大正浪漫 斜陽のくちづけ
 ──どうしよう。

 その話を聞いた夜は眠れず、翌朝思い切って聖子に相談をしにいった。

「お姉様。少しいいですか?」

 いつも早起きの聖子が最近は遅くまで寝室にいることが多かった。少し疲れがたまっているからと話していた。

「いいわよ。どうしたの」
「体調は大丈夫ですか?」
「ええ。そろそろ言おうと思っていたんだけど、二人目ができたみたいなの。お父様には安定期になってから話そうと思っているのだけれど」

 そう言ってお腹をさする顔は穏やかそのものだった。なかなか二人目に恵ま
れず悩んでいたことを知っていたから、喜びも大きいのだろう。

「それは……おめでとうございます。また賑やかになるのね」

 思わぬおめでたい話に驚く。
「ふふ。おめでたいこと続きでお父様もきっと元気になるわ。凛子さんが嫁いでしまうと寂しくなりそうだけれど、賑やかになりそう。ねぇ。嫁いでも、時々帰ってきてね。相楽さんと出会ってから、昔の凛子さんに徐々に戻ってきてるみたいで、お父様も喜んでらしたの。似たところが少しもないのが、却っていいのかもしれないわね」


 その言葉で現実に引き戻される。

「それで、凛子さんの話って?」

 妊娠したと聞いて、話したかった言葉を紡ぐのが難しくなってしまった。
「ええと……。荷物を整理していたら、昔の物がたくさん出てきて。春ちゃんに必要なものがあれば残しておこうと思ったんです」

 相楽の女性関係は、妊娠したばかりの聖子にするにはあまりに不穏な話だ。

「あら、そんなこと。そうね。あなたは私と違って可愛らしいものを集めていたから、春子も喜ぶわ」

 今日のところは、話すのをやめることにした。
 ──今のお姉様にこんなこと言えない。

 直接聞こうにも、相楽は今商談で別のところへ行っていて、二週間ほど帰らないと聞いていた。

 聖子にも相談できず、思いつめた凛子は一人で、その小料理屋へと向かった。行って解決するとも思えなかったが、家で考えているのは限界だった。


 凛子はふみから聞いた小料理屋に向かった。ちょうど客を見送りに店先に出てきたところだった。

 どこか玄人らしい婀娜っぽさがある美人で、その顔に見覚えがあった。相楽と新居へ行った帰りに出会ったセツという女性だ。

 相楽が彼女に凛子を紹介した時、とても驚いた顔をしていた。
 ふみの話が本当なら、自分の妾に平然と婚約者である凛子を紹介したということになる。

 ──こんなところで覗き見みたいなことをして、なんて惨めなの。
 耐えきれずに帰ろうとすると、前から走ってきた誰かと肩をぶつけてしまう。

「ごめんなさい!」

 見ると七つくらいの少年だった。その目を見て息を呑む。
 あまりに自分の婚約者──相楽によく似ている。もう疑いの余地がない。
 じっと見つめる凛子を怪訝な顔で見てから、少年は当然のように小料理屋の暖簾をくぐっていった。

「ただいま」

 引き戸を引いた少年の声が聞こえてきた。
 相楽によく似た少年。
 胸の内に芽生えた疑惑が、見て見ぬふりができぬほどに膨らんでくる。
 あまりの衝撃に、凛子はその場から動けなくなった。ふみの話だけでは半信半疑だったが、いざ目の前にした現実に打ちのめされそうだった。

「お嬢様。どうされました」

 大通りで待っていた運転手が凛子の様子に気づき、迎えにきた。

「ごめんなさい」
「顔色が悪いです。病院へ向かいましょうか」
「いいえ。ありがとう。大丈夫です」

 心配そうにする運転手に家に帰るよう頼むと、後ろの座席の上で瞳を閉じた。
 ぽろぽろと勝手に涙が溢れてくる。
 家のためと決めた結婚だったが、こんなにも傷つくほどに知らぬまに相楽に惹かれていた。
 凛子に近づいたのは、やはり打算なのだろうか。

 多少そういう部分があっても、凛子への優しさや愛情は、嘘ではない。そう感じていたのは自惚れだったのだろうか。
 もう婚礼の日は迫っている。
 今でも続いているのだろうか。

 それとも父に取り入るために、子供を捨てたのだろうか。
 どちらにせよ、不実な話だ。相楽の面影を引き継いだ少年が赤の他人だなどとは思えず、束の間の幸せだった日々に暗雲が立ち込める。
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