勝手にボディガード!
一話 電車はNO!
『電車が参ります。白線の内側までお下がり下さい……』
……うわ。今日も混んでる……
朝顔の朝。高校生の明日香は開いたドアに覚悟を決めて乗り込んだ。
……く、苦しい?……
人、人、人。そんなぎゅうぎゅうの中、鞄は手を離しても床に落ちないレベルの今朝のラッシュである。が、ここで彼女はふと誰かがお尻を触っている感じがした。
……やばい?これは……
痴漢対策をするべく彼女はスカートを直す振りをしてお尻を自分で守った。そばにいた会社員は何気なく手をお尻付近に置いてます、という感じであったが明日香の対抗策を察知しこれ以上は何もして来なかった。
彼女は三駅で降りここから歩いて高校へ行った。こんな彼女は痴漢被害に遭うのが続いていた。
夏の女子校教室。同級生達は前髪を手鏡を見ながら直し、机の周りでおしゃべりをしていた。
「痴漢?どうしても混んでいるからね。私も背後に立ったおじさんが、私の髪の匂いを嗅いでいるみたいでキモかった」
「まったく。自分でシャンプー買って匂いを嗅げっつうの」
女子校の一コマ。笑い飛ばす強い女友達の中、明日香は対策を考えていた。
「ねえ。痴漢しそうな人ってどんな人なのかな」
するとリップクリームを塗っていた同級生が答えた。
「それはあれだよ。ベージュのトレンチコートだよ」
「あれって中年の男が、下に何も着てないやつでしょう?寒くないのかな?アハハ」
「待って。検索してみるよ」
仲良しの里奈はそう言って調べた。そして読み上げた。
「ええと。電車で痴漢して逮捕された男の九割が高学歴の男。彼らの多くは高収入の仕事で家庭のある者となっている。だって」
「真面目すぎて遊んでないからでしょう」
彼氏持ちの友人達は他にも中年年脂男、散歩しているグレーのスエット男は危険だと話した。
「私も!グレーのスエットに追いかけられたことがある」
そんな話をしている時。先生が教室に入ってきた。
「何がなんだって?……はい。授業を始めます。日直はどなた?」
担任の真智子先生が入って来たので乙女のおしゃべりはお終いになった。
女子高校。熱血ジャージの教師の真智子は朝のホームルームで駅前の事件について話し出した。
「みんな聞いて!昨日の夕方6時ごろ。駅前で女性が襲われる事件が遭ったそうですが防犯カメラに本校制服を着た女子が写っていたそうよ。この中で、目撃した人がいないかしら」
しかし誰も手を挙げなかったので真智子は他の連絡をした。それを聞きながら明日香は考えていた。
……そうか。制服でうちの生徒だってわかったんだ。
そしてこの日のランチ。明日香は里奈と過ごしていた。
「まだ落ち込んでいるの。明日香って。そんなに痴漢に遭うの」
「痴漢って程じゃないけど。いつもお尻のところに手がある気がする」
「あんた。狙われているんじゃないの」
小柄で大人しそうに見られる明日香を里奈は心配し出した。
里奈は背が高く目がキリリとした吊り目である。初めて会った時、気の強い印象を覚えたがそれはその通りであった。そんな強気な里奈には自分には痴漢は来ないと公言した。
「私に痴漢なんかしたら、黙ってないから。その手をつねってやるもの」
「里奈はすごいよね」
「私はね。世間の奴らに痴漢される女が悪いとか言わせないから!あんたもまずはオーラ。触るんじゃないよ!って言う気迫が大切だよ」
「う。うん」
そして里奈は今日は彼氏とデートなので、明日香は一人、駅まで歩いていた。街路樹の下、とぼとぼと歩いていた。
……痴漢されないオーラか。それができれば苦労しないよ。
見た目を性格のきつそうな雰囲気にすれば良いのかと明日香は考えていたが、実際は臆病者。それができないので悩んでいた。
帰りの駅。そこには事件を知りませんか?と言う看板があった。明日香はそれをじっと見ていた。
それは男が刃物を用い、会社員の女性を脅し、財布を取ろうとした事件と書いてあった。すると理奈は声をかけられた。
「すいません。恐れ入ります。もしかしてその時刻。ここにいた方ですか?」
「ええと。私は……事件の時間にはいませんでした」
「と言うと?」
駅前交番にいた刑事と名乗った男は、明日香に詳しく質問してきた。明日香は事件の後、この駅にやって来たと正直に話した。
「だから事件は知りません」
「犯人を見ませんでしたが?黄色いTシャツを着た男なんですけど」
