大正浪漫 斜陽のくちづけ
四章 婚約
相楽の求婚を受け入れた翌日。
凛子は屋敷の近くにある墓地を訪れていた。本家の立派な墓と違うこぢんまりとした墓に真一郎は独りで眠っている。
父親である叔父すら訪れないこの墓に、凛子は毎月の月命日になると訪れていた。
彼がこんなところで一人ぼっちだと思うと、いつでも胸が痛くなる。
自分と出会わなければ、それなりに充実した人生を送っていたに違いなかった。
「真ちゃん、ごめんね」
自分は生きて、別の男のところへ嫁ごうとしている。持ってきた花を添え、線香をあげると、両の掌を合わせて瞳を閉じた。
結局あの時どうすればよかったのか、今になってもわからない。自分も一緒に死んでしまえばよかったとすら思いつめることもあった。
誰かを好きになることなぞ、もうありはしないと信じていた。
陽の当らない場所で静かに余生を過ごすしかないと信じていた凛子に、突如訪れた転機にまだ戸惑っている。
無気力に生きていた時間の流れが少し変わっていくのを感じている。
「私、相楽さんと結婚しようと思います」
父の前に聖子に報告した。
妻を喪い、再婚もせず姉妹を育てた父にこれ以上心配をかけたくなかった。迷いがないといえば嘘になるが、これでよかったのだと徐々に思うようになった。
聖子は凛子が急に相楽を受け入れたことを心配していた。
「なにかあったの?」
「私と結婚したいなんて思う人はもう現れないでしょう。ここでずっとお邪魔虫でいるわけにもいかないもの」
「凛子さん、一度受け入れたら、やっぱり嫌ですとはいかなくなるのよ」
「私のせいで、皆に苦労をかけてしまったでしょう」
わかっている。家族にどれだけ迷惑をかけたか。
「ねぇ、もう過去の嫌なことは忘れなさい。あれは事故のようなもの。あなたはなにも悪くないわ」
「でも私自分で決めたんです。あの方のところへ嫁ぐと」
「お父様も私も、あなたが以前のように笑ってくれる日が来るよう祈っていたのよ」
「私の醜聞をもみ消すために、お父様が大金を費やしてしまったでしょう」
次女の凛子と違って、婿を取り家を継いだ姉は、家の内情もよく知っているに違いなかった。
「相楽さんは、伯爵家の威光が欲しい。お父様は相楽さんの財力が欲しい。双方にとってよい話で断る理由はありません」
「あなたはそれでいいの?」
「私が決めたことです。それに、私も相楽さんが悪い人ではないとわかったの」
相楽は凛子を残して死なないと言ってくれた。それだけで決めたと言えば愚かだろうか。少なくとも凛子にとっては、前に進むきっかけとなる重い言葉だった。
「……ならばなにも言わないわ。あなたったら、おっとりしているように見えて、強情なんだもの。一度決めたらてこでも動かない。お父様もあなたが誰とも結婚しないのではないかと心配していたの」
「そんなことをおっしゃっていたのね」
あまりわがままを言った記憶はないが、幼少期から思い込むと決して意思を曲げない頑なさを母や乳母が時に持て余していたのを覚えている。
当の本人にすら、どうにもできない性分でもある。
「あちらはご両親もいないようだし、うちとはずいぶん違うから、苦労することもあると思うわ」
「お姉様。どうか心配なさらないで。私ももう子供ではないのです。嫁げばもう身分も気にせずに済むし、過去を忘れられそうな気がするんです」
「わかりました。お父様には私から話しておきます。本当にいいのね?」
「はい」
結婚準備のため、自然と会う機会が増えた。
結婚式は、十二月に予定された。出会ってから四か月しか経っていない。
考える間もないほど慌ただしく時は過ぎていく。
凛子が求婚を受け入れて、すぐ屋敷を購入したと聞いて驚いた。すでに一人暮らししていた家を売り払い、そちらで先に暮らしているという。
