2年で離婚予定の妻ですが、旦那様が永久溺愛で逃がしてくれません
瑞穂と初めて出会ったのは、俺が小学四年の時のことだ。
『社会勉強は必要だ』と幼い頃から経営者会合やパーティーに連れ出されていた俺は、倉橋社長とも面識があった。
その日倉橋社長と挨拶をすると、彼の足に後ろからくっつき、ひょっこりと顔を出す女の子の姿があった。
それが当時五歳の瑞穂だった。
『あのね、しゃかいべんきょうにきたの』
緊張した面持ちながらも誇らしげに言った彼女に、思わず口元が緩んだ。
『じゃあ俺と同じだな』
そう言うと、瑞穂は嬉しそうにはにかんだ。
その後も顔を合わせる機会があり、元々父親同士の親交があったため、何度か互いの家を行き来したこともある。
瑞穂が中学生になったころ、それまで俺のことを『斗真お兄ちゃん』と呼んでいたのに、突然『斗真さん』と呼び方を変え、急に距離を感じて寂しくなったのを覚えている。
思えばあのころからだろうか。
瑞穂を女性として意識しはじめたのは。
俺はロリコンか、と当時は認めたくない気持ちではあったけど。
『社会勉強は必要だ』と幼い頃から経営者会合やパーティーに連れ出されていた俺は、倉橋社長とも面識があった。
その日倉橋社長と挨拶をすると、彼の足に後ろからくっつき、ひょっこりと顔を出す女の子の姿があった。
それが当時五歳の瑞穂だった。
『あのね、しゃかいべんきょうにきたの』
緊張した面持ちながらも誇らしげに言った彼女に、思わず口元が緩んだ。
『じゃあ俺と同じだな』
そう言うと、瑞穂は嬉しそうにはにかんだ。
その後も顔を合わせる機会があり、元々父親同士の親交があったため、何度か互いの家を行き来したこともある。
瑞穂が中学生になったころ、それまで俺のことを『斗真お兄ちゃん』と呼んでいたのに、突然『斗真さん』と呼び方を変え、急に距離を感じて寂しくなったのを覚えている。
思えばあのころからだろうか。
瑞穂を女性として意識しはじめたのは。
俺はロリコンか、と当時は認めたくない気持ちではあったけど。