大正浪漫 斜陽のくちづけ
──誰も私なんて見てない。興味がない。
 自分に言い聞かせてから、すっと息を吐いた。ただお人形のように終わるまでじっと我慢すればいい。
 そうこうしているうちに、大使の息子だとかいう英国人男性にダンスに誘われた。

 戸惑っているうちに手を取られ、よくわからないまま付き合う羽目になった。
 一曲踊り終わったあとも、凛子の傍で身振り手振りを交えて、英語で話しかけてくるが、なにを言っているのかさっぱりわからない。
 頼みの父は、議員仲間と会話を弾ませていて、凛子の様子に気づかないようだった。

 早口で何事か囁かれ、手を握られる。
 日本人であれば、こんなふうに人前で女性の手を握るということはしないけれど、文化の違いもあるのか、至極当然といった様子だった。
 異国の青年の凛子への眼差しには、はっきりとした好意が感じられた。
 名前を訊かれているのだと気づき、

「九条凛子です」

 日本語で答えると今度は英語で質問される。

「Are you married?」

 滑らかな発音に、英語が苦手な凛子は困ってしまう。

 ──なにをおっしゃっているのかしら。

 そんな凛子を扇の下から覗いてひそひそと話す婦人たちに気づいて、凛子はさっと目線を会場の中心へと移した。ふと輪の中心にいる男性と目が合った。
 華族や政治家といった面々が揃う中、その男のもつ雰囲気は異質だった。

 燕尾服の下に隠してはいても、一目でわかる立派な骨格と、他の男性たちから頭一つ分は抜きんでた長身。
 整ってはいるが鋭い目つきのせいで、甘さを一切感じない顔立ち。

 一言で言えば野性的で、粗野な感じがした。
 赤みの強い黒髪は、前髪を油で撫でつけて後ろに流しているから、きつそうな目元がより強調されていた。
 日本人にしては背が高く、肩幅も広いから、自然と目立つ。

 目の下の淡い膨らみが、いかにも女好きのしそうな色気を醸し出している。強い瞳から目が離せない。
 凛子の視線に気づいたのか、男はそのまま輪を離れこちらへやってきた。

「失礼。もしかしてお困りですか」
「ええと……私英語がわからなくて」

 女学校時代、あまり語学は得意ではなかった。
 それに教師から習っていた発音とは全然違うから、簡単な単語ですら何度も聞かないと聞き取れず、苦労していた。
 そう言うと、凛子にはわからないやりとりを英国人男性との間で交わした。英国人男性は露骨にがっかりとした顔をして、凛子に一言声をかけ、その場を去った。
 

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