大正浪漫 斜陽のくちづけ
 冷たい空気に晒された肌が粟立ち、あまりの居心地の悪さに夫を睨みつけた。

「ははっ。そんなに嫌なら目を閉じて、昔の恋人でも思い浮べたらどうだ?」
「ひどい……」

 凛子の目に涙が滲むのを見ると、その瞳に一瞬だけ憐憫と後悔の色が浮かぶ。

「そうだ。凛子はひどい男と結婚したんだよ。かわいそうにな」

 凛子の眦にくちづけ、涙を舐めとる。
 頬や、額、唇とくちづけが降ってくる。軽く唇に触れたあと、すぐに胸の先端を咥えられ、もう片方を激しく揉まれ小さく声を漏らす。

「凛子。もう忘れろ。忘れろよ。あなたはもう俺のものになったんだ」

 夢中で自分の肌を貪る姿を見ると、まるでそうしないと、飢えて死んでしまうかのように。

「そうじゃなくて……」

 ただ処分する前に眺めていただけなのだと言いたかった。
 あまり乱れないよう必死で息を整えるが、それが彼には気に入らないのだ。

「ならばなぜっ」

 傷ついたような掠れた低い声を聞くと、切なくなる。この人もまた傷ついているのではないか、そんな思いに駆られる。
 出口のない迷路を彷徨うような日々だった。そこから連れ出してくれる誰かを待っていた。
 夫がその人なのだと信じたかった。

「あなたは俺が買ったようなものだ。自由などくれてやらない。心も体も」

 出会ってから、こんな侮辱的なことを言われたことはなかった。悔しさに涙が滲む。

「あなたは私でなくてもお父様の娘なら誰でもよかったんでしょう。私も同じ……。誰でもよかったの。あなたでなくても父を助けてくれるなら」

 嘘だった。けれど、そう言わずにはいられなかった。自分を守るために。
 相楽の目からいつもの自信に満ちた光が消えた。ひどく傷ついたような眼差しに戸惑い、凛子の心が罪悪感に痛み出す。

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