大正浪漫 斜陽のくちづけ
 どうしても容体が気になって相楽が帰宅する前日、再び凛子はセツの家を訪れた。
 かと言って、気安く訪ねられる仲でもなく、家の前でためらっていると、ちょうど喜一が戻ってきたところだった。

「来てしまってごめんなさい。よくなった? 遼介さんには明日帰ったら伝えておくから」
「ありがとうございました。母にあなたのことを話したら、こっぴどく叱られました」

 複雑な気持ちになる。本来関わることのない二人だ。もう会わないほうがいい。

「待ってください。母がお詫びをしたいと」
「駄目よ、そんな」
「お願いします」
「話があると言ってました」

 昨日とは違い、女将は布団の上で起きていた。凛子を見て驚いた顔をする。
「息子が申し訳ありません。あの家に近づいてはいけないと言っていたのですが、私が倒れて動転したようです」

 まだ体調は悪そうだが、しっかりとした表情だった。
 この女性相手になんと言ったらいいかわからず、押し黙っていると

「うちのことは、遼介さんからなんて?」

 首を振る。なにも聞きたくなかった。

「私はなにも」
「なにか、誤解なさってたらまずいと。結婚すると聞いて、私が相楽に縁を切ってほしいとお願いしたんです。華族のお嬢様と結婚するならば、身辺は整理すべきだと」

 さっと心臓が冷たくなるような気がした。相手の女性に言われて別れたのかと思うと、惨めな気持ちになる。

「やはり、なにも聞いていないのすか?」

 セツと相楽の関係のことだろう。こくりと頷く。形だけの妻と認めるようで、惨めだった。

「喜一、ちょっとあっちへ行きなさい」

 部屋から喜一を出すと、セツが艶っぽく笑った。

「お嬢様──いえ、奥様がなにか誤解なさってないかと、心配になったもので」

 意味がわからず、セツを見つめる。
「喜一のことです」

 心臓がばくばくした。聞きたくない。

「あの、私」
「では、誰かになにか言われましたか」

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