大正浪漫 斜陽のくちづけ
 市村はビルを出て、苦々しい顔でさっきあった女の顔を思い出す。

「あの女、なんか見たことあるんだよなぁ」

 相楽が華族の娘と結婚するというのは聞いたが、詳しいことは知らない。
 実際会ったらどこかで見たことがある顔だったが思い出せず、気になっていた。
 記者をしている知人を訪ね新聞社へ行くことにした。最近相楽と婚約した令嬢と言ったらすぐに教えてもらえた。

「あぁ、心中事件の──」
「なに?」

 不穏な言葉に市村の目が陰険な光を帯びた。

「当時のことは大分噂になったが、伯爵が大枚をはたいてもみ消してね。行方不明になった時の記事は残っているんじゃないかな」

 そう言って知人は倉庫に行って、当時の記事を出してきた。

「見つかった。古いから探すのに難儀したよ」

 食い入るように記事を見る。

『九条伯爵家令嬢凛子姫 行方わからず。屋敷に住んでいた従兄も不明 情死の可能性もあると捜索隊を派遣』

 顔写真も載っている。
 ──この記事だ。確かに行方不明になった記事なら見た記憶がある。清楚な顔して男がいたとは、なかなかの玉だな。

「このあと、どうなったか知ってるか」
「男のほうは死んだ。ご令嬢はすんでのところで救出されたが、このあと表には出なくなったと聞いている。この美貌だから世間を騒がせた」
「なるほどねぇ。そんな傷物なら、相楽みたいな平民相手に嫁いでも不思議じゃない」

 市村の下卑た言葉に、友人が苦笑する。

「まぁ俺たち平民には、わからん苦悩があるのかもな」
「はっ。道ならぬ恋に手に手を取り合って心中とは泣けるじゃねぇか」
「いかにも女の好きそうな感傷的な話だが、真相は別だという話もある」 
「なんだ? それ」
「ここから先は、裏は取れていない。ただの噂だ」
「もったいぶるなよ」

 友人は誰にも言うなよと前置きしてから、声を低くして、早口でとある事実を告げた。
 一気に話がきな臭くなり、市村はにわかに身を乗り出した。

「まあ、証拠はないし、俺からはなにも言えんよ。三年も前のことだし、調べてもどうにもならんさ。妙なことはするなよ」
「誰か、この件に詳しい人間を教えてほしい」

 市村は財布から札束を取り出し、友人に渡す。

「危ない橋は渡りたくない。やばいことに関わるんじゃないだろうな」
「迷惑はかけないさ。大事な知人が九条家に関わっていてね。ちょっと情報が欲しいんだ」

 訝しむ知人を説き伏せ、当時この記事を書いた記者を紹介してもらった。
 ──お高く止まった華族様の汚点、たっぷり調べてやる。うまくいけば金にもなるし、相楽に一矢報いることもできる。一石二鳥だ。
 先ほどまでの苛立ちは消え失せて、この先どうやってあの女のことを探ってやろうかと思うとわくわくした。

 努力もせずに特権階級にいる人間が大嫌いだった。世の中がうまく回らないのはそういう奴らがいるせいだ。
 無能な上流階級とやらは、時代と共に消えていくのが関の山だろう。ならば少しくらいその破滅を早めてやるのも悪くない。
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