勝手にボディガード!
三話 フローラルさん
……いた。音楽聴いてるし。
やや混雑の電車内。明日香は今朝も長身の学生男子のそばにスススと立った。この日の彼は勉強のためか、本を広げて読んでいた。
……なんの勉強だろう。
小柄な明日香が見上げるとそこには大きな手で広げられた本の背表紙が見えた。ゴツゴツした骨張った手の甲。その指の隙間からタイトルが見えた。
……電機技師?資格を取るのかな。
彼の学生服のボタンは工業高校を示していた。そして本の隙間から見える薄ら生えているあごひげ。制服の校章は三年生を表していた。明日香は二年生なのでフローラルは先輩ということになる。
それにしても。真剣に勉強をしている。よほど大事なテストなのかと明日香は思った。
ここで電車は隣駅になった。乗客がどっと押し寄せてきたけれどフローラルは動じず勉強を続けていた。
明日香は小柄なので彼の肩もない身長だ。今はちょうど彼が読む本が帽子になるほどだった。フローラルは身長があるが痩せているタイプ。明日香が寄り添うと、体は硬い。筋肉マッチョの強さよりも、空手とかキックボクシングをしているような野性的な強さを感じる男である。
こんな彼の周囲はいつも少し空いている。それがなぜなのか明日香は知らなかったが、こうして毎日そばにいると、彼の怖さというか、迫力を感じているのだった。
……でも。さっきから同じページだ。捲らないのかな。
つまんないことを思った明日香がそっと彼を見ると彼の目は塞がっていた。これに納得した明日香は二駅目のブレーキも耐えた。こうして朝の電車内を過ごしたのだった。
「おはよう!今日もいい天気だね」
「おはよ。明日香は元気だね」
教室の里奈は目の下にクマを作っていた。明日香はどうしたのかと顔を覗き込んだ。
「ん?彼氏とちょっとね」
「ちょっとじゃないでしょう。何があったの?」
他の女子も加わり、朝っぱらから相談会になった。
「え?彼氏が浮気」
「うん。なんかあいつ」
共通の知り合いの話によれば、里奈の彼は『彼女はいない』と友達に言っていると彼女は疲れたように話した。
「結構長く付き合っているんだけど」
「中学からでしょう?おかしいよ」
普段強気な里奈の落ち込む姿。これにクラス女子は力になりたいと思っていた。そこに出席簿を持った真智子がやって来た。ホームルームが始まったが、彼女達はこの事が頭から離れなかった。
そして待ちに待っていた休み時間。女子生徒達は親が作った弁当を食べながら里奈の話しをさらにを尋ねた。
「あいつ。マッチングアプリをしているみたいで」
食欲がないと野菜ジュースのストローを弄んでいる里奈に、クラス女子が食いついた。
「マッチングアプリって。高校生は無理なんじゃないの」
「いや。できるよ。それで浮気してんのか、その野郎は」
乙女の怒りを買った里奈の彼氏。同級生の美玲は自分も実はやってますと言い出した。
「じゃあさ。証拠を掴むために登録して野郎を釣ればいんじゃね?」
「そうだよ!やってみよ」
「待って。里奈の気持ちを」
明日香が止める間も無く。情報に長けている女戦士達はあっという間に里奈の彼氏を発見した。
この登録したプロフィールには彼女募集とあった。
「やっぱり。はあ」
「里奈……」
明日香は里奈を思うと気の毒だった。こんな二人を差し置いた仲間達は里奈の彼とやりとりをし始めた。
「お、返事だ!まじで釣れた!ねえ、今日会いませんかって。里奈?どうする」
「……デートを決めてもらおうかな。私が行くよ」
彼とのデート。本当は楽しくなるはずなのに里奈は悲しそうだった。
すると今度は里奈にメッセージがきた。それは今日は一緒に帰る予定だった彼が、用事が入って無理になったと言うものだった。
「ほら!やっぱり同一人物だよ」
「……明日香も一緒に来てくれない」
「うん。いいよ」