「黄色?黄色のTシャツの男の人……」
よく考えれば。明日香は家路の途中。自転車に乗った黄色いTシャツ男とすれ違ったことを思い出した。
「私。すれ違いました」
「本当かい?詳しい話を、あ」
刑事は話をしようとしたが、交番に警官が戻って来た。
「ごめん。急な事件なんだ。詳しい話は明日でいいかな」
明日香は名前と携帯の番号を教えた。すると刑事はうなづいた。
「すまないけれど。ここにいる交番の警官は当番制で事件についてはわかってないんだ。事件のことは全て私に教えて欲しいんだ」
「わかりました」
そしてこの日は帰宅した。
翌朝のホームルーム。真智子は事件の犯人が捕まっていないので気をつけるようにと促した。事件について刑事に聞かれた話をしようと思ったが、この日はテストで気忙しく明日香は誰にも言わずに駅に来た。
駅の交番。彼女は昨日の事件の話をしたかったが、刑事は不在のようだった。
これを見た警官が話しかけて来た。
「何か御用かな?」
「刑事さんなんですど。今日はいないんですね」
「え?刑事。どんな人?」
「……サラリーマン風でしたけど。私、犯人の黄色いTシャツの男を見なかったって聞かれて。その事で伝言をしたいだけなんです」
「ちょ、ちょっと待ってね」
警官に待たされた明日香は、どこかに確認をした警官に真顔で教えられた。
「その人ね。刑事じゃないよ」
「え?」
「昨日の何時かな。僕らがいない時に、この交番の前に立っていたってことだよね」
やがて本当の刑事がやって来た。怯える明日香に刑事は同じことを聞いたが彼女も同じく説明をした。そんな中、明日香の携帯が鳴った。
「これ……知らない番号です」
「もしかして。昨日のニセ刑事かもしれない。うちの女子警官が代わるよ」
明日香が託すと事情を聞いていた女警官はニセ刑事と会う約束をした。
「部長。30分後。駅まで車で来て彼女を警察署まで迎えに来るそうです」
「どこに連れて行く気だ。よし、手配しろ」
警官達は急に慌ただしくなった。明日香は怖くて帰りたかったが、後30分だけ協力してくれと言われた。
そして二十分後の駅前。夏の風の中、髪を押さえて立っていると、目の前に車が駐車した。
男性は素敵な笑顔だった。
「やあ。捜査協力に感謝するよ」
「いいえ。あの、私は」
「いいから。乗りなよ」
「……ちょっとお話しいいですか」
明日香を優しく押し除けた本物の刑事は、ニセ刑事に微笑みかけた。ニセ刑事は車を動かそうとしたがいつの間にか周囲を自動車で囲まれていたため、身動き取れずにいた。
恐怖の明日香は確認のためかまだ帰ることができず、駅員の部屋で待たされていた。
普段は入ることにない部屋。
……怖いよ。早く帰りたい。
そんな心細い明日香がいる部屋に、男性の声がした。
「すいません。落とし物を拾ったんですけど」
「はい?あの、今、駅員さんはホームに行っていないんですよ」
明日香は透明の仕切の向こうの学生服の彼にそう返事した。彼は長身すぎて、明日香には学生服の胸しか見えなかった。
「あんたは?」
「私は留守番です」
「留守番でいいさ。これ、受け取ってよ」
女性物の財布。中身も入っているようだが彼はこれを差し出した。受け取る明日香は、念のため彼の名前を尋ねた。
「お巡りさんに伝えておきますから」
「いいよ。急いでいるから」
「でも。連絡先を」
「要らねって。とにかくよろしくな」
彼はそう言って去った。すると入れ替わるように駅員が戻って来た。明日香は財布の話をした。
「良かった?それを探していたんだよ」
「でも。拾った人は帰ってしまいました」
駅員は明日香が確認したのでしょうがないといい、受け取ってくれた。そして今度入室して来た警官から、偽刑事の話を聞いた。
「君。やっぱり。あの男が事件の犯人のようだよ」
「怖い……私はもう帰っていいですか?」
詳しいことは改めて、と言うことになった。明日香は女警官の車で送ってもらい帰路についた。
自宅に帰り親に事情を話した明日香はそれでも怖かった。
翌朝は早めに学校に行き、担任の真智子に事情を話そうと思い明日香はいつもよりも早い時刻の電車に乗った。
……ちょっと早いだけで。空いているんだな。
それでも席は空いておらず、つり革も空いてなかった。身長155センチの彼女は居場所を探すと、なぜかそこだけ空間があった。明日香は迷わずそこに立った。
