大正浪漫 斜陽のくちづけ
「そろそろ観念かな」

 散々広い倉庫内を逃げ回る女を楽しく追いつめたあと、ようやく捕まえたところだ。
 冷たい床に押さえつけ、着物の裾をたくし上げる。

 薄暗い倉庫で、真っ白な足が目に入る。美しい。
 金は舎弟が受け取り、こちらが確認したら、手放す約束だったが、この女をめちゃくちゃにしてやるまで開放はしない。この生意気な女に男の怖さをわからせてやる。
 扉を開ける音がした。

「見てのとおりお楽しみ中でな、もう少し待て──」

 部下だと思って声をかけると、相楽がいた。押し倒され、太ももがむき出しになっている妻を見て怒りの形相をする。
 扉の向こうには倒れている舎弟が見えた。

「ちっ」

 あと少しだったというのに。どうせなら事後のほうが、奴にダメージを与えられたのにと思う。
 膠着状態だった。睨み合いが続く。人質がいる分、こちらが有利だ。焦る必要はない。

「近づいたらこの女を殺す」

 女の首に短刀を突きつける。
 女一人ならと油断していた。横須賀支店へおびき出したはずだったのに、どうしてだ。
 あいつが飛びかかるのと、この女の首を掻っ切るのと、どちらが早いか。
 奴も迷って動きを取れないでいる。

「金は持ってきた。凛子を返せ」

 走ってきたのか呼吸は乱れ、肌は汗で濡れていた。
 その表情にはいつもの傲慢さも余裕もない。ただ大切なものを奪われることを恐れている顔。あいつのこんな顔は見たことがない。無様だった。
 憎たらしいほど傲慢なのが、お前じゃなかったのか。

「なんでお前が来た。九条の家に連絡したはずだが」

 たかが女一人でこれほどうろたえるのか。権力欲しさに近づいただけじゃなかったのか。バカでかい損失を出した時も涼しい顔をしていやがったのに。

「目的が金なら、誰が来ようと構わないだろう」

 現金の入った鞄を差し出され、受け取る。お楽しみも邪魔されたことだし、これで帰れるとは思わないでもらいたい。

「金をこっちへ。手は後ろに。妙な真似しやがったら、どうなるかわかるだろう」

 相楽が金の入った鞄をこちらのほうへ投げた。

「もういいだろう。凛子を返してくれ」

 必死の懇願。あっけない。こんなに簡単に屈服するとは。

「ざまぁねぇな。お前の大事な嫁さんは、俺の機嫌一つで死ぬってことがわかったか」

 このまま帰す気がなくなった。女を犯すよりこいつを絶望させることができる方法を思いつく。
 この女を目の前で殺してやったらどんな顔をするだろう。倒錯的な妄想に唇が渇いてくる。

「俺は警察に追われてる身なんだ。だから今さら一人くらい殺したって、大した違いはねぇのよ」

 相楽の目に怯えの色が浮かぶ。この男のこんな顔が見たかった。怖気のような、恍惚のような痺れが全身に広がる。
 鞄の中を確認する。約束どおり、これだけあれば高飛びするには十分だ。だがその前に、相楽に一泡吹かせてやりたい。その欲望が抑えられなくなっている。

「ほらよ。開放してやるから出ていけ」

 女を突き飛ばし、相楽のほうへやる。安心したような顔を見て、殺意が明確になる。
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