その先の物語

プロローグ

「ななえちゃんはさ、この病気になったとき、どんな気持ちだった?」

 白の室内で、隣の女の子がポツリと呟いた。言うつもりがなかったのか、彼女は慌てて――

「あ、ごめんね。言わなくてもいいの。変なこと思い出させそうになってごめんね」

「…………」

 私だって、なんにも思わなかったわけじゃない。

 でも、すぐに死んじゃうと思ってたから、最初の方はやけくそになって、やりたいと思ったこと、食べたいと思ったことをひたすらやっていた。

 でも、私はそれから、もう3年も生き続けた。

 発症は小学生の頃。隣の彼女とは違い、恋人もいなければ、好きな人もいない。

 当時は、恋愛感情なんてものがあったかどうかも怪しい。

 だから、大切な人との「別れ」を突如として告げられた彼女の気持ちに寄り添ってあげることもできない。

 きっと彼女も、先に発症した私より先に逝ってしまうのだろう。

 一時の気の迷いで話しかけてしまった自分を呪った。

「ううん。大丈夫」

「あぁ……手をつないで、抱きしめ合って、キスして――みんなとは違って、私達はそれなりに長く続くと思ってたのになぁ」

「…………」

「ねぇ、ななえちゃん、私の彼氏の話、聞いてくれない?」

 二コリと笑って。

「彼氏ったら、『一生お前を忘れないし、他の女の子と付き合うこともない』とか言うのよ? さすがに冗談だろうし、私のことなんて忘れてもらわなきゃ困るんだけど……」

 恋する乙女の顔で、心底嬉しそうに話す彼女。「忘れて」のところで一瞬顔が曇ったのを見逃さなかった。見逃したかったのに。

「でね……? ――――――――」

 彼女は、この病気を発症してから病人とかかわるのを頑なに避けてきた私が喋った、久しぶりの女の子で――まさしく私の心の中の星だった。

 彼女と話したのはたったの1週間足らずだったけれど。とても、とても楽しかった。


**********


 目を開ける。白い天井に黒い斑点。

 腕に違和感。何もない。ずっと左腕には管が刺さっていたせいで、逆に刺さっていない状態に違和感を感じるようになってしまったらしい。

「この病院も最後、か――――」

 私――瀬名(せな)ななえはぽつりと呟いた。



 血栓病。別名、血の変容。これが、私が患っていたものの正体。

 人間の血は常に、血管を傷つけ続けている。この病気になると、その血の攻撃力が何倍にもなる。結果、傷ついた血管はかさぶたを作り――かさぶたが血流を止め、死ぬ。

 血が変質するから、誰の血も適合しない。故に、輸血は不可能。

 この病気にかかった人は通常、1週間足らず、もって1ヶ月で死ぬ。
 けれど、まれに長く生き続ける人もいる。小さい子ほどその傾向があるらしい。――わたしみたいに。

 私は4年、しぶとく生き続けた。曰く、成長過程にある子女は、その高い攻撃性を持つ血に適合し、血管が防御力を高めることがあるらしい。

 外から聞きなれた靴の音がした。

「なっちゃん、おはよう」

3年間面倒を見てくれた看護婦さん――わたしは親しみをこめておばさまと呼んでいる――が姿を現した。

「おばさま、おはようございます」

 目を落とすと、おばさまの大きく見える胸が目に入る。
 彼女曰く、若い頃はCカップだったらしい。ものすっごく失礼だけれど、垂れかかった胸は何故もとの大きさより大きく見えるのか。不思議だ。

 ――私は、あんまりないけど。

 どうせ死ぬから関係ないと思っていた自分の容姿も、いざ生きることが決まると気になってくる。

 私は同年代の女の子をあまり見たことがないけど、他の子はどうなんだろう?

