大正浪漫 斜陽のくちづけ
☆
凛子に見送られ、会社に向かう車の中で運転中の鈴木が声をかけてきた。
「凛子さん、元気そうですね。市村さんに脅されて意気消沈していると思いました」
「最近確かに笑顔が増えたな」
「しかし、市村さん。死ぬほど社長に惚れてますよね」
市村が凛子にまでやってきたと知り、警備を兼ねて使用人を増やしたばかりだった。
「気持ちの悪いことを言うな」
「でも、わかるんすよ。俺。羨ましくて、憧れて、んで妬ましくて憎くてたまらないっていう気持ちも。大人しく引き下がるといいんですが」
凛子を強請りにきたことをきっかけに、探偵を雇い動向を調べさせているところだった。
妙な動きをしたら、すぐに知らせるように伝えてある。
「わかりたくない。そんなもん」
憮然と答える。
──一緒に泥水すすった仲だろう。復讐しようぜ。俺らを馬鹿にしてきた奴らによ。
かつて市村が言った言葉だ。
互いに貧しさから、上に行くことを夢見て切磋琢磨していた若かりし日を思い出す。
多少なりとも共鳴する部分があったのだろう。今はもう違う。
同じ道を歩んでいたはずの仲間の凋落。
苦楽を共にしたこともあった。自分も一歩間違えば市村のようになっていたかもしれない。
「なにもかもを手に入れたように見えるんでしょうねぇ。実際、そうですし」
鈴木が言う。
一番欲しいものは、まだ手に入っていない。
凛子は、なかなか自分に心を開かなかった。近くにいても心までは手に入らない。
どこか冷めた目で見つめられると征服欲をそそられ、弱い姿を見れば庇護欲を掻き立てられる。
要するに、凛子は相楽の欲をあらゆる面で刺激した。
気づけば凛子に夢中になって、一挙一動に振り回されている。
最近特に、やたらとそわそわしている。市村のことで情緒不安定かと思いきや、なんだか少し楽しそうに見える。まるで恋でもしているような──。
「女はわからん」
「まさかその言葉が社長から出るとは。結婚は男を変えるって本当なんですねぇ」
陽気に笑う鈴木に、
「突然、小さい生き物は好きかと訊かれた。それと最近やけに落ちつきがない。食事中も上の空だ」
「ええっ! それなんて答えたんですか」
「好きじゃないと。どうも動物は苦手でな。凛子が飼いたいなら犬くらい飼ってもいいが」
「いや。それ、おめでたじゃないですか? 反応が怖いから遠回しに聞いたんじゃないすか。ほら、社長が強引に結婚までこぎつけたし、凛子さんまだ本音とか言えてなさそうじゃないですか」
いつも抜けている鈴木だが、時々鋭いことを言うから侮れない。
「妊娠? まさか」
様子がおかしいとは思っていたが、その可能性はまだ考えていなかった。
確かに妊娠してもおかしくはないが、まだ先だろうと思っていた。
やけに浮かれた様子なのは、子を授かったからなのか。
凛子に見送られ、会社に向かう車の中で運転中の鈴木が声をかけてきた。
「凛子さん、元気そうですね。市村さんに脅されて意気消沈していると思いました」
「最近確かに笑顔が増えたな」
「しかし、市村さん。死ぬほど社長に惚れてますよね」
市村が凛子にまでやってきたと知り、警備を兼ねて使用人を増やしたばかりだった。
「気持ちの悪いことを言うな」
「でも、わかるんすよ。俺。羨ましくて、憧れて、んで妬ましくて憎くてたまらないっていう気持ちも。大人しく引き下がるといいんですが」
凛子を強請りにきたことをきっかけに、探偵を雇い動向を調べさせているところだった。
妙な動きをしたら、すぐに知らせるように伝えてある。
「わかりたくない。そんなもん」
憮然と答える。
──一緒に泥水すすった仲だろう。復讐しようぜ。俺らを馬鹿にしてきた奴らによ。
かつて市村が言った言葉だ。
互いに貧しさから、上に行くことを夢見て切磋琢磨していた若かりし日を思い出す。
多少なりとも共鳴する部分があったのだろう。今はもう違う。
同じ道を歩んでいたはずの仲間の凋落。
苦楽を共にしたこともあった。自分も一歩間違えば市村のようになっていたかもしれない。
「なにもかもを手に入れたように見えるんでしょうねぇ。実際、そうですし」
鈴木が言う。
一番欲しいものは、まだ手に入っていない。
凛子は、なかなか自分に心を開かなかった。近くにいても心までは手に入らない。
どこか冷めた目で見つめられると征服欲をそそられ、弱い姿を見れば庇護欲を掻き立てられる。
要するに、凛子は相楽の欲をあらゆる面で刺激した。
気づけば凛子に夢中になって、一挙一動に振り回されている。
最近特に、やたらとそわそわしている。市村のことで情緒不安定かと思いきや、なんだか少し楽しそうに見える。まるで恋でもしているような──。
「女はわからん」
「まさかその言葉が社長から出るとは。結婚は男を変えるって本当なんですねぇ」
陽気に笑う鈴木に、
「突然、小さい生き物は好きかと訊かれた。それと最近やけに落ちつきがない。食事中も上の空だ」
「ええっ! それなんて答えたんですか」
「好きじゃないと。どうも動物は苦手でな。凛子が飼いたいなら犬くらい飼ってもいいが」
「いや。それ、おめでたじゃないですか? 反応が怖いから遠回しに聞いたんじゃないすか。ほら、社長が強引に結婚までこぎつけたし、凛子さんまだ本音とか言えてなさそうじゃないですか」
いつも抜けている鈴木だが、時々鋭いことを言うから侮れない。
「妊娠? まさか」
様子がおかしいとは思っていたが、その可能性はまだ考えていなかった。
確かに妊娠してもおかしくはないが、まだ先だろうと思っていた。
やけに浮かれた様子なのは、子を授かったからなのか。