大正浪漫 斜陽のくちづけ
「なんておっしゃっていたの?」
「あなたが気に入った。もし独身ならば親御さんと話がしたいと」
こういう場で結婚相手を探すことは、よくあるとは知っていたが、まさか異国の人にそんなことを言われると思わなかった。
「それであなたはなんて?」
「あなたは私の婚約者だから諦めてくれと言いました」
突然なんてことを言いだすのだろう。凛子は驚いた。
「どうしてそんなことを?」
「困った顔をしていたから」
悪びれもせず、微笑んでいる。
「だからってそんなこと……。私あなたを存じませんのに」
凛子は突然現れ、平気で嘘を言うこの男を胡乱な目で見つめた。
「申し遅れました。相楽遼介と申します。あなたのお父上には、大変お世話になっておりまして」
しつこい外国人に絡まれた女性を助けたつもりなのだろう。さきほどの英国人を追い払い、得意げな顔をしているこの相楽という男に軽い反発を覚えた。
「あなたの嘘のせいで、私は英国に嫁ぐ機会を失ってしまったかもしれないのね」
その言葉に相楽は、眉を上げ大げさに驚いた顔をする。
冗談のつもりだったけれど、ここではない遠いところへ行って新しい人生を歩む。悪くない夢想だった。
──誰も私を知らないところへ行きたい。ここから抜け出したい。
それは凛子が抱えているささやかな、だが叶うことのない願いだった。
三年間、社交界からは遠のいていた。
締め出されたといってもよいかもしれない。
凛子にまつわる噂が原因だった。嘘も混じってはいるが、その噂には幾ばくかの真実も含まれている。
一度広まった醜聞というのは、もうどうしようもないものだ。特に自分で挽回する機会などない無力な小娘には。
「伯爵家のお姫様がなかなか大胆なことを言う」
凛子の言葉に男は、片頬だけ上げて笑った。
あまり品のいい笑い方ではない。
今まで出会ったことがないような男で、苦手だとも思った。態度や言葉から相当な自信家なのがわかる。傲慢といってもよい。
「私のことをご存じなの?」
どうも凛子のことを知っているという口ぶりだ。ますます不審感と不快感が募る。
「あなたのお父上とは大分前から取引していましたから。出過ぎた真似をしたかもしれません」
「父に頼まれたのですか?」
一瞬父が気を利かせ、英国人男性と引き離すよう彼に頼んだのかと思った。
「いや。自分の判断です。あの男が気に入っていた? とんだ横恋慕をしてしまいましたかな」
「どうでしょう。でも私に声をかけようなんて変わった人は、なにも知らない外国の方くらいしかいませんの。私が一人ぼっちだから、同情してくださっただけかもしれないわ」
「あなたに声をかけた男なら、もう一人ここにいますが」
「私はあんまり評判のよろしくない娘なの。一緒にいると陰口を叩かれますよ」
それは本当のことだ。
今だって遠巻きに婦人たちの興味と侮蔑の混じった目線を感じている。それがいやで三年前から、こういった場からは遠のいていた。
今日は父に強く言われ、仕方なしにやってきたのだ。
「陰口を言われるのは、光が当たっている証拠だ」
「光?」
妙なことを言う。自分には一筋の光だって当たってやしない。それはこれからも、変わることのない事実だ。
「華やかな夜会に、普段顔を出さない美しい女性が来たら、男たちの視線をかっさらうからね。妬まれても仕方がない」
なんの慰めにもならない言葉だ。
──この人はなにも知らないから。
「あなたはこういう場に慣れてらっしゃるのね」
「いいや、あいにく育ちがそれほどよろしくないのでね。ある程度仕事で成功してようやく出入りが許された。それでも、あちこちから蔑む目線を感じますがね」
言葉は自嘲気味だが、その奥にゆるぎない自信があるのが見てとれた。
事実、その存在感のある堂々としたふるまいで、一目で只者ではないことがわかってしまう。
上流階級の人間らしからぬ雰囲気だとは思ったが、凛子の読みは当たっていたようだった。
