Rain, rain later
雨のち雨
紺色の小宇宙を、白い猫が駆けている。
白猫が蹴り出すあとからあとから、雨水の滴が降りおちる。
……正確にいうと、それは傘の模様。
小宇宙の主は、2クラス向こうの男子生徒だった。
名前は知らない。
ただ、不思議なことに彼にはよく目を奪われた。
ごく平均的な体つきなのだけれど、肌がとにかく滑らかで真っ黒な髪は濡れたように艶やかで_____なんとなく綺麗な人だと思ったのだ。
台風が近づいているらしい。ごうごう唸る風に煽られて、雨粒が降りかかる。
傘なんて申し訳ばかりの防具はなんのその、制服のワイシャツに水玉のしみができていく。
少し身震いして、すこし緊張を覚えながら"主"の前を通りすぎようとした。
校門を飾る花壇のブロック(そんなところ誰も座らない)に腰掛ける彼の顔を、すれちがいざまに盗み見る。
醒めた目をしていた。
くるくる愉しげにまわる傘とはあまりにも対照的に、私をぞくっとさせるには十分な何かがそこにはあった。
彼の表情はやわらかく、しかし考え事をしているようにぴくりとも動かない。
不自然に冴えた目が、刺すように冷たい。
と、コンマ数秒をものすごくスローモーションに感じながらフォーカスする私の目が、反射的にぎゅっと閉じた。
驚いて足がとまる。
左目をこすると、かすかな痛みと生温い水が指先に伝った。
「……ごめんっ!水、飛んだ?」
やわらかな声。
雨音の中でもはっきりと輪郭のある声。
彼が立ち上がった拍子に小宇宙が転げおちる。
「おわっ」
匂う雨が容赦なく彼を責める。きれいな黒髪の毛先から滴がしたたり、いっそう艶っぽくなった。
「……大丈夫?」
雨にかき消されるほど小さな私の声。
「あ、ヘーキヘーキ。それより目、大丈夫?」
ごめんねボーッとしてて、と彼は目をのぞきこんでくる。
ああ、間近で見てもやっぱりきれいな肌……荒れも、しみひとつもない。
ばつが悪そうに顔をゆがめる彼の目に、いまはもう、さっき感じたものは消えている。
「いいの。私も平気だから」
「そう?」
こくん、私が頷くと彼は安堵の息を吐いた。
そこでやっと転がった小宇宙をひろいあげた。
「あ。それ」
彼が前髪をかき上げる。「ん?」
「ほんとに宇宙だった……」
「え?ああ、これ?」
小宇宙の裏側がくるりと返される。
濃紺の裏地いっぱいに、無数の星たちがひろがっている。
小さな月も発見した。
「俺のお気に入り」
自慢げな笑顔がかわいい。
「かわいいね」
いつの間にか笑顔が伝染ったみたいだ。自然と口角が上がる。
「じゃあ俺行きます」
月の主が小宇宙を持ち直す。「もう濡れすぎて意味ないな」ちょっと考える素振りを見せた。
「……だれか待ってたんじゃないの?」
感じた違和感にふっと浮かんだ疑問が口からこぼれる。
彼は表情を固めて瞬きする。
あ。このひとことは余計だったかも……。
口ごもっていると、彼はふっと息をもらして笑う。
「雨が憂鬱で動きたくなかっただけだよ」
一息にそれだけ言うと、彼は歩き出した。
シャツが貼りついた背中に小宇宙をたずさえて。
たぶん、女物の、小宇宙。
白猫が蹴り出すあとからあとから、雨水の滴が降りおちる。
……正確にいうと、それは傘の模様。
小宇宙の主は、2クラス向こうの男子生徒だった。
名前は知らない。
ただ、不思議なことに彼にはよく目を奪われた。
ごく平均的な体つきなのだけれど、肌がとにかく滑らかで真っ黒な髪は濡れたように艶やかで_____なんとなく綺麗な人だと思ったのだ。
台風が近づいているらしい。ごうごう唸る風に煽られて、雨粒が降りかかる。
傘なんて申し訳ばかりの防具はなんのその、制服のワイシャツに水玉のしみができていく。
少し身震いして、すこし緊張を覚えながら"主"の前を通りすぎようとした。
校門を飾る花壇のブロック(そんなところ誰も座らない)に腰掛ける彼の顔を、すれちがいざまに盗み見る。
醒めた目をしていた。
くるくる愉しげにまわる傘とはあまりにも対照的に、私をぞくっとさせるには十分な何かがそこにはあった。
彼の表情はやわらかく、しかし考え事をしているようにぴくりとも動かない。
不自然に冴えた目が、刺すように冷たい。
と、コンマ数秒をものすごくスローモーションに感じながらフォーカスする私の目が、反射的にぎゅっと閉じた。
驚いて足がとまる。
左目をこすると、かすかな痛みと生温い水が指先に伝った。
「……ごめんっ!水、飛んだ?」
やわらかな声。
雨音の中でもはっきりと輪郭のある声。
彼が立ち上がった拍子に小宇宙が転げおちる。
「おわっ」
匂う雨が容赦なく彼を責める。きれいな黒髪の毛先から滴がしたたり、いっそう艶っぽくなった。
「……大丈夫?」
雨にかき消されるほど小さな私の声。
「あ、ヘーキヘーキ。それより目、大丈夫?」
ごめんねボーッとしてて、と彼は目をのぞきこんでくる。
ああ、間近で見てもやっぱりきれいな肌……荒れも、しみひとつもない。
ばつが悪そうに顔をゆがめる彼の目に、いまはもう、さっき感じたものは消えている。
「いいの。私も平気だから」
「そう?」
こくん、私が頷くと彼は安堵の息を吐いた。
そこでやっと転がった小宇宙をひろいあげた。
「あ。それ」
彼が前髪をかき上げる。「ん?」
「ほんとに宇宙だった……」
「え?ああ、これ?」
小宇宙の裏側がくるりと返される。
濃紺の裏地いっぱいに、無数の星たちがひろがっている。
小さな月も発見した。
「俺のお気に入り」
自慢げな笑顔がかわいい。
「かわいいね」
いつの間にか笑顔が伝染ったみたいだ。自然と口角が上がる。
「じゃあ俺行きます」
月の主が小宇宙を持ち直す。「もう濡れすぎて意味ないな」ちょっと考える素振りを見せた。
「……だれか待ってたんじゃないの?」
感じた違和感にふっと浮かんだ疑問が口からこぼれる。
彼は表情を固めて瞬きする。
あ。このひとことは余計だったかも……。
口ごもっていると、彼はふっと息をもらして笑う。
「雨が憂鬱で動きたくなかっただけだよ」
一息にそれだけ言うと、彼は歩き出した。
シャツが貼りついた背中に小宇宙をたずさえて。
たぶん、女物の、小宇宙。
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