を出すだけで、こんなに長居するつもりはなかったのだから。
「ねぇ、黒崎君。私、そろそろ帰るね」
響歌が帰ることを告げると、黒崎が飛び起きた。
「えっー、もう帰るの!」
…は?
「もうって…いやいや、もう12時過ぎているわよ」
「まだ12時でしょ。もっといなよ」
12時って…まだの部類に入るの?
まさか引き止められるとは思っていなかったので、響歌は困惑した。
「でも、もう眠くなってきたし…」
というのは嘘だが、つい口から出てしまう。
「そうだろ、だから休んでいかないとダメでしょ」
そういうことに…なるのか。何を言っているんだ、私は。
「そうはいってもね…」
「明日、一緒に初詣に行こう、初詣に!」
あなたさっき、麻雀した後にみんなで初詣に行ったと言っていたでしょうが。
「ちょっとジュース買って来る!」
眠気を覚ます為だろうか、黒崎はジュースを買いに部屋から出て行ってしまった。
それでもすぐに戻ってくるだろう。このアパートの入口に自動販売機があったので、きっとそこで買うはずだ。
いつもとはまったく違う黒崎の様子に、響歌は呆然とし、悩んでしまった。
窓の傍に行って外を見てみると、雪は積もる雪になっていた。もう既に積もっているようにも見える。どうやら天気予報は当たっていそうだ。
本当にどうしよう…
帰るべきだろうか。それとも残るべきだろうか。
こんなに悩んだのは、幻となった橋本の告白以来だ。
あの時も凄く悩んでしまい、告白は無かったことにしてもらった。
橋本のことは好きだったが、それと同じくらい黒崎のことも好きだったから。
本当にあの時の自分は酷い女だったと思う。
だからこそ2年のバレンタインの時に冷たくあしらわれても、怒りはしたが仕方がないとすんなり諦められたのだ。
卒業後に橋本から連絡がきた時、バレンタインのことを持ち出さなかったのも、そういった思いがあったからだ。橋本からの手紙にはバレンタインの時の対応について説明があったが、そんなものは響歌には必要なかったのである。
ただ、6月くらいにいきなり怒りだした理由については橋本に訊いてみたし、今でも気にはなるのだが…
「あの時のようなことは、もう二度と起こらないだろうと思っていたのにな」
今の私は、元彼と黒崎君のどちらが好きなのだろう。
まだ元彼のことが好き?
それとも黒崎君に気持ちが傾いている?
「………」
もう少しだけ、ここにいよう。もしかしたら黒崎君は寂しいのかもしれないから。
フとベッドの傍にあるサイドテーブルを見てみると、年賀状が二枚置いてあった。そこには名前が見えている。一枚は響歌の友達でもあるミチルからだが、二枚目は響歌の知らない名前だった。黒崎と苗字が同じなので身内かもしれない。
黒崎はすぐに戻ってきた。響歌に帰られると思って急いだのかもしれない。その手にはコーラがある。響歌が年賀状の方を見ていることに気づき、それらを手に取った。
「ミチルさんと兄貴から年賀状が来たんだ」
やはりもう一枚は身内からのようだ。
「へぇ、ミチルさんは納得できるけど、お兄さんからも来たんだ。男性なのに筆まめな人なんだね」
「筆まめとは思えないけど、毎年こうやって年賀状くれるんだよな」
「きっと黒崎君のことを気にしてくれているのよ。いいお兄さんじゃない」
そういえば黒崎君って、正月なのに実家に帰らないのだろうか。確かご両親共、海外から帰ってきていたはずだけど…
「黒崎君は実家に顔を出さないの?」
「明日の昼くらいに行こうかなと思ってはいるけど、すぐ帰ってくるつもり」
彼は実家にあまり思い入れがないのか、どうでもよさそうな返答だった。
黒崎がコーラを飲み始めたので、響歌もアイスコーヒーを飲んだ。そうしながらこれまでのようにテレビを見ながら他愛もない話をしていた。
それでも1時間後、再び黒崎がベッドに潜り込むと、響歌は帰ることにして手早く片づけた。
「じゃあ、私はこのへんで帰るね」
今度はコートを着ているし、鞄も持っている。さすがにここまですると、黒崎ももう止めることは無いだろう。
響歌はそう思ったが、現実は違った。
「えぇっー」
黒崎は嫌そうな声を上げると、またもや響歌を引き止めにかかる。
「泊まっていけばいいでしょ」
今度ははっきりと『泊まる』という言葉を口にした。
「いや、さすがにそれは…」
マズ過ぎるだろう。
「今日は予定無いんでしょ」
勝手に無いことにされている。
そんなにも私に帰って欲しくないのだろうか。
「いや、予定は一応あるんだよね」
黒崎は言葉では引き止めているが、行動に移してはいない。響歌は黒崎に答えながらも玄関の方に進んでいく。
響歌は部屋から出る寸前、黒崎の方を振り返った。やはり彼はベッドから出ていない。顔だけ響歌の方に向けている。
「一緒に寝よ?」
また誰かさんみたいなことを言うし!