「あなたが気に入った。もし独身ならば親御さんと話がしたいと」
こういう場で結婚相手を探すことは、よくあるとは知っていたが、まさか異国の人にそんなことを言われると思わなかった。
「それであなたはなんて?」
「あなたは私の婚約者だから諦めてくれと言いました」
突然なんてことを言いだすのだろう。凛子は驚いた。
「どうしてそんなことを?」
「困った顔をしていたから」
悪びれもせず、微笑んでいる。
「だからってそんなこと……。私あなたを存じませんのに」
凛子は突然現れ、平気で嘘を言うこの男を胡乱な目で見つめた。
「申し遅れました。相楽遼介と申します。あなたのお父上には、大変お世話になっておりまして」
しつこい外国人に絡まれた女性を助けたつもりなのだろう。さきほどの英国人を追い払い、得意げな顔をしているこの相楽という男に軽い反発を覚えた。
「あなたの嘘のせいで、私は英国に嫁ぐ機会を失ってしまったかもしれないのね」
その言葉に相楽は、眉を上げ大げさに驚いた顔をする。
冗談のつもりだったけれど、ここではない遠いところへ行って新しい人生を歩む。悪くない夢想だった。
──誰も私を知らないところへ行きたい。ここから抜け出したい。
それは凛子が抱えているささやかな、だが叶うことのない願いだった。
三年間、社交界からは遠のいていた。
締め出されたといってもよいかもしれない。
凛子にまつわる噂が原因だった。嘘も混じってはいるが、その噂には幾ばくかの真実も含まれている。
一度広まった醜聞というのは、もうどうしようもないものだ。特に自分で挽回する機会などない無力な小娘には。
「伯爵家のお姫様がなかなか大胆なことを言う」
凛子の言葉に男は、片頬だけ上げて笑った。
あまり品のいい笑い方ではない。
今まで出会ったことがないような男で、苦手だとも思った。態度や言葉から相当な自信家なのがわかる。傲慢といってもよい。
「私のことをご存じなの?」
どうも凛子のことを知っているという口ぶりだ。ますます不審感と不快感が募る。
「あなたのお父上とは大分前から取引していましたから。出過ぎた真似をしたかもしれません」
「父に頼まれたのですか?」
一瞬父が気を利かせ、英国人男性と引き離すよう彼に頼んだのかと思った。
「いや。自分の判断です。あの男が気に入っていた? とんだ横恋慕をしてしまいましたかな」
「どうでしょう。でも私に声をかけようなんて変わった人は、なにも知らない外国の方くらいしかいませんの。私が一人ぼっちだから、同情してくださっただけかもしれないわ」
「あなたに声をかけた男なら、もう一人ここにいますが」
「私はあんまり評判のよろしくない娘なの。一緒にいると陰口を叩かれますよ」
それは本当のことだ。
今だって遠巻きに婦人たちの興味と侮蔑の混じった目線を感じている。それがいやで三年前から、こういった場からは遠のいていた。
今日は父に強く言われ、仕方なしにやってきたのだ。
「陰口を言われるのは、光が当たっている証拠だ」
「光?」
妙なことを言う。自分には一筋の光だって当たってやしない。それはこれからも、変わることのない事実だ。
「華やかな夜会に、普段顔を出さない美しい女性が来たら、男たちの視線をかっさらうからね。妬まれても仕方がない」
なんの慰めにもならない言葉だ。
──この人はなにも知らないから。
「あなたはこういう場に慣れてらっしゃるのね」
「いいや、あいにく育ちがそれほどよろしくないのでね。ある程度仕事で成功してようやく出入りが許された。それでも、あちこちから蔑む目線を感じますがね」
言葉は自嘲気味だが、その奥にゆるぎない自信があるのが見てとれた。
事実、その存在感のある堂々としたふるまいで、一目で只者ではないことがわかってしまう。
上流階級の人間らしからぬ雰囲気だとは思ったが、凛子の読みは当たっていたようだった。