5、6時間目の授業はすっかりぶっ飛んだ逆上女子高生達。里奈と明日香は仲間に背を押されてこうして待ち合わせにやってきた。
約束の時刻、駅の噴水前。やがて向こうから男子数人がやってきた。彼らは調子よさそうに明日香に話しかけてきた。
「どうも!連絡くれたのは君?」
「……いいえ。この人です」
「え。里奈」
「……真彦。本当だったんだね」
銅像の影からでてきた里奈。そして彼をじっと見つめる里奈に真彦は急におどおどし始めた。
「これは?違う。ちょっと友達に誘われただけだよ」
「友達?……それはどこなのよ。ここにいるあんたの友達ってみんな彼女がいる人じゃないの」
見ていられない明日香は里奈の背後に回った。彼と対峙する里奈は静かに彼に告げた。
「もういい。別れよ」
「嘘だろう?なあ、ちょっと女の子とデートしただけだよ。なあ」
「今まで貸したお金も返してね。じゃ。帰ろう。明日香」
「うん」
すると彼の友人達が現れ前に立ちはだかった。
「待てよ。こっちばかり悪く言うのはおかしいんじゃないの」
「そうだよ。そっちだってマッチングアプリとかやってんじゃん。お嬢様学校なのにいいのかよ」
「……それは、この浮気を調べるために」
「いいのかな。学校に話しても。君達、停学くらいにはなるんじゃないの」
黙りこくる女子二人。ここで真彦が口を開いた。
「なあ。里奈。金のことだけどさ。黙ってくれたら俺もこの件は」
「……」
涙目の里奈。明日香はたまらず声を放った。
「いい加減にしなさいよ!里奈をこれ以上侮辱するなんて。私が許さない」
「お前が?何ができるって言うんだよ。え。痛ぇ?」
明日香は男の手首をぐっと握っていた。男は苦悶の表情を浮かべていた。
「……待っていなさい。警察に連絡するから。私達を恐喝したって言うから」
「痛い痛い痛い」
すると真彦が間に入った。
「待てよ。警察ってどう言うことだよ」
「高校生の分際で彼女にお金を借りるなんてどう言う神経なの?こっちは弁護士を付けてやるから」
「は?弁護士」
うんと明日香ははうなづきスマホを見せた。
「そうよ。里奈が貸したお金も返してもらうし。今だって十分恐喝よ。証拠にほら!録音してあるんだから」
「なんだよ?こいつ」
「やばい」
「いいよもう……帰ろうぜ」
「真彦。ちょっと」
帰ろうとする彼を呼び止めた里奈は、真彦をじっと見つめた。
「なんだよ」
「……私はあんたを信じていたから。それだけだよ」
「里奈……」
もう連絡しないで、と里奈は話すと彼に背を向けた。
「里奈。ごめんね。大事《おおごと》にしちゃって」
「いいんだよ……。こっちこそ踏ん切りついてよかった」
里奈は空を見上げていた。
「最近、喧嘩ばかりしてたから。今のまま別れたほうがいいもの」
「里奈」
「ごめんね。明日香を巻き込んでしまって」
この日、二人はカラオケに行き、気分を少し晴らしてから家に帰ったのだった。
翌朝の電車。明日香はフローラルの背後に立っていた。
……今日は眠っているみたい。テストは終わったんだな。
背と背がくっついている状態。どこか安心していたその時、明日香の前の中年男性の息が荒いことに気がついた。
……やだな。手がこっちに伸びてきた。
明日香はカバンで男の手をガードしていたが、男は必死でその手を伸ばしてきた。しかし明日香も負けずに防御していた。
……しつこい。このおじさん。
混雑の電車内。逃げ場所がない明日香はここで声をあげようと思った。その時だった。電車がガタンと揺れた。バランスを崩した明日香は彼の背に思い切り体重を掛けてしまった。
「ごめんなさい、え?」
「おっと」
するとフローラルは明日香を抱え自分の立ち位置とくるりと入れ替えた。隙間であるのにそれはまるで社交ダンスのように鮮やかだった。
そして彼は変態おじさん側に立っていた。フローラルの顔を恐る恐る明日香が見上げると彼は真剣な顔で本を読んでいた。そこに背表紙が飛び込んでいた。明日香はこの本の帯をしっかり覚えて学校にやってきた。