……良い匂い。これって柔軟剤の匂い。フローラルだ……
動き出す電車。昨夜は恐怖で眠れなかった明日香は立ったまま、居心地の良い電車の中で、思わずうとうとしていた。
やがて電車は一駅目に到着した。ドドドと人が乗って来た。明日香は必然的にそばの人に密着した。
この学生服の彼は長身で見上げないと顔は見えないレベルだった。わかっているのはフローラルブーケの香りということだけだった。つり革に届かない明日香は、必死に足だけで踏ん張っていた。しかし、襲う眠気に脱力だった。そして二駅目の到着ブレーキで思いっきり彼に比重を掛けてしまった。
「ごめんなさい」
「いいっす」
自分を受け止めてくれた学生服の胸は厚く、たくましかった。しっかりしないと、と思いつつ、実際は眠気で負け、目的駅まで謎の彼の胸の中で眠りこけてしまった。
そして降りる駅のアナウンスで目覚めた彼女は人に押されるように電車から降りた。
「なんだって?刑事が犯人だったの?」
「真智子先生、違います!」
昨日の出来事を職員室で説明しても、体育教師の彼女に理解してもらえない明日香は、本物の刑事の連絡先を真智子に伝えた。
そんな教室。同級生達は驚いていた。
「じゃ犯人ってさ。自分の顔を目撃した明日香を探していたってこと?」
「こわ!無事で良かったね」
「……よくないよ。まだ怖いし」
「犯人は警察に捕まったんでしょう。だったら平気だよ」
里奈は励ましてくれたが明日香はまだ怖かった。
しばらくは里奈と一緒に帰ることにしたが、駅に降りると一人であった。
ホームを進み階段を通りとぼとぼ歩いていると改札で声を掛けられた。
「あ。君。昨日の女子高生だね」
「駅員さん。どうしたんですか」
「財布の件だよ。ちゃんと本人に渡したからね」
さらに。拾った主にもお礼を言ったと駅員は話した。
「拾った人がわかったんですか」
「ああ。君が言っていた男性高校生が気にして声をかけて来たから」
「そうですか」
良かったですね、と明日香は小さくうなづき駅を出た。黄昏の中、夏の風が吹いていた。
……あの人。私がちゃんと財布を届けなかったって、思ったのかな。
不幸続きの明日香は落ち込みながら、帰って行ったのだった。
一話 完
……うわ。今日も混んでる……
朝顔の朝。高校生の明日香は開いたドアに覚悟を決めて乗り込んだ。
……く、苦しい?……
人、人、人。そんなぎゅうぎゅうの中、鞄は手を離しても床に落ちないレベルの今朝のラッシュである。が、ここで彼女はふと誰かがお尻を触っている感じがした。
……やばい?これは……
痴漢対策をするべく彼女はスカートを直す振りをしてお尻を自分で守った。そばにいた会社員は何気なく手をお尻付近に置いてます、という感じであったが明日香の対抗策を察知しこれ以上は何もして来なかった。
彼女は三駅で降りここから歩いて高校へ行った。こんな彼女は痴漢被害に遭うのが続いていた。
夏の女子校教室。同級生達は前髪を手鏡を見ながら直し、机の周りでおしゃべりをしていた。
「痴漢?どうしても混んでいるからね。私も背後に立ったおじさんが、私の髪の匂いを嗅いでいるみたいでキモかった」
「まったく。自分でシャンプー買って匂いを嗅げっつうの」
女子校の一コマ。笑い飛ばす強い女友達の中、明日香は対策を考えていた。
「ねえ。痴漢しそうな人ってどんな人なのかな」
するとリップクリームを塗っていた同級生が答えた。
「それはあれだよ。ベージュのトレンチコートだよ」
「あれって中年の男が、下に何も着てないやつでしょう?寒くないのかな?アハハ」
「待って。検索してみるよ」
仲良しの里奈はそう言って調べた。そして読み上げた。
「ええと。電車で痴漢して逮捕された男の九割が高学歴の男。彼らの多くは高収入の仕事で家庭のある者となっている。だって」
「真面目すぎて遊んでないからでしょう」
彼氏持ちの友人達は他にも中年年脂男、散歩しているグレーのスエット男は危険だと話した。
「私も!グレーのスエットに追いかけられたことがある」
そんな話をしている時。先生が教室に入ってきた。
「何がなんだって?……はい。授業を始めます。日直はどなた?」
担任の真智子先生が入って来たので乙女のおしゃべりはお終いになった。
女子高校。熱血ジャージの教師の真智子は朝のホームルームで駅前の事件について話し出した。
