大正浪漫 斜陽のくちづけ
「まぁ……いらっしゃるなんて聞いていないわ」

 驚いて廊下に出ると、相楽が立っていた。
 両手に収まらないほど立派な薔薇の花束を持っている。
 もともと派手な顔立ちの男性がそんな物を持っていると、舞台の上のような非現実的な雰囲気がある。

「私に?」

 差し出された花束を受け取る。

「他に花を贈りたい人などいませんよ」

 芝居がかった台詞に凛子は苦笑した。

「凛ちゃんの旦那様になる人?」

 凛子の後ろでスカートを掴んだまま、春子が尋ねる。

「ははっ。そうなりたくて、今必死に頑張っているところだ。応援してくれるかい?」

 こういう口説き文句を照れもせずに言う男性は、珍しいのではないだろうか。

 なにを言っても様になる美丈夫だけに、逆に軽く感じてしまう。

「凛ちゃんを傷つけるような人は駄目。絶対駄目。優しくて真面目でないと」
「なかなか手厳しい。凛子さんに少し似ている」

 そう言って床に跪いて、春子の目線に合わせると、鞄から人形を取り出した。

「なに? 髪が金色なのはどうして?」
「外国のお人形なんだ。珍しいから買ってきた」
「ありがとうございます」

 春子はスカートの端を持って、ぺこりと頭を下げた。子供というのは現金なもので、贈り物一つで、すっかり相楽に心を開いたようだった。

「さっ。春子様はこれから勉強のお時間です。参りましょう」

 女中に促され、春子は自分の部屋に戻っていった。
 二人きりになると、急に部屋の空気でも薄くなったように息苦しくなる。
 微妙な関係の彼となにを話していいかわからない。

 相楽がこちらを見ている。
 夏の日差しのような強い目線だ。思わず目を逸らしたくなる。

 ──返事の催促かしら……。
 まだ心は決まらない。
 そもそも決めるのは父だった。訊かれても困る。
 気まずい気持ちを隠すため、花瓶を取りにいって貰った花を飾ることにした。

「あっ」

 生けようとすると、棘が刺さって指先に血が滲んだ。
 相楽が凛子の手を取り、傷ついた指を見る。

「悪かった……自分で生けるとは思わなくて」
「私がぼんやりしていたの」

 男らしい厚みのある大きな手に触れられ、どぎまぎしてしまい、すぐに手を引っ込めた。

「先ほどピアノの音色が聞こえた」
「はい。あまり得意ではないけれど、好きなんです」

 お茶もお華も義務的な気持ちでやっていたけれど、音楽だけは好きでピアノは物心つく前から毎日弾いている。
 特に女学校を退学してからは、自分の心を慰めるかのように没頭していた。

「きれいな曲だった。少しお聞かせ願えますか」

 わざわざ訪れてくれたのに断る道理もない。
 この部屋は、春子が生まれる前は、凛子が使っていた部屋だった。
 薄桃色のカーテンが窓を彩り、外国製の白い家具は美しい装飾が施されて、さながら外国のお姫様のような雰囲気の部屋だった。

 部屋のあちこちにかわいらしい小物や、人形などが置かれているが、今思うと少女趣味で、急に見られるのが恥ずかしくなった。


「これは?」

 ピアノの前にある棚には、数々のオルゴールが並べられている。

「自然と集まってしまったの。ねじを回すと音楽が鳴るんです」

 幼少期から父が洋行へ行くたびに、土産に買ってきてくれたものだ。もしかすると、凛子が音楽に興味をもったきっかけだったかもしれない。
 ひとつひとつ手に取って、相楽に見せる。

「これは蓄音機の形をしたもの。これはピアノ、これは……」
「あなたにこんなかわいらしい趣味があったとはね」

 凛子が一番気に入っている箱型の陶器でできたオルゴールを目を細めて見ている。
 箱を開くと、ゆっくりとしたテンポで音楽が流れた。かわいらしい花の模様が描かれた箱から流れる繊細な音色。

 毎年のように父から娘に贈られたオルゴール。見ていると自然に幸せだった少女時代を思い出す。
 もう最近では聞くこともなくなり、ただの飾り物となっていた。
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