大正浪漫 斜陽のくちづけ
 夫が横須賀へと向かった後、凛子は結婚してから初めて実家に行くことにした。ずっと気になっていたことを聞くためだった。
 懐かしい門をくぐると、車の音に気付いた姉と姪が出迎えてくれる。

「あらあら。新婚さんが帰ってきていいの?」

 にこにこ笑う姉のお腹が膨らみ始めている。

「遼介さん、忙しくて明後日まで帰らないの」

 部屋に入り、姉と姪とお茶を飲んでいると、まだ数か月しか経っていないのにずいぶん懐かしい気がする。

「そう。寂しいわねぇ。なにか不便なことはない? お手伝いさんはちゃんといるの? 不器用なあなたが家事をするのでは心配だわ」
「少しずつできることは増えているから、心配しないで」

 いとおしそうに腹を撫でる聖子の顔は、幸せそのものだった。
 ──私もいつか母になるのだろうか。
 そのことを思うと幸福な気持ちに包まれた。互いに愛情を確かめ合った今、未来は希望に溢れているように思えた。
 姪の春子も久々に凛子と会って嬉しそうにしている。

「春ちゃんもお姉さんになるのね」
「凛ちゃんも赤ちゃん生まれる? そうしたら私たくさんお手伝いしにいくの」
「まぁ。それは頼もしいわ」

 凛子によく懐いていた春子は、結婚が決まった時、寂しさに胸にすがって泣きじゃくったものだ。

「少し会わない間に、ずいぶんしっかりしたのね」
「うん。もうすぐ赤ちゃんが生まれるんだもの」
「お姉様。お産の時、なにか手伝えることがあれば言ってくださいね」
「ふふ。そうね。時々はなにかお願いするかもしれない」

 曇りのない笑顔だ。義兄の尽力もあり、経済状況もなんとか立て直しつつあるというし、一安心だ。だからこそ気になることがあった。

「ところで、なにか変わったことはありませんか」

 今日来た理由は、市村の件だ。あれから凛子になにか言ってくることはなかったが、父の名まで出したので、心配だった。

「特にないけれど、どうかしたの」
「なんだか、私の過去を嗅ぎまわっている人がいるんです」

 途端に聖子の顔が曇る。

「過去?」
「ええ。私が知らないことまで知っていると言われて」
「知らないこと? 妙なことを言うのね。わかったわ。気をつけます」

 ことの深刻さを理解したようで、すぐに真剣な表情になった。

「はい」

 いつまでも自分の過去で迷惑をかけてしまうことが心苦しい。
 このまま、何事もなく諦めてくれることを祈った。
 その後、姪の春子にピアノを弾くようせがまれ、一緒に歌ったりしているうちに、楽しい時間はあっという間に過ぎた。
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