大正浪漫 斜陽のくちづけ
 家に帰ったあとも、凛子は暗い気持ちでいた。

「明日は、ドレスの採寸があるから、お食事は控えめがいいわね」

 聖子に言われ、はっとする。
 挙式は日比谷大神宮、披露宴は帝國ホテルで行われることになっていた。

 すでに財政界の重鎮たちにも招待状が届いている。
 相楽の問題であったとしても、破談となればまた大騒ぎになるのは間違いない。

 世間の非難はとかく女に行きやすい。
 自分だけならまだしも再び家族に迷惑をかけると思うと、耐えがたい。今度こそ取返しのつかない傷を家名につけてしまうことだろう。


「あの……あんな豪華なお式をして大丈夫なのですか?」

 夕食後、こっそり金庫番の義兄に尋ねると、

「あんまり表立っては言えないが、婚礼のための費用は全て相楽さんが用立ててくれたんだ。うちとしても凛子さんに貧相な式をさせるわけにもいかないからね。正直助かったよ」

 姉と違い、聞けば正直に答えてくれる。
 九条家の娘が粗末な婚礼をするわけにはいかないというわけだ。改めて、自分の境遇の窮屈さを思い知った。

「お願いします。こっそり教えて。お父様の借金はそんなに多いの?」
「僕が言ったと言わないでくれよ」
「約束します」
「お義父さんが信用取引で買った株が大暴落したんだ。そのせいで、それなりの負債はある。相楽さんが支援者として手を上げた。そのすぐあとだよ。相楽くんが君に会わせてほしいと言ったのは」

 舞踏会の前から話は進んでいたということか。偶然を装った用意周到さに驚く。
「もし相楽さんがうちから手を引いたら?」

 義兄がため息をついて首を振る。そんなことは考えたくもないというふうに。
 はなから、凛子には選択肢などなかったということだ。
 噂どおり、相楽が不実な人間だとしても、もう後戻りはできないところまできている。

 ならば自分にできることは沈黙だけだ。
 ──事実を調べたところで誰も幸せにならない。私がなかったことにしてしまえば……。

 言葉も感情も自分の中に閉じ込めて、誰にも明かさない。
 今までだって自分を殺して生きてきた。これからもそうするだけだ。
 凛子の暗い決意を、まだ誰も知らない。
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