布団から顔だけ出してそう訴える彼は可愛らしかったが、いかんせん彼はれっきとした同い年の男性。さすがに隣で一緒に寝るだけにはならないだろう。現にさっきは抱きしめられていたのだ。
響歌は流されまいと心にブレーキをかけながら、それでも表にはそれを出さずに笑顔を向ける。
「今日は帰らせてね」
その言葉を残してドアを開けた。
だが、結局は思いつかず、黒崎に何がいいか電話して訊いてみた。黒崎は『お酒とつまめるもの』と言ったのでそれらと、自分用にアイスコーヒーを買うことにする。店もちらほらあるが、黒崎が住んでいるところの市内に入ってから買おう。響歌はそう思ったが、それが間違いだった。
市内に入ってから、どこを探してもそれらしき店が無いのだ。しかも響歌にとって、ここはアウェイ。年に一度くらいしか来ていなかったので、どこに何があるのかわからない。
それでもウロウロしているうちにようやく店を発見。つまみや酒類、もちろんアイスコーヒーも購入した。これで安堵したのもつかの間、今度は黒崎の家の在処がよくわからない。仕方なく再び黒崎に電話をして、彼の誘導で辿り着いた。これでかなり時間をロスしてしまった。
少しドキドキしながら黒崎の家のインターホンを押す。黒崎はすぐに出てきて、部屋に上がるよう響歌を促した。
やはりドキドキする心臓。黒崎の家は何回も来たのに、誘い方がいつもとは違ったせいか、何故か勝手が違う。
黒崎の部屋は、彼が柏原に借りていた家と同じようなタイプだった。1LDKで全部フローリングになっている。真ん中にベッドが置いてあるのはいかがなものかと毎回思っていたが、やはり今回もそう思ってしまう。
ベッドの頭側には一応壁があるが、左右には無い。これだと寝相が悪い人はすぐに落ちてしまうだろう。たとえば紗智とか。
ということは、黒崎の寝相はいいのだ。ベッドの高さは膝まで無いので落ちたとしてもそこまで痛くは無いだろうが、そういった経験があると左右のどちらかは壁につけるだろうから。
響歌はベッドを左右どちらかには壁につけたい派なので、ついそんなところが目についてしまう。
それでも黒崎の部屋にはくつろぐようなところがベッドしか無いのだ。ソファも無ければ、テーブルすら無い。響歌でなくても、みんなそこに目がいくだろう。
黒崎のベッドはセミダブルなので、ソファまで置いてしまうと部屋が狭くなってしまう。だから置いていないのかもしれないが、それでもせめてミニテーブルくらいは欲しいところだ。
黒崎は響歌の手にある袋を見て、目を丸くした。
「いっぱい買ってきたなぁ」
「え、そうかな。そんなことは無いと思うけど」
響歌はすぐにそう返したが、その後すぐ元彼に『またいっぱい買ってきて』とよく言われていたのを思い出した。
もしかして私の買うものって、本当に量が多いのだろうか?
