大正浪漫 斜陽のくちづけ
なんてことないという口ぶりだが、陰で相当努力をしているのだということは、一緒に暮らしてよくわかった。
他人にも厳しいが、自分にはその何倍も厳しい。
反面、凛子にだけは甘いのだから、時々その優しさがこそばゆくなる。
出会わなければ、凛子も変わることはなかったかもしれない。
嫁いでから一年、凛子も色々やらねばと思っているうちに大分できることは増えた。
仕事上付き合いのある商人の妻とも、仲良くなり、その子らにピアノを教えたりして充実した日々だ。
思っているより、世界は広かったことを知った。
凛子にとって常識だったことも、場所や人が変われば、そうでもないというのも新鮮な驚きだった。
籠の鳥のように過ごしていた日々も、今は自分に必要な時間だったのだと思えるようになった。
以前のように人の目も気にならなくなった。
「あら、素敵な時計屋さん」
事件の日、凛子を守ることになった懐中時計は、銃弾の痕も生々しいまま、蔵に保存してある。
自分を救ってくれた時計だから、お守りのように感じていた。
「壊れてしまった時計の代わり、また私が選びなおしてもいいですか」
「あぁ。頼む」
店に入り、あれこれ選んでいると時間を忘れてしまう。
真鍮に立体的な文字盤がある時計に目がいく。蓋の部分に鳩の絵が彫刻されている。
同じデザインで少し大きさが違う時計が二つあった。
「これ二つとも下さい」
いつのまにか隣の雑貨店へ入っていった夫をちらりと見て、今度こそきれいなままで贈り物ができると嬉しくなった。
「見て。素敵でしょう」
さっそく時計を手渡す。
「二つ? 凛子も使うのか? 女性向けにしては少し渋いが」
「あの、喜一君にお土産としてどうかなって。迷惑かしら」
出過ぎた真似だろうか。
「いや、喜ぶよ」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
なんだかんだ相楽にとっては、血の繋がった唯一の肉親だ。縁を切ったりしてほしくない。
そこまで思って自分の家族のことを思い出す。
父や姉へのわだかまりが消える日はおそらくもう来ないだろう。
家のことを思うと、まだ少し暗い気持ちになる。
なかったことにはできない。だからこそ時間が必要だった。
この世はどうにもならない理不尽なことばかりだ。許せない自分を許してやることも必要だ。
考え事をしていると、頭になにかをつけられた。
「勧められたから買ってみた」
店先にある鏡を見ると、真っ赤な硝子玉のついた簪だった。光に当たると金色に光る。
今日は、淡い桃色の銘仙を着ていたから、赤い簪がよく似合った。
「屋台だ。食べよう」
並んで一緒にお団子を食べる。
昔ならお行儀が悪いとできなかった食べ歩きも、すっかり慣れてしまった。
「幸せ……」
ぽろりと本音がこぼれた。
「ささやかだな」
「ささやかな楽しみを共有できる人がいるのが幸せなんです」
「まぁ、そうだな。次は港を見にいこう。昔働いてた仲間がいるんだ。きれいな嫁さんを貰ったって自慢してやりたい」
折から風が吹いてくる。
隣にいる人の少年のような横顔を、そっと見る。
来年もその先も、変わらずこの人とささやかな幸せを分け合えたらいいと、それだけを願っている。