この日の昼休み。二人だけ校舎の片隅で弁当を食べていた明日香は、重い口を開いた。
「あのね。里奈の彼氏って。DVじゃないのかな」
「え?それって、デートDVとかってやつ?」
尽くす女里奈。暗い顔の明日香はそうだとスマホを見せた。そこにあるのは交際を調べるイエスノーの問答。ここで読み上げた明日香の問いに、里奈は返事をしていった。
「どう?当てはまってた?」
「あのね……。一つでもあったらそれはDVだよ」
これにより里奈は完全に目が覚めたと空を見上げた。
「こんな喧嘩ばっかり。昨夜もあいつから謝りの電話が来たんだよ?信じられない」
「……里奈、元気出そうよ。他にいい人いるからさ」
自分にも彼氏がいないのに明日香は必死で励ました。涙目でうなずく彼女に、明日香は盛り上げようと朝の電車の話をした。
「実はさ。朝の電車で私。いつも会う先輩を勝手にボディーガードにしているんだ」
「何それ」
すこし冷静になってきた里奈はその彼の話に笑い出した。
「マジで。その人、フローラルの匂いなの」
「そうだよ。そしてね。その人のそばにいたらなぜか痴漢が来ないんだよ」
「まあね。電車の立つ場所は自由だしね。そうか、明日香はそんなことをしてるんだ」
そう言って里奈はジュースを飲んだ。これに明日香はほっとした。
「ははは。実はね。そのデートDVっていうもの、フローラルさんのおかげなんだ」
彼が読んでいた小冊子。その表紙の帯には『それって、デートDVかも?』と記してあったのだ。
「どういう本を読んでいたの?そのフローラルさんは」
「『モテ男の極意』って本だった」
「ぷ!マジで?でもそれって、電車で読む本じゃないでしょ」
「さあ?今日まで友達に返す本かもよ。あ」
二人が見上げると、飛行機が飛んだ跡が残っていた。クレヨンのようににじむ飛行機雲の白い線。青い空に一文字を示していた。夏の空に明日香は深呼吸をした。
三話 完
やや混雑の電車内。明日香は今朝も長身の学生男子のそばにスススと立った。この日の彼は勉強のためか、本を広げて読んでいた。
……なんの勉強だろう。
小柄な明日香が見上げるとそこには大きな手で広げられた本の背表紙が見えた。ゴツゴツした骨張った手の甲。その指の隙間からタイトルが見えた。
……電機技師?資格を取るのかな。
彼の学生服のボタンは工業高校を示していた。そして本の隙間から見える薄ら生えているあごひげ。制服の校章は三年生を表していた。明日香は二年生なのでフローラルは先輩ということになる。
それにしても。真剣に勉強をしている。よほど大事なテストなのかと明日香は思った。
ここで電車は隣駅になった。乗客がどっと押し寄せてきたけれどフローラルは動じず勉強を続けていた。
明日香は小柄なので彼の肩もない身長だ。今はちょうど彼が読む本が帽子になるほどだった。フローラルは身長があるが痩せているタイプ。明日香が寄り添うと、体は硬い。筋肉マッチョの強さよりも、空手とかキックボクシングをしているような野性的な強さを感じる男である。
こんな彼の周囲はいつも少し空いている。それがなぜなのか明日香は知らなかったが、こうして毎日そばにいると、彼の怖さというか、迫力を感じているのだった。
……でも。さっきから同じページだ。捲らないのかな。
つまんないことを思った明日香がそっと彼を見ると彼の目は塞がっていた。これに納得した明日香は二駅目のブレーキも耐えた。こうして朝の電車内を過ごしたのだった。
「おはよう!今日もいい天気だね」
「おはよ。明日香は元気だね」
教室の里奈は目の下にクマを作っていた。明日香はどうしたのかと顔を覗き込んだ。
「ん?彼氏とちょっとね」
「ちょっとじゃないでしょう。何があったの?」
他の女子も加わり、朝っぱらから相談会になった。
「え?彼氏が浮気」
「うん。なんかあいつ」