でも、家に招待されているわけだから、これくらいは普通だと思うのだけど。食べきれない時は大抵そこの家主にあげているしね。
ベッドの足側にはテレビがある。そのテレビがついていたのでテレビを見ていたのかと思えば、どうやらそうではなくてゲームをしていたらしい。黒崎はベッドの端に座ると響歌を呼んだ。
「こっち、こっち」
呼ばれるままそこに座ると、すぐにコントローラを持たされてしまう。
「え、何?」
いきなり渡されても困るんですけど!
「このゲームを誰かと一緒にやりたかったんだよ」
「は?」
あなたさっき、そんなことを言っていましたっけ?
呆然となる響歌を横に、黒崎はゲームを操作していく。画面には沢山の人が移っている。三国志を題材にしたもので、数ある武将の中から1人を選び、それを操って敵を倒していくといった感じのものだった。中には女性も少しはいるが、ほとんどがおじさんのような出で立ちだった。
「ほら、始まったよ。操作していったらわかってくるから。なんでもいいからボタンを触ってみて」
はぁ、そうですか。
響歌は言われるがまま、わけがわからないまま滅茶苦茶ボタンを押していた。画面では響歌の選んだ人物が一応敵を倒しているようだった。
だが、響歌はさっぱりわからないままだった。
「えっ、これ、これで合っているの。ちょっと、全然わからないんだけど!」
「ちゃんと敵が倒れているから、それで合っているって」
黒崎が選んだ人物は華麗に敵を倒していっているが、響歌の方は明らかにぎこちなかった。それでも倒しにかかってきた敵を一発で仕留めていたりするので、やり込んだら上手くなるのかもしれない。
小学生の時は兄の影響でゲームもしていたが、最近はご無沙汰だからやっぱりわからない。
それにしてもこういうゲームって、女性はあまり好みではないのでは…
「こういうのって、男同士でした方が面白いんじゃないの?」
響歌の方はそう思ったが、黒崎は違った。
「えっー、男同士でやっても面白くないでしょ」
…そういうものなのだろうか?
いや、やっぱり男同士の方が楽しめると思うのだけど。
響歌は黒崎の言葉に疑問を感じながらも、それはもう口にせずにゲームの相手をしていた。
それでもこのゲームは3D画面のせしばらくすると気分が少し悪くなってきた。
ちょっと、このゲームって、凄くあちこち動きまくるから酔ってきたんですけど。
それを察してか、それとも黒崎が飽きたのかはわからないが、このゲームは終わりにしてくれた。
それでもゲームの時間が終わったわけではない。黒崎が新たなゲームをセットした。『こっちの方が、響歌ちゃんの好みに合いそう』ということらしい。
さっきまでのおじさんだらけのむさ苦しさとは一転して、今度はファンタジー色が強いものだった。主人公も若い男性だ。もちろんこういったものにつきもののヒロインも可愛らしい女性だった。背景の画像も素晴らしく美しい。
へぇ、今はここまでゲームは進化しているんだ。ストーリーも面白そう。
だが、これも3Dだったので、動かし方がよくわからず、酔い気味なのも相変わらず続く。それでもわからないまま操作していたら、途中で宝箱らしきものを発見した。
「あれ、これって、宝箱?」
「おぉ、こんなところにあったんだ。いやぁ、ありがとう!」
「は?」
「オレ、ゲームは攻略本無しでするんだ。その方が面白いでしょ。だから取り逃がした宝箱も結構あるの。でも、まさかこんなところにあるなんて。本当にありがとう」
「そうなんだ。いや、お礼は別にいいんだけど」
そんなことを話しながら進めていたが、さすがにこのまま続けるわけにはいかない。聞くところによると、このゲームはクリアするのに何十時間もかかるらしい。さすがにそこまではやれないし、これ以上するともっとこのゲームをしたくなりそうなのでキリのいいところで止めた。
それでもさすがにエンディングが気になってしまう。
「ねぇ、エンディングが見たいんだけど」
黒崎は既にエンディングまで辿りついている。今のゲームなら、エンディングの部分は繰り返し見られるようになっているだろう。響歌はそう思って頼んだのだが、黒崎は見せてくれなかった。
「これはやっていく中でエンディングを見た方が感動する」
…は?
