大正浪漫 斜陽のくちづけ
──どうしてこんなところにお父様は私を連れてきたのだろう。
今宵のためだけにあつらえられた華やかなドレスに身を包み、凛子はため息をついた。
差し出されたドレスは前から用意されていたようで、気まぐれで連れていくことにしたわけではないということがわかった。
きらびやかな薄紅色のサテンのドレスには、袖や腰にレエスがふんだんに付けられ、腰には大きな白いリボンがついている。
未婚の娘らしい清楚で控えめなかわいらしいものだった。
だが今の自分は、こんな華やかな場はふさわしくない。
普段は、屋敷にある離れで誰とも会わない幽閉同然の暮らしをしている。昔は華やかだった交友関係も今は昔のこと。
だから父に、突然夜会に行くから準備なさいと言われた時は、耳を疑った。
こういう場に出るのは久方ぶりで、いつになく緊張していた。
父と二人で車に乗り、連れていかれたのは下谷にある財閥創始者の本邸だった。
門を抜けると、写真で見た西洋の貴族が住むような洋館が現れる。
随所に装飾やステンドグラスといった意匠が施され、まるで異国に来たような気分にさせられた。
凛子の住む屋敷も、それなりに立派なものではあるが、こことは比べ物にならなかった。
九条家は家式こそ高いけれど、裕福とはいえない。
「さあ、入ろう」
父に促され玄関に入る。家令に二階にある舞踏室へと案内されると、軽やかな音楽が聞こえてくる。
管楽器の奏でる優雅な旋律が、場の空気を和やかなものにしている。
頭上から豪奢なシャンデリアが淡く室内を照らしている。
部屋のあちこちに飾られた色とりどりの花々。舞踏室に漂う香水やワインの香り。
父の知人たちに挨拶を済ませると、凛子は壁の前に一人立ち尽くした。
婦人たちは競うように着飾り、自分がどうすれば美しく見えるか知り尽くしているように見えた。
凛子に気づいた彼女らが一瞬固まった。凛子へ目をやり、すぐに逸らした。
この場にふさわしくない人間が現れたことへの驚き。そして嫌悪。
そういったものを敏感に感じとってしまい、すぐに居心地が悪くなる。
始まってすぐだというのに凛子は帰りたくなっていた。
女学校時代に見知った知人もいたが、誰も凛子に声をかける者はいない。
皆物珍しさからか、時々遠くから凛子をちらりと見るだけだ。
凛子の傍を通り抜けた婦人たちから、
「よくもまぁ、こんなところに来れたものだわね」
「ふしだらな娘をお持ちになった九条伯爵には同情しますわ」
そんな言葉が聞えよがしに囁かれた。
自分をどう思われようが構わないが、父まで軽蔑されるのはやはり辛い。
三年前、凛子は女学校を退学し友人まで失った──いや、もとから自分には本当の意味での友人などいなかったのだろう。
柱についている時計の針が早く進むよう祈ることしかできない。
世間からは隔絶された日々を送る凛子には、今日の夜会に参加するのは勇気がいることだった。
もう誰の目にも触れたくない。
手持ち無沙汰になった凛子は、誰を見るでもなくただ視線を彷徨わせた。
今宵のためだけにあつらえられた華やかなドレスに身を包み、凛子はため息をついた。
差し出されたドレスは前から用意されていたようで、気まぐれで連れていくことにしたわけではないということがわかった。
きらびやかな薄紅色のサテンのドレスには、袖や腰にレエスがふんだんに付けられ、腰には大きな白いリボンがついている。
未婚の娘らしい清楚で控えめなかわいらしいものだった。
だが今の自分は、こんな華やかな場はふさわしくない。
普段は、屋敷にある離れで誰とも会わない幽閉同然の暮らしをしている。昔は華やかだった交友関係も今は昔のこと。
だから父に、突然夜会に行くから準備なさいと言われた時は、耳を疑った。
こういう場に出るのは久方ぶりで、いつになく緊張していた。
父と二人で車に乗り、連れていかれたのは下谷にある財閥創始者の本邸だった。
門を抜けると、写真で見た西洋の貴族が住むような洋館が現れる。
随所に装飾やステンドグラスといった意匠が施され、まるで異国に来たような気分にさせられた。
凛子の住む屋敷も、それなりに立派なものではあるが、こことは比べ物にならなかった。
九条家は家式こそ高いけれど、裕福とはいえない。
「さあ、入ろう」
父に促され玄関に入る。家令に二階にある舞踏室へと案内されると、軽やかな音楽が聞こえてくる。
管楽器の奏でる優雅な旋律が、場の空気を和やかなものにしている。
頭上から豪奢なシャンデリアが淡く室内を照らしている。
部屋のあちこちに飾られた色とりどりの花々。舞踏室に漂う香水やワインの香り。
父の知人たちに挨拶を済ませると、凛子は壁の前に一人立ち尽くした。
婦人たちは競うように着飾り、自分がどうすれば美しく見えるか知り尽くしているように見えた。
凛子に気づいた彼女らが一瞬固まった。凛子へ目をやり、すぐに逸らした。
この場にふさわしくない人間が現れたことへの驚き。そして嫌悪。
そういったものを敏感に感じとってしまい、すぐに居心地が悪くなる。
始まってすぐだというのに凛子は帰りたくなっていた。
女学校時代に見知った知人もいたが、誰も凛子に声をかける者はいない。
皆物珍しさからか、時々遠くから凛子をちらりと見るだけだ。
凛子の傍を通り抜けた婦人たちから、
「よくもまぁ、こんなところに来れたものだわね」
「ふしだらな娘をお持ちになった九条伯爵には同情しますわ」
そんな言葉が聞えよがしに囁かれた。
自分をどう思われようが構わないが、父まで軽蔑されるのはやはり辛い。
三年前、凛子は女学校を退学し友人まで失った──いや、もとから自分には本当の意味での友人などいなかったのだろう。
柱についている時計の針が早く進むよう祈ることしかできない。
世間からは隔絶された日々を送る凛子には、今日の夜会に参加するのは勇気がいることだった。
もう誰の目にも触れたくない。
手持ち無沙汰になった凛子は、誰を見るでもなくただ視線を彷徨わせた。