共通の知り合いの話によれば、里奈の彼は『彼女はいない』と友達に言っていると彼女は疲れたように話した。
「結構長く付き合っているんだけど」
「中学からでしょう?おかしいよ」
普段強気な里奈の落ち込む姿。これにクラス女子は力になりたいと思っていた。そこに出席簿を持った真智子がやって来た。ホームルームが始まったが、彼女達はこの事が頭から離れなかった。
そして待ちに待っていた休み時間。女子生徒達は親が作った弁当を食べながら里奈の話しをさらにを尋ねた。
「あいつ。マッチングアプリをしているみたいで」
食欲がないと野菜ジュースのストローを弄んでいる里奈に、クラス女子が食いついた。
「マッチングアプリって。高校生は無理なんじゃないの」
「いや。できるよ。それで浮気してんのか、その野郎は」
乙女の怒りを買った里奈の彼氏。同級生の美玲は自分も実はやってますと言い出した。
「じゃあさ。証拠を掴むために登録して野郎を釣ればいんじゃね?」
「そうだよ!やってみよ」
「待って。里奈の気持ちを」
明日香が止める間も無く。情報に長けている女戦士達はあっという間に里奈の彼氏を発見した。
この登録したプロフィールには彼女募集とあった。
「やっぱり。はあ」
「里奈……」
明日香は里奈を思うと気の毒だった。こんな二人を差し置いた仲間達は里奈の彼とやりとりをし始めた。
「お、返事だ!まじで釣れた!ねえ、今日会いませんかって。里奈?どうする」
「……デートを決めてもらおうかな。私が行くよ」
彼とのデート。本当は楽しくなるはずなのに里奈は悲しそうだった。
すると今度は里奈にメッセージがきた。それは今日は一緒に帰る予定だった彼が、用事が入って無理になったと言うものだった。
「ほら!やっぱり同一人物だよ」
「……明日香も一緒に来てくれない」
「うん。いいよ」
5、6時間目の授業はすっかりぶっ飛んだ逆上女子高生達。里奈と明日香は仲間に背を押されてこうして待ち合わせにやってきた。
約束の時刻、駅の噴水前。やがて向こうから男子数人がやってきた。彼らは調子よさそうに明日香に話しかけてきた。
「どうも!連絡くれたのは君?」
「……いいえ。この人です」
「え。里奈」
「……真彦。本当だったんだね」
銅像の影からでてきた里奈。そして彼をじっと見つめる里奈に真彦は急におどおどし始めた。
「これは?違う。ちょっと友達に誘われただけだよ」
「友達?……それはどこなのよ。ここにいるあんたの友達ってみんな彼女がいる人じゃないの」
見ていられない明日香は里奈の背後に回った。彼と対峙する里奈は静かに彼に告げた。
「もういい。別れよ」
「嘘だろう?なあ、ちょっと女の子とデートしただけだよ。なあ」
「今まで貸したお金も返してね。じゃ。帰ろう。明日香」
「うん」
すると彼の友人達が現れ前に立ちはだかった。
「待てよ。こっちばかり悪く言うのはおかしいんじゃないの」
「そうだよ。そっちだってマッチングアプリとかやってんじゃん。お嬢様学校なのにいいのかよ」
「……それは、この浮気を調べるために」
「いいのかな。学校に話しても。君達、停学くらいにはなるんじゃないの」
黙りこくる女子二人。ここで真彦が口を開いた。
「なあ。里奈。金のことだけどさ。黙ってくれたら俺もこの件は」
「……」
涙目の里奈。明日香はたまらず声を放った。
「いい加減にしなさいよ!里奈をこれ以上侮辱するなんて。私が許さない」
「お前が?何ができるって言うんだよ。え。痛ぇ?」
明日香は男の手首をぐっと握っていた。男は苦悶の表情を浮かべていた。
「……待っていなさい。警察に連絡するから。私達を恐喝したって言うから」
「痛い痛い痛い」
すると真彦が間に入った。
「待てよ。警察ってどう言うことだよ」
「高校生の分際で彼女にお金を借りるなんてどう言う神経なの?こっちは弁護士を付けてやるから」
「は?弁護士」