嫁ぐにあたり、必要なものを事前に用意するため、新居を訪れた。
凛子は屋敷の近くにある墓地を訪れていた。本家の立派な墓と違うこぢんまりとした墓に真一郎は独りで眠っている。
父親である叔父すら訪れないこの墓に、凛子は毎月の月命日になると訪れていた。
彼がこんなところで一人ぼっちだと思うと、いつでも胸が痛くなる。
自分と出会わなければ、それなりに充実した人生を送っていたに違いなかった。
「真ちゃん、ごめんね」
自分は生きて、別の男のところへ嫁ごうとしている。持ってきた花を添え、線香をあげると、両の掌を合わせて瞳を閉じた。
結局あの時どうすればよかったのか、今になってもわからない。自分も一緒に死んでしまえばよかったとすら思いつめることもあった。
誰かを好きになることなぞ、もうありはしないと信じていた。
陽の当らない場所で静かに余生を過ごすしかないと信じていた凛子に、突如訪れた転機にまだ戸惑っている。
無気力に生きていた時間の流れが少し変わっていくのを感じている。
「私、相楽さんと結婚しようと思います」
父の前に聖子に報告した。
妻を喪い、再婚もせず姉妹を育てた父にこれ以上心配をかけたくなかった。迷いがないといえば嘘になるが、これでよかったのだと徐々に思うようになった。
聖子は凛子が急に相楽を受け入れたことを心配していた。
「なにかあったの?」
「私と結婚したいなんて思う人はもう現れないでしょう。ここでずっとお邪魔虫でいるわけにもいかないもの」
「凛子さん、一度受け入れたら、やっぱり嫌ですとはいかなくなるのよ」
「私のせいで、皆に苦労をかけてしまったでしょう」
わかっている。家族にどれだけ迷惑をかけたか。
「ねぇ、もう過去の嫌なことは忘れなさい。あれは事故のようなもの。あなたはなにも悪くないわ」
「でも私自分で決めたんです。あの方のところへ嫁ぐと」
「お父様も私も、あなたが以前のように笑ってくれる日が来るよう祈っていたのよ」
「私の醜聞をもみ消すために、お父様が大金を費やしてしまったでしょう」
次女の凛子と違って、婿を取り家を継いだ姉は、家の内情もよく知っているに違いなかった。
「相楽さんは、伯爵家の威光が欲しい。お父様は相楽さんの財力が欲しい。双方にとってよい話で断る理由はありません」
「あなたはそれでいいの?」
「私が決めたことです。それに、私も相楽さんが悪い人ではないとわかったの」
相楽は凛子を残して死なないと言ってくれた。それだけで決めたと言えば愚かだろうか。少なくとも凛子にとっては、前に進むきっかけとなる重い言葉だった。
「……ならばなにも言わないわ。あなたったら、おっとりしているように見えて、強情なんだもの。一度決めたらてこでも動かない。お父様もあなたが誰とも結婚しないのではないかと心配していたの」
「そんなことをおっしゃっていたのね」
あまりわがままを言った記憶はないが、幼少期から思い込むと決して意思を曲げない頑なさを母や乳母が時に持て余していたのを覚えている。
当の本人にすら、どうにもできない性分でもある。
「あちらはご両親もいないようだし、うちとはずいぶん違うから、苦労することもあると思うわ」
「お姉様。どうか心配なさらないで。私ももう子供ではないのです。嫁げばもう身分も気にせずに済むし、過去を忘れられそうな気がするんです」
「わかりました。お父様には私から話しておきます。本当にいいのね?」
「はい」
結婚準備のため、自然と会う機会が増えた。
結婚式は、十二月に予定された。出会ってから四か月しか経っていない。
考える間もないほど慌ただしく時は過ぎていく。
凛子が求婚を受け入れて、すぐ屋敷を購入したと聞いて驚いた。すでに一人暮らししていた家を売り払い、そちらで先に暮らしているという。
嫁ぐにあたり、必要なものを事前に用意するため、新居を訪れた。