純・情・愛・人
なにより。どこにいても宗ちゃんの温もりを思い出すのが辛い。優しい笑みを忘れられないのが辛い。

『薫』

低い、あの甘い声で呼んでほしくなってしまうのが辛い。

もし。もしも。もしも宗ちゃんが。

「ひとりで何してやがる」

全く気付かなかった。いきなり廊下に繋がる扉が開いて声がしたのを、心臓が飛び出そうになって。取り留めのない思いもシャボン玉が弾けたみたいに搔き消えた。

ロゴ入りのパーカーとスェットパンツ姿で入ってきた広くんは、隣りにどっかり腰を下ろすと、カップを見やって気怠そうに。

「寝れねぇのか」

「・・・ちょっと目が冴えちゃって」

「酒のが効くんだよバーカ」

待っとけ、と上から釘を刺され、キッチンへ向かう背中を自然と目が追いかけた。

どこに何があるのかも教える必要がないくらい手慣れた気配。見慣れた光景。日常。

宗ちゃんだったら。優しくあやして、見た目より逞しい腕の中で眠りにつかせてくれるんだろう。

たとえば自分でキッチンに立って。わたしにホットミルクを作ろうとは思わないんだろう。

湯沸かしポットのお湯が沸く音。陶器が触れ合う音。戻ってきた広くんの右手には缶ビール、左手に湯気の立つグラス。中身が葡萄色のそれを手渡される。眠れない理由を問い詰めはしない。

「舐めてみろ、お子サマ向けだ」
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