「なんだったら、オレんちへ来てそこまでやってもいいよ」
…いや、さすがにそれは距離的にも時間的にも辛いでしょ。
「それかゲーム機を買ったら貸してあげる」
…さすがにそこまでする程、このエンディングに興味は無いよ。
「そうなんだ。考えておくね」
響歌はこう濁すしかなかった。
結局、黒崎はエンディングを教えてくれなかったが、ムービーは二つ見せてくれた。ヒロインが踊っているものと、主人公とヒロインのラブシーンだ。
いくつかあるうちの二つだったが、黒崎は何故それらを選んだのだろう。
見るのなら、エンディングの映像が良かったのに!
響歌は少し不満だったし、居心地も悪かった。
いや、一つめの映像は良かったのだ。ヒロインが踊っているだけのものだったが、それがとても幻想的だったから。その部分がパッケージにも使用されていたので、制作側もかなりここに力を入れていたのだろう。
だが、二つめのラブシーンは落ち着いて見られなかった。ここには黒崎と自分だけしかいないし、その2人は現在曖昧な関係だったりするので特にそう感じるのかもしれない。しかも2人がいるのはベッドの上。響歌が選んでいたら絶対にこれ以外のものにしただろう。
なんで数ある中でこれを選ぶかな。普通は避けるでしょ。
しかも平然と見ているし!
意識する自分が変なのだろうか。それとも黒崎の方が変なのだろうか。
そんなことを考えているうちに映像が終わった。時間も10時になっていたのでゲームはこれで終わることになった。
それでもテレビはついたままだ。テレビを見ながら気楽に過ごす。黒崎が電話で言っていたことが何時間も経ってようやく実現した。
響歌はそのままテレビの近くにいたが、黒崎の方はベッドの真ん中に移動した。
テレビでは賑やかな声が始終聞こえてくる。正月らしく初詣がどうのといった声が飛んでいた。
「初詣かぁ、そういえば今年はまだ行っていないなぁ。カウントダウンの方に行っていたから。そういえば黒崎君は、みんなで麻雀していたんでしょ。いつまでしていたの?」
あの電話の様子だと、かなり遅くまでしていそうだった。
「朝までだったかな。その後、みんなで初詣に行ってから解散した。響歌ちゃんはテーマパークでカウントダウンしていたんでしょ。楽しそうで羨ましいって、幸田君が叫んでいたよ」
「そうなんだ。でも、電話した時はそっちも賑やかだったわよ。朝までしていたんだから、幸田君だって十分楽しんでいるわよ。ところでどこの神社に行っていたの?」
「浄瑠璃海岸のすぐ近くにある姫島神社」
「やっぱりそこだったんだ。あそこならすぐ行けるもんね。結構有名だしさ」
「でしょ。あっ、このお酒、もらっていい?」
「もちろん。これ全部あげるから、余ったらまた違う日にでも飲んで」
「ありがとう」
テレビには賑やかな女タレント、石野桂里奈が映っている。綺麗な顔をしているのに芸人みたいな扱いをされてちょっと気の毒だ。今も年齢のことでいじられていた。しかもそんな性格だから結婚できないようなことまで言われていた。
「石野桂里奈って、よくこうしてみんなから結婚は無理って言われているけど、オレは桂里奈だったら結婚したいな」
なんと結婚しない主義の人の口からこんな発言が飛び出したわよ。
「黒崎君って、桂里奈がタイプなんだ。でも、前に結婚しないって言っていなかったっけ?」
「だから桂里奈だったら、ね。結構いいと思うんだけどなぁ、桂里奈。顔も美人なのに、なんでこんなにいじられるんだろう」
「そういう売り方をしているだけでしょ。裏ではやっぱりモテていると思うわよ。意外と世話好きそうだし、気も使っていそうだもの」
…あれ、それって、黒崎君のタイプでは?