 ちょうど1年くらい前、唯一話した同い年の(あかり)ちゃんは、そんなになかった。私以上に。

 でも、1年前の私よりはかわいかった。…………今は、私のほうがかわいいけど? …………多分。

 その(あかり)ちゃんも、1週間でいなくなった。

 私は基本的に他の病人とは話さなかった。――話しても、別れが寂しいだけだから。

 でも、そう。(あかり)ちゃんとは違って、私は「生きることが決まった」のだ。

 お医者さんが言うには、最初は血の変容を未然に防いだり、変容を食い止め、元に戻す方法を模索していたらしい。
 しかし、その研究は一向に進まなかった。そんな中、某教授が大々的に研究方針の転換を呼びかける。

 「(血の)攻撃力が強まったなら、(血管の)防御力を上げればいい」という逆転の発想だ。血の変質と比べて血管の強化は先行研究がはるかに多く、某教授の呼びかけからわずか1年足らずで治療法が見つかってしまったのだ。10年以上治療法が見つからなかった難病が、である。

「なっちゃん、病気が治ってほんとによかったね。おばさんもとても嬉しいわ」

 満面の笑みで、ベッドから起き上がった私の隣に座るおばさま。

 このおばさまはいつも、私を励ましてくれていた。

 たとえ短い期間だとしても、たとえ味気のない病院という檻の中だとしても、生を楽しんでほしい。

 昔、彼女はそう思っていることを漏らしていた。本人は失言だったと笑っていたけれど。

「……ありがとうございます。…………おばさま、病院は大丈夫なんですか?」

 今や、大抵の病気は薬だけで治ってしまう時代である。
 病気の診断は、AI診断が発達したことで、医者はほぼ不要になった。
 AIに診断をしてもらい、AIが必要だとした薬をネットで申請し、取り寄せる。

 そんなだから、医者と病院の必要性は大きく低下した。
 医者は専ら研究者としての側面が強くなり、その人数、給料ともに大きく低下。
 かつて三大国家資格であった医者も、今や一般の研究者と同程度にまで落ちぶれた。

 しかし、そんな医療分野の趨勢を変えたのが、この血栓病だった。
 患者は入院を余儀なくされ、病院の必要性、そして医療従事者の必要性と仕事量は大きく変化することとなる。

 今、100人収容のこの病院の約半数以上は血栓病患者が占めていたはずだ。
 もちろん、血栓病患者が多いのではない。
 病院自体が、少ないのだ。そして、それがごっそり抜けるとなったらどうか。経営への影響は言わずもがなだろう。

「大丈夫よ。なっちゃんが心配することじゃないわ」

 おばさまは変わらずの笑みで、さも大げさにかぶりを振った。

「でも……」

「私たち医療関係者はね、これまで見殺しにしてきた患者さんたちに対して、償いをしなきゃいけないの。だから、多少貧しくなったって平気。それに、なっちゃんの病気が治って、この病院から〝卒業”することができる。それだけで私は嬉しいわ」

 そう言って、おばさまは私の髪をそっと梳いてくれた。

 最後に髪を切ったのは、いつだったっけ。

 以前バッサリいってから、結構伸ばし続けていた気がする。

「見殺しって……。仕方ないことだと思いますけど……。私は死ぬと思っていた時でも、おばさまたちを恨んだことはないですよ?」

 少し微笑んだあと、目を伏せるおばさま。

「そうね……。ありがとう。そう言ってくれると救われるわ」

 そう言うと、おばさまは「よいしょ」と勢いをつけて立ち上がる。

 再びおばさまの顔に目を戻すと、彼女は纏っていた寂寥を霧散させ、いつもの明るく元気なおばさまに戻っていた。

「さて、わたしの話は終わりよ。今日はなっちゃんの門出なんだから、なっちゃんの話をしましょう! 今の話以外に何か不安なことはある?」

 不安……か。

 今までは、死ぬものと思って生きてきた。

 だけど、そのゴールが突如として遥か彼方にいってしまった。

 私が生きるのは、どうせ死ぬなら、人生の最後くらいは楽しもうと思ったから。――でも、これからは。

 私はしばらく考えた後、1つだけ、おばさまに聞いてみた。

「私は、これからどうすればいいのかな……?」
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