うんと明日香ははうなづきスマホを見せた。
「そうよ。里奈が貸したお金も返してもらうし。今だって十分恐喝よ。証拠にほら!録音してあるんだから」
「なんだよ?こいつ」
「やばい」
「いいよもう……帰ろうぜ」
「真彦。ちょっと」
帰ろうとする彼を呼び止めた里奈は、真彦をじっと見つめた。
「なんだよ」
「……私はあんたを信じていたから。それだけだよ」
「里奈……」
もう連絡しないで、と里奈は話すと彼に背を向けた。
「里奈。ごめんね。大事《おおごと》にしちゃって」
「いいんだよ……。こっちこそ踏ん切りついてよかった」
里奈は空を見上げていた。
「最近、喧嘩ばかりしてたから。今のまま別れたほうがいいもの」
「里奈」
「ごめんね。明日香を巻き込んでしまって」
この日、二人はカラオケに行き、気分を少し晴らしてから家に帰ったのだった。
翌朝の電車。明日香はフローラルの背後に立っていた。
……今日は眠っているみたい。テストは終わったんだな。
背と背がくっついている状態。どこか安心していたその時、明日香の前の中年男性の息が荒いことに気がついた。
……やだな。手がこっちに伸びてきた。
明日香はカバンで男の手をガードしていたが、男は必死でその手を伸ばしてきた。しかし明日香も負けずに防御していた。
……しつこい。このおじさん。
混雑の電車内。逃げ場所がない明日香はここで声をあげようと思った。その時だった。電車がガタンと揺れた。バランスを崩した明日香は彼の背に思い切り体重を掛けてしまった。
「ごめんなさい、え?」
「おっと」
するとフローラルは明日香を抱え自分の立ち位置とくるりと入れ替えた。隙間であるのにそれはまるで社交ダンスのように鮮やかだった。
そして彼は変態おじさん側に立っていた。フローラルの顔を恐る恐る明日香が見上げると彼は真剣な顔で本を読んでいた。そこに背表紙が飛び込んでいた。明日香はこの本の帯をしっかり覚えて学校にやってきた。
この日の昼休み。二人だけ校舎の片隅で弁当を食べていた明日香は、重い口を開いた。
「あのね。里奈の彼氏って。DVじゃないのかな」
「え?それって、デートDVとかってやつ?」
尽くす女里奈。暗い顔の明日香はそうだとスマホを見せた。そこにあるのは交際を調べるイエスノーの問答。ここで読み上げた明日香の問いに、里奈は返事をしていった。
「どう?当てはまってた?」
「あのね……。一つでもあったらそれはDVだよ」
これにより里奈は完全に目が覚めたと空を見上げた。
「こんな喧嘩ばっかり。昨夜もあいつから謝りの電話が来たんだよ?信じられない」
「……里奈、元気出そうよ。他にいい人いるからさ」
自分にも彼氏がいないのに明日香は必死で励ました。涙目でうなずく彼女に、明日香は盛り上げようと朝の電車の話をした。
「実はさ。朝の電車で私。いつも会う先輩を勝手にボディーガードにしているんだ」
「何それ」
すこし冷静になってきた里奈はその彼の話に笑い出した。
「マジで。その人、フローラルの匂いなの」
「そうだよ。そしてね。その人のそばにいたらなぜか痴漢が来ないんだよ」
「まあね。電車の立つ場所は自由だしね。そうか、明日香はそんなことをしてるんだ」
そう言って里奈はジュースを飲んだ。これに明日香はほっとした。
「ははは。実はね。そのデートDVっていうもの、フローラルさんのおかげなんだ」
彼が読んでいた小冊子。その表紙の帯には『それって、デートDVかも?』と記してあったのだ。
「どういう本を読んでいたの?そのフローラルさんは」
「『モテ男の極意』って本だった」
「ぷ!マジで?でもそれって、電車で読む本じゃないでしょ」
「さあ?今日まで友達に返す本かもよ。あ」
二人が見上げると、飛行機が飛んだ跡が残っていた。クレヨンのようににじむ飛行機雲の白い線。青い空に一文字を示していた。夏の空に明日香は深呼吸をした。
三話 完