やはり黒崎は、女の子っぽい、守ってあげたいタイプの女性より、意思がしっかりしている姉御肌な女性が好みのようだ。だから同い年や年下よりも年上を選ぶ場合が多かったのだろう。きっと半年前に失恋した女性も年上だったのだ。聞くところによると、その人は響歌や黒崎よりも1歳年上な遊里の友達だったみたいだから。
それでも略奪しようとするのは良くないよ。しかも元カノの友達って!
私だったら、元彼の友達は避けるけど、みんなはそうじゃないのかしらね。なんだか身近でくっついたり離れたりするケースが多いような気がする。
響歌がそんなことを思っていると、黒崎が響歌に言った。
「そこだとテレビを見るの、しんどいでしょ。もっと真ん中に来たら?」
えっ、そうかな。ここって、結構楽なんだけど。
それに真ん中に来たら…と言われても、そこには黒崎君が既にいるじゃないの。いくらこのベッドがセミダブルでも、さすがに2人共そこじゃ、狭いわよ。
「ここでいいよ」
それだけ答えると、再びテレビを見る響歌。
正月番組は面白くないものが多いとは言うが、この番組はそうでもなかった。内容はバカバカしいものだったが、それが今の響歌には良かった。最近はテレビ離れが進んでいたが、たまにはこうしてボケッ~と見るのもいいものだ。昨日から動きまくっていて心身共に疲れていたので特にそう思うのかもしれない。
しばらくすると、黒崎がベッドの真ん中から頭の方に移動した。
あれ、黒崎君の方が移動した。テレビから離れてしまうのになんで移動したのだろう。壁にもたれたかったのだろうか。
響歌は不思議に思いながらも、それを口に出さずにテレビを見続けた。
そんな響歌を、黒崎が呼ぶ。
「こっちに来て」
黒崎の言葉に、響歌の身体に緊張が走る。
ちょっと、この言葉って、聞き覚えがありまくりなんですけど!
響歌はその言葉を元彼の口からよく聞いていた。つき合った時はもちろん、つき合う前も、だ。
その言葉の通りにして無事に終わったことなど無い。大抵引き寄せられ、その後は…の状況に突入していた。
響歌の心境も知らずに、黒崎は『こっち、こっち』と手招きしている。
まぁ、黒崎君は元彼とは違うから大丈夫かな。
いや、でも、一応は警戒をして、少しだけ傍に寄ってみよう。そしてすぐにまたここに戻ってくればいいよね。
「何?」
腰を上げてベッドの真ん中あたりまで行ってみる。
黒崎はそんな響歌の腕を掴むと、自分がいる方に強く引っ張った。
「っ!」
あっという間に、響歌の身体は黒崎の身体に包まれた。その力はかなり強い。
そうしながら響歌の耳元で囁く、黒崎。
「ほら、この方が楽に見えるだろ?」
も、もしかしてこの状況は…でも、まさか黒崎君が!
今まで黒崎の家には何回もお邪魔してきた。深夜にお邪魔してベッドを借りたこともある。それでも何もされたことが無かった。
だから安心していたのに!
黒崎の顔は響歌のすぐ傍にある。雰囲気的にも、振り向いた瞬間キスをされてしまうだろう。
固まる響歌の身体を、黒崎は当分離すつもりが無いようだ。しばらくこのままの状態が続いた。
相変わらずテレビでは桂里奈を中心に芸人達が騒いでいるが、響歌の頭にはそれがまったく入ってこない。すぐ後ろにいる黒崎のことが気になって仕方がなかった。
それでもなんとかここから脱出しなくてはならない。密着しているからこそ、わかってしまう。
黒崎君のあの部分が確実に大きくなっていることが!
