Rain, rain later
みるみる縮んでいく小宇宙を見るでもなく眺め、やがて見えなくなる。
急激にこみ上げる熱を感じてそっと額にふれると、うっすら汗がにじんでいた。指でそれをぬぐう。
湿っぽい空気のせいじゃ、ないよなコレ。
‘主’の声が頭のなかで反芻する。
感じのいい人だった。
名前も訊けなかったけど……
クラスの派手め女子みたいな積極性がほしい。
熱いため息を何回か出しつつ、ふらっと家路を歩きはじめる。
人目もはばからず傘をくるんくるん回した。
そんなこと初めての放課後。
宇宙傘の彼の名前はすぐに判明した。
恋愛とか、そういった色事におくてな私はなんとなく気恥ずかしくて、2年生になった今まで彼のことを誰にも聞けずにいた。
彼のほうも特別目立つ人ではなく、うわさも聞かない。
かれこれ半年、たまに姿を見つけては注意力散漫させて目で追う____なんてことを飽きずに続けてきた。
飽きないのは当然かもしれない。
知らないものには飽きようがない。
それが今日、初夏のとある1日、私はようやく知ろうとしている。
手はじめに一番仲のいい友人にそれとなく訊いてみたのだけれど、彼女と宇宙傘の彼とは出身中学が同じだったらしく、無駄にいきんでいた私は拍子抜けしてしまった。
やわらかく陽に照らされた中庭は広々として気持ちがいい。今日は湿ったにおいが鼻腔をくすぐる。
お昼の校内放送が流れてきていた。
昨日から降り続いた雨は、今日の午前中やっと涸れた。
ベンチはたくさんあるけれど、まだ乾いていないので雨に侵されていない屋根つきのテーブルセットを選ぶ。
そこで、友人と向かい合わせに座ってお弁当を開ける。
なんだか食欲がなくて、食べるでもなくお弁当の中身を箸先でいじる。デザートはくず餅で、そのつるりとした乳白色を見つめていると宇宙傘の彼が浮かんでくる。
あの肌もこんな風に瑞々しかった。
「恋わずらい?」
友人の声で気を掴み直す。
「…………いやー……」
どうだろ。とりあえず食欲がわいてこない。
「恋患いの症状その1、食欲が湧かない。その2、ボーッとする。3、カオが熱るっ!」
むにゅ。
テーブルに身を乗り出して笑顔の友人に、頬をつぶされた。
「なにしゅ、」
「ほらー、カオ赤いしー」
あっつ、と友人は手を離す。
「潤のこと考えてたんでしょ」
否定できない。そしてむしろ肯定したい気になってくる。
胸のあたりがむずむずしている。
おかしい。私どうかしてるかもしれない。
あつい。
「恋でしょうか」
湿った香りが、雨のなごり。
「恋でしょうね」
甘く立ちこめる植物のにおい。
「好きなのかな」
肌を包む潤んだ空気。
「好きなんじゃない?」
小宇宙と猫。
……醒めた目。
友人の言葉がたしかな自覚をくれる。
正解の答案にひとつひとつ赤マルをつけてくれる。
すん、すん、と静かな音をたてて、私の胸に気持ちが収まってく。
ああ、だんだん、さえてきた。
「……ずっと見てるだけだったの。けど、前よりもっと気になっちゃって」
むぐむぐ、ちいさく口を動かす。
「潤はー、元水球部で、目立たないけど品があって、けっこう好青年」
友人が口もとをゆるめながらサンドイッチをかじる。
「……でね、彼女がいたの」
指先に力が入る。
ぴくっとしたのに気がついてか、友人がニタリと笑う。
「去年別れてる。美人だったけどすっごい悪評流れててー、彼女、クラスで色々あったらしくて」
またサンドイッチをかじる。
「そんで転校した」
「え」
転校。
もう高校生だ。めったなことでは学校を移ったりしないだろう。
「まあ人づてに聞いたし、なんで転校したかまでは知んないなあ」
「そっか」
くず餅をながめる。
宇宙傘____潤くんの肌。
同時に、醒めた目。
連鎖的に浮かんできても、私が探り入るべきじゃない。そんな気がした。
「それくらい、食べとけば?もったいないし、ママ泣くよ」
友人が乳白のくず餅を指さす。
「そうだね」
湿り気が息苦しくなってきた。
箸で切ってくず餅を口にふくむ。
喉にぷるぷるの感触が冷たく、きもちいい。
のみこんで胃に落ちると、大げさにも重みを感じた。
屋根の下から陽のなかに出ると、開けた視界であちこちうるうる光っている。
花壇の花が雫をまとい、鳥が低く飛ぶ。
足もとでは、靴裏が強く摩擦している。