「みんな聞いて!昨日の夕方6時ごろ。駅前で女性が襲われる事件が遭ったそうですが防犯カメラに本校制服を着た女子が写っていたそうよ。この中で、目撃した人がいないかしら」
しかし誰も手を挙げなかったので真智子は他の連絡をした。それを聞きながら明日香は考えていた。
……そうか。制服でうちの生徒だってわかったんだ。
そしてこの日のランチ。明日香は里奈と過ごしていた。
「まだ落ち込んでいるの。明日香って。そんなに痴漢に遭うの」
「痴漢って程じゃないけど。いつもお尻のところに手がある気がする」
「あんた。狙われているんじゃないの」
小柄で大人しそうに見られる明日香を里奈は心配し出した。
里奈は背が高く目がキリリとした吊り目である。初めて会った時、気の強い印象を覚えたがそれはその通りであった。そんな強気な里奈には自分には痴漢は来ないと公言した。
「私に痴漢なんかしたら、黙ってないから。その手をつねってやるもの」
「里奈はすごいよね」
「私はね。世間の奴らに痴漢される女が悪いとか言わせないから!あんたもまずはオーラ。触るんじゃないよ!って言う気迫が大切だよ」
「う。うん」
そして里奈は今日は彼氏とデートなので、明日香は一人、駅まで歩いていた。街路樹の下、とぼとぼと歩いていた。
……痴漢されないオーラか。それができれば苦労しないよ。
見た目を性格のきつそうな雰囲気にすれば良いのかと明日香は考えていたが、実際は臆病者。それができないので悩んでいた。
帰りの駅。そこには事件を知りませんか?と言う看板があった。明日香はそれをじっと見ていた。
それは男が刃物を用い、会社員の女性を脅し、財布を取ろうとした事件と書いてあった。すると理奈は声をかけられた。
「すいません。恐れ入ります。もしかしてその時刻。ここにいた方ですか?」
「ええと。私は……事件の時間にはいませんでした」
「と言うと?」
駅前交番にいた刑事と名乗った男は、明日香に詳しく質問してきた。明日香は事件の後、この駅にやって来たと正直に話した。
「だから事件は知りません」
「犯人を見ませんでしたが?黄色いTシャツを着た男なんですけど」
「黄色?黄色のTシャツの男の人……」
よく考えれば。明日香は家路の途中。自転車に乗った黄色いTシャツ男とすれ違ったことを思い出した。
「私。すれ違いました」
「本当かい?詳しい話を、あ」
刑事は話をしようとしたが、交番に警官が戻って来た。
「ごめん。急な事件なんだ。詳しい話は明日でいいかな」
明日香は名前と携帯の番号を教えた。すると刑事はうなづいた。
「すまないけれど。ここにいる交番の警官は当番制で事件についてはわかってないんだ。事件のことは全て私に教えて欲しいんだ」
「わかりました」
そしてこの日は帰宅した。
翌朝のホームルーム。真智子は事件の犯人が捕まっていないので気をつけるようにと促した。事件について刑事に聞かれた話をしようと思ったが、この日はテストで気忙しく明日香は誰にも言わずに駅に来た。
駅の交番。彼女は昨日の事件の話をしたかったが、刑事は不在のようだった。
これを見た警官が話しかけて来た。
「何か御用かな?」
「刑事さんなんですど。今日はいないんですね」
「え?刑事。どんな人?」
「……サラリーマン風でしたけど。私、犯人の黄色いTシャツの男を見なかったって聞かれて。その事で伝言をしたいだけなんです」
「ちょ、ちょっと待ってね」
警官に待たされた明日香は、どこかに確認をした警官に真顔で教えられた。
「その人ね。刑事じゃないよ」
「え?」
「昨日の何時かな。僕らがいない時に、この交番の前に立っていたってことだよね」
やがて本当の刑事がやって来た。怯える明日香に刑事は同じことを聞いたが彼女も同じく説明をした。そんな中、明日香の携帯が鳴った。
「これ……知らない番号です」
「もしかして。昨日のニセ刑事かもしれない。うちの女子警官が代わるよ」
明日香が託すと事情を聞いていた女警官はニセ刑事と会う約束をした。
「部長。30分後。駅まで車で来て彼女を警察署まで迎えに来るそうです」
「どこに連れて行く気だ。よし、手配しろ」
警官達は急に慌ただしくなった。明日香は怖くて帰りたかったが、後30分だけ協力してくれと言われた。
そして二十分後の駅前。夏の風の中、髪を押さえて立っていると、目の前に車が駐車した。
男性は素敵な笑顔だった。