もしかしたら黒崎は、わざとそこを響歌の腰に押しつけていたのかもしれない。
響歌は焦りながらも黒崎の腕の中にいた。いや、黒崎の力が強くて腕の中から出られなかったのだ。女性よりも細い身体をしているのに、その力は男性のものだった。
それでもさすがにずっとそのままでいるわけにはいかない。黒崎の力が緩んだその瞬間、アイスコーヒーを取るふりをして腕の中から離れた。アイスコーヒーはテレビの前に置いてあったので、黒崎のいる場所には戻らずにそのままでいた。その後は黒崎も何も言ってこなかった。
良かったぁ、何か言われるかと思ったけど、どうやらこのまま無事でいられそう。
でも…なんであんなことをしたのだろう。
もしかして私って、黒崎君の許容範囲に入っているの?
それでもすんなり離してくれたから、やっぱり止めておこうと思ってくれたのだろうか。
響歌はテレビを見ているようで、その意識は黒崎の方にばかり向いていた。
その黒崎は、いつの間にかベッドに入ってお休み体制だ。
そういえば黒崎君も、私ほどではないにしてもほとんど寝ていないのではないだろうか。時間も12時を過ぎているし、もう帰った方がいいのかもしれない。
窓の外を見てみると、夕方にはちらつく程度だった雪が本降りへと変わってきている。天気予報ではこれから大雪になるらしい。朝になるとすぐには帰れないくらい積もっているかもしれない。
黒崎君と雪と言えば、思い出すのは高校の時の相合傘だ。あの時はあんなにもドキドキしながら隣に並んでいたのに、まさか今になってこんな風に夜を一緒に過ごすことになっているなんて…
しかもさっきなんて抱きしめられていたのよ!
今もその感触は覚えているのに…なんだか信じられないよ。
もちろん今だってドキドキしている。さっきも嫌ではなかった。もしかしたらあのまま黒崎君の腕の中にいた方が良かったのかもしれないとまで思ってしまう。
あの時とは、違う。彼とは友達のはずなのにね。
さて、と、もう帰ろう。そもそも今日は少し顔を出すだけで、こんなに長居するつもりはなかったのだから。
「ねぇ、黒崎君。私、そろそろ帰るね」
響歌が帰ることを告げると、黒崎が飛び起きた。
「えっー、もう帰るの!」
…は?
「もうって…いやいや、もう12時過ぎているわよ」
「まだ12時でしょ。もっといなよ」
12時って…まだの部類に入るの?
まさか引き止められるとは思っていなかったので、響歌は困惑した。
「でも、もう眠くなってきたし…」
というのは嘘だが、つい口から出てしまう。
「そうだろ、だから休んでいかないとダメでしょ」
そういうことに…なるのか。何を言っているんだ、私は。
「そうはいってもね…」
「明日、一緒に初詣に行こう、初詣に!」
あなたさっき、麻雀した後にみんなで初詣に行ったと言っていたでしょうが。
「ちょっとジュース買って来る!」
眠気を覚ます為だろうか、黒崎はジュースを買いに部屋から出て行ってしまった。
それでもすぐに戻ってくるだろう。このアパートの入口に自動販売機があったので、きっとそこで買うはずだ。
いつもとはまったく違う黒崎の様子に、響歌は呆然とし、悩んでしまった。
窓の傍に行って外を見てみると、雪は積もる雪になっていた。もう既に積もっているようにも見える。どうやら天気予報は当たっていそうだ。
本当にどうしよう…
帰るべきだろうか。それとも残るべきだろうか。
こんなに悩んだのは、幻となった橋本の告白以来だ。
あの時も凄く悩んでしまい、告白は無かったことにしてもらった。
橋本のことは好きだったが、それと同じくらい黒崎のことも好きだったから。
本当にあの時の自分は酷い女だったと思う。
だからこそ2年のバレンタインの時に冷たくあしらわれても、怒りはしたが仕方がないとすんなり諦められたのだ。
卒業後に橋本から連絡がきた時、バレンタインのことを持ち出さなかったのも、そういった思いがあったからだ。橋本からの手紙にはバレンタインの時の対応について説明があったが、そんなものは響歌には必要なかったのである。
ただ、6月くらいにいきなり怒りだした理由については橋本に訊いてみたし、今でも気にはなるのだが…
「あの時のようなことは、もう二度と起こらないだろうと思っていたのにな」
今の私は、元彼と黒崎君のどちらが好きなのだろう。
まだ元彼のことが好き?
