大正浪漫 斜陽のくちづけ
 目が覚めると、時刻はすでに午前十時を過ぎていた。
 隣にいる凛子を見ると、ぐっすりと眠っている。相楽は昨夜のことを思い出す。

 疲れもあるのだろう。大分気遣ったつもりだが、辛い部分もあったようだ。
 涙と汗のせいで顔に髪が張り付いているのを丁寧に取り、あどけない寝顔を撫でてみる。
初めて男の欲望を受け入れて戸惑う姿も妙にそそって、途中から理性が飛んだ。

 もともと繊細な性格だから、環境の変化についていくだけで精一杯なのだろう。
 精神的にも少し脆いところがある。そこが可愛くもあるが、少し頼りなくて心配になった。

 十九にしては、体も心もどこかしら幼い。成熟が足りない。三年も家で幽閉されているような暮らしをしていたのも関係しているかもしれない。
 幼い顔立ちに合った体もまだ薄く、悪いことをしてるような気分になり、泣きながら拒む顔や細い腰に、自身を打ち付けると、我を失うほどに興奮してしまった。

 甘やかされ、愛されたゆえに無知で無垢な凛子。新雪を踏み散らすような背徳的な悦びを感じた。
 泣き虫で、本当は気が強い。守りたいのに、仄暗い欲望で汚したくなる。抑えきれない独占欲と焦燥に駆られている。

 凛子に対しては、保護者的な立場でいなければいけないと思う反面、穏やかな気持ちでいられない部分がある。
 ──ますます嫌われたかもな。

 もともと、九条家の困窮につけこんで、本来ならば不可能な結婚を成し遂げたのだから当然といえば当然だ。
 本来であれば、交わることのない人生だ。自分のような男と結婚することになるとは、思いもしなかったことだろう。

 凛子からしたら、いくつかの不幸が重なり本来送るべき人生から逸れて、望まぬ結婚をすることになった。
 それは自分にとっては幸運だった。本来なら平民の相楽には手に入らない高嶺の花だった。

 一度は打ち解けたように見えた凛子は、また心を閉ざしてしまったようだ。
 相楽を警戒しているのだろう。
 最近はよそよそしくて、目も合わせようとしない。結婚を決めたことを後悔しているのかもしれない。

 この手にしかと抱いてはいても、凛子の心は他所にある。死んだ恋人が忘れられないのだろうと思うと嫉妬で狂いそうになる。
 こちらを向かせたくて必死だった。

 ──次はもう少し優しくしないと嫌われそうだ。
 親のために身を売るように嫁がざるをえなかった凛子に同情すると同時に、心を開いてくれない様子に苛立った。
 禿鷹のように弱った獲物に狙いをつけて強引にものにしたのだから、恨まれても仕方がない。

 思いどおりにならないものをすぐにでもどうにかしたくなるのは悪い癖だ。
 もう少し時間が必要なのだろう。どうすれば凛子の心がわかるのか。わからないから必死に手を伸ばしたくなる。


 凛子の父である九条伯爵と出会ったのは四年前。
 当時、事業を成長させるために、権力と結びつくことが必要だった。
 あまりに急激にのし上がった人間の足を引っ張る人間は多い。

 以前はそのせいで痛い目にあった。法律ぎりぎりのところでやっている部分はあったから、そこを突いてやり玉にあげられ、商売から締め出されたこともある。

 嫉妬されるのは成功した証としても、面倒はないに越したことはない。
 自分を貫くためにも、有力な人脈を築くことが必要だった。
 政治家や実業家を連日接待し、パイプを作って身を守ることも覚えた。
 それが自分の軽蔑するような人間だとしても。

 九条伯爵はその点、好都合だった。爵位や名誉はあるが金はない。
 もともと一介の労働者にすぎない自分がここまで来れたのは、時代の流れにうまくのれたからだ。
 大戦で荒れた相場に乗じて、一世一代の大勝負に出た。結果は想像をはるかに超える大成功だった。

 それで得た金は、ただの幸運ゆえと浮かれることはなかった。
 同じように富を得た者の多くは、大戦後の恐慌で資産の大部分を失った。
 凛子の父、九条伯爵もその一人だ。

 手を差しのべると、すぐに助けを求めてきた。
 表舞台に立つ人間は、表立って行動できないこともある。他に頼めない裏の仕事もいつしか頼まれるようになった。
 世間体を気にしないで動く相楽は、むこうにとっても使いやすい駒となった。
 

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