この潤いと離れたくないと。
その潤いに惹きつけられたみたいに。
急激にこみ上げる熱を感じてそっと額にふれると、うっすら汗がにじんでいた。指でそれをぬぐう。
湿っぽい空気のせいじゃ、ないよなコレ。
‘主’の声が頭のなかで反芻する。
感じのいい人だった。
名前も訊けなかったけど……
クラスの派手め女子みたいな積極性がほしい。
熱いため息を何回か出しつつ、ふらっと家路を歩きはじめる。
人目もはばからず傘をくるんくるん回した。
そんなこと初めての放課後。
宇宙傘の彼の名前はすぐに判明した。
恋愛とか、そういった色事におくてな私はなんとなく気恥ずかしくて、2年生になった今まで彼のことを誰にも聞けずにいた。
彼のほうも特別目立つ人ではなく、うわさも聞かない。
かれこれ半年、たまに姿を見つけては注意力散漫させて目で追う____なんてことを飽きずに続けてきた。
飽きないのは当然かもしれない。
知らないものには飽きようがない。
それが今日、初夏のとある1日、私はようやく知ろうとしている。
手はじめに一番仲のいい友人にそれとなく訊いてみたのだけれど、彼女と宇宙傘の彼とは出身中学が同じだったらしく、無駄にいきんでいた私は拍子抜けしてしまった。
やわらかく陽に照らされた中庭は広々として気持ちがいい。今日は湿ったにおいが鼻腔をくすぐる。
お昼の校内放送が流れてきていた。
昨日から降り続いた雨は、今日の午前中やっと涸れた。
ベンチはたくさんあるけれど、まだ乾いていないので雨に侵されていない屋根つきのテーブルセットを選ぶ。
そこで、友人と向かい合わせに座ってお弁当を開ける。
なんだか食欲がなくて、食べるでもなくお弁当の中身を箸先でいじる。デザートはくず餅で、そのつるりとした乳白色を見つめていると宇宙傘の彼が浮かんでくる。
あの肌もこんな風に瑞々しかった。
「恋わずらい?」
友人の声で気を掴み直す。
「…………いやー……」
どうだろ。とりあえず食欲がわいてこない。
「恋患いの症状その1、食欲が湧かない。その2、ボーッとする。3、カオが熱るっ!」
むにゅ。
テーブルに身を乗り出して笑顔の友人に、頬をつぶされた。
「なにしゅ、」
「ほらー、カオ赤いしー」
あっつ、と友人は手を離す。
「潤のこと考えてたんでしょ」
否定できない。そしてむしろ肯定したい気になってくる。
胸のあたりがむずむずしている。
おかしい。私どうかしてるかもしれない。
あつい。
「恋でしょうか」
湿った香りが、雨のなごり。
「恋でしょうね」
甘く立ちこめる植物のにおい。
「好きなのかな」
肌を包む潤んだ空気。
「好きなんじゃない?」
小宇宙と猫。
……醒めた目。
友人の言葉がたしかな自覚をくれる。
正解の答案にひとつひとつ赤マルをつけてくれる。
すん、すん、と静かな音をたてて、私の胸に気持ちが収まってく。
ああ、だんだん、さえてきた。
「……ずっと見てるだけだったの。けど、前よりもっと気になっちゃって」
むぐむぐ、ちいさく口を動かす。
「潤はー、元水球部で、目立たないけど品があって、けっこう好青年」
友人が口もとをゆるめながらサンドイッチをかじる。
「……でね、彼女がいたの」
指先に力が入る。
ぴくっとしたのに気がついてか、友人がニタリと笑う。
「去年別れてる。美人だったけどすっごい悪評流れててー、彼女、クラスで色々あったらしくて」
またサンドイッチをかじる。
「そんで転校した」
「え」
転校。
もう高校生だ。めったなことでは学校を移ったりしないだろう。
「まあ人づてに聞いたし、なんで転校したかまでは知んないなあ」
「そっか」
くず餅をながめる。
宇宙傘____潤くんの肌。
同時に、醒めた目。
連鎖的に浮かんできても、私が探り入るべきじゃない。そんな気がした。
「それくらい、食べとけば?もったいないし、ママ泣くよ」
友人が乳白のくず餅を指さす。
「そうだね」
湿り気が息苦しくなってきた。
箸で切ってくず餅を口にふくむ。
喉にぷるぷるの感触が冷たく、きもちいい。
のみこんで胃に落ちると、大げさにも重みを感じた。
屋根の下から陽のなかに出ると、開けた視界であちこちうるうる光っている。
花壇の花が雫をまとい、鳥が低く飛ぶ。
足もとでは、靴裏が強く摩擦している。
この潤いと離れたくないと。
その潤いに惹きつけられたみたいに。