それとも黒崎君に気持ちが傾いている?
「………」
もう少しだけ、ここにいよう。もしかしたら黒崎君は寂しいのかもしれないから。
フとベッドの傍にあるサイドテーブルを見てみると、年賀状が二枚置いてあった。そこには名前が見えている。一枚は響歌の友達でもあるミチルからだが、二枚目は響歌の知らない名前だった。黒崎と苗字が同じなので身内かもしれない。
黒崎はすぐに戻ってきた。響歌に帰られると思って急いだのかもしれない。その手にはコーラがある。響歌が年賀状の方を見ていることに気づき、それらを手に取った。
「ミチルさんと兄貴から年賀状が来たんだ」
やはりもう一枚は身内からのようだ。
「へぇ、ミチルさんは納得できるけど、お兄さんからも来たんだ。男性なのに筆まめな人なんだね」
「筆まめとは思えないけど、毎年こうやって年賀状くれるんだよな」
「きっと黒崎君のことを気にしてくれているのよ。いいお兄さんじゃない」
そういえば黒崎君って、正月なのに実家に帰らないのだろうか。確かご両親共、海外から帰ってきていたはずだけど…
「黒崎君は実家に顔を出さないの?」
「明日の昼くらいに行こうかなと思ってはいるけど、すぐ帰ってくるつもり」
彼は実家にあまり思い入れがないのか、どうでもよさそうな返答だった。
黒崎がコーラを飲み始めたので、響歌もアイスコーヒーを飲んだ。そうしながらこれまでのようにテレビを見ながら他愛もない話をしていた。
それでも1時間後、再び黒崎がベッドに潜り込むと、響歌は帰ることにして手早く片づけた。
「じゃあ、私はこのへんで帰るね」
今度はコートを着ているし、鞄も持っている。さすがにここまですると、黒崎ももう止めることは無いだろう。
響歌はそう思ったが、現実は違った。
「えぇっー」
黒崎は嫌そうな声を上げると、またもや響歌を引き止めにかかる。
「泊まっていけばいいでしょ」
今度ははっきりと『泊まる』という言葉を口にした。
「いや、さすがにそれは…」
マズ過ぎるだろう。
「今日は予定無いんでしょ」
勝手に無いことにされている。
そんなにも私に帰って欲しくないのだろうか。
「いや、予定は一応あるんだよね」
黒崎は言葉では引き止めているが、行動に移してはいない。響歌は黒崎に答えながらも玄関の方に進んでいく。
響歌は部屋から出る寸前、黒崎の方を振り返った。やはり彼はベッドから出ていない。顔だけ響歌の方に向けている。
「一緒に寝よ?」
また誰かさんみたいなことを言うし!
布団から顔だけ出してそう訴える彼は可愛らしかったが、いかんせん彼はれっきとした同い年の男性。さすがに隣で一緒に寝るだけにはならないだろう。現にさっきは抱きしめられていたのだ。
響歌は流されまいと心にブレーキをかけながら、それでも表にはそれを出さずに笑顔を向ける。
「今日は帰らせてね」
その言葉を残してドアを開けた。