「やあ。捜査協力に感謝するよ」
「いいえ。あの、私は」
「いいから。乗りなよ」
「……ちょっとお話しいいですか」
明日香を優しく押し除けた本物の刑事は、ニセ刑事に微笑みかけた。ニセ刑事は車を動かそうとしたがいつの間にか周囲を自動車で囲まれていたため、身動き取れずにいた。
恐怖の明日香は確認のためかまだ帰ることができず、駅員の部屋で待たされていた。
普段は入ることにない部屋。
……怖いよ。早く帰りたい。
そんな心細い明日香がいる部屋に、男性の声がした。
「すいません。落とし物を拾ったんですけど」
「はい?あの、今、駅員さんはホームに行っていないんですよ」
明日香は透明の仕切の向こうの学生服の彼にそう返事した。彼は長身すぎて、明日香には学生服の胸しか見えなかった。
「あんたは?」
「私は留守番です」
「留守番でいいさ。これ、受け取ってよ」
女性物の財布。中身も入っているようだが彼はこれを差し出した。受け取る明日香は、念のため彼の名前を尋ねた。
「お巡りさんに伝えておきますから」
「いいよ。急いでいるから」
「でも。連絡先を」
「要らねって。とにかくよろしくな」
彼はそう言って去った。すると入れ替わるように駅員が戻って来た。明日香は財布の話をした。
「良かった?それを探していたんだよ」
「でも。拾った人は帰ってしまいました」
駅員は明日香が確認したのでしょうがないといい、受け取ってくれた。そして今度入室して来た警官から、偽刑事の話を聞いた。
「君。やっぱり。あの男が事件の犯人のようだよ」
「怖い……私はもう帰っていいですか?」
詳しいことは改めて、と言うことになった。明日香は女警官の車で送ってもらい帰路についた。
自宅に帰り親に事情を話した明日香はそれでも怖かった。
翌朝は早めに学校に行き、担任の真智子に事情を話そうと思い明日香はいつもよりも早い時刻の電車に乗った。
……ちょっと早いだけで。空いているんだな。
それでも席は空いておらず、つり革も空いてなかった。身長155センチの彼女は居場所を探すと、なぜかそこだけ空間があった。明日香は迷わずそこに立った。
……良い匂い。これって柔軟剤の匂い。フローラルだ……
動き出す電車。昨夜は恐怖で眠れなかった明日香は立ったまま、居心地の良い電車の中で、思わずうとうとしていた。
やがて電車は一駅目に到着した。ドドドと人が乗って来た。明日香は必然的にそばの人に密着した。
この学生服の彼は長身で見上げないと顔は見えないレベルだった。わかっているのはフローラルブーケの香りということだけだった。つり革に届かない明日香は、必死に足だけで踏ん張っていた。しかし、襲う眠気に脱力だった。そして二駅目の到着ブレーキで思いっきり彼に比重を掛けてしまった。
「ごめんなさい」
「いいっす」
自分を受け止めてくれた学生服の胸は厚く、たくましかった。しっかりしないと、と思いつつ、実際は眠気で負け、目的駅まで謎の彼の胸の中で眠りこけてしまった。
そして降りる駅のアナウンスで目覚めた彼女は人に押されるように電車から降りた。
「なんだって?刑事が犯人だったの?」
「真智子先生、違います!」
昨日の出来事を職員室で説明しても、体育教師の彼女に理解してもらえない明日香は、本物の刑事の連絡先を真智子に伝えた。
そんな教室。同級生達は驚いていた。
「じゃ犯人ってさ。自分の顔を目撃した明日香を探していたってこと?」
「こわ!無事で良かったね」
「……よくないよ。まだ怖いし」
「犯人は警察に捕まったんでしょう。だったら平気だよ」
里奈は励ましてくれたが明日香はまだ怖かった。
しばらくは里奈と一緒に帰ることにしたが、駅に降りると一人であった。
ホームを進み階段を通りとぼとぼ歩いていると改札で声を掛けられた。
「あ。君。昨日の女子高生だね」
「駅員さん。どうしたんですか」
「財布の件だよ。ちゃんと本人に渡したからね」
さらに。拾った主にもお礼を言ったと駅員は話した。
「拾った人がわかったんですか」
「ああ。君が言っていた男性高校生が気にして声をかけて来たから」
「そうですか」
良かったですね、と明日香は小さくうなづき駅を出た。黄昏の中、夏の風が吹いていた。
……あの人。私がちゃんと財布を届けなかったって、思ったのかな。
不幸続きの明日香は落ち込みながら、帰って行ったのだった。
一話 完