その先の物語
過去
初日の教室
9月5日。私が通うことになったのは、中高一貫の私立の学校だった。
「――瀬名ななえです。よろしくお願いします」
朝の教室。みんなの前で無難な挨拶をする。
こういう場で突飛なことをするのは悪手中の悪手。
それは、小学校でさえそうだったのだから、高校ならなおさらだろう。多分。
「協調」は女の生命線だ。
文字通り、学校という場を「生きる」上での。
それがなければ、「生きて」いないものと見做されるか、あるいは……。いや、考えるのはよそう。
ともかく、こういった場で突飛なことをしようとする男子の気持ちは、私たちの理解とは程遠いものには違いない。
「瀬名さんは諸事情で入院していたらしい。ただでさえ慣れない学校生活だろう。みんなも気を配ってあげてほしい」
頷く子が数人、興味深そうにじろじろとこっちを見ている子が数人。最後列で興味なさそうに外を見ている男子が1人。
「席は――あそこかな。鳥海くん、面倒を見てあげてくれるかい?」
チラッと顔をこちらへ戻した少年。すっごくめんどくさそうに。
「……わかりました」
彼が外を見ていた視線の上には、私の席があった。
空席だったから、薄々感づいてはいたのだろうが。
私は先生に促され、席に向かって歩いていく。
「彼」の髪型はマッシュ――に一瞬見えたが、違う。あれはただ平均的に短く切っただけだ。
そう、名付けて――エセマッシュとでも呼ぼうか? 名前は知らないもん。それに、そもそもあれに正式な名前があるのかどうかすら分からない。
……ネーミングセンスはお察しだ。
短く切りそろえられた爪。
長すぎず、短すぎず、適度な長さを保っている。
それに――蛍光灯の光を反射していて、とてもきれいだ。
無色透明のネイルだろうか。いや、この学校はネイル禁止だったはず。だったら、素の状態であれなのか。とても羨ましい。
目は――二重。うん、素晴らしい。いや、一重が好きな人がいてもいいと思うけど。でも、素晴らしい。
「あの……よろしくお願いします」
「うん、よろしく」
私が席に座って挨拶すると、彼は私から目を逸らした。正確には、私の背後にあった空から。
けれど、所在無げに目をうろうろさせている。
……どうやら、私のせいで外が見れなくなって、目のやり場に困ってしまったらしい。
ふと、彼の机の上のノートが目に入った。『鳥海龍矢』と書いてある。
「あの、たつやくん……?」
「『りゅうや』だ」
「あ、ごめ…………」
視線は依然として前を見たまま。
会話はキャッチボールとはよく言ったものだ。相手が投げ返してこなければ、キャッチボールは成立しない。
……ちゃんと取ってくれるだけマシではあるけど。
「ちょっとりゅう、かわいそうでしょ?」
おろおろする私を見かねたのか、前の女の子が声を掛けてくれた。正直助かったかも……。
前のウルフカットの女の子は、椅子を前に向けたまま体を90度こちらへ回転させる。
「私は奥野 彩花。よろしくね? ななえちゃん」
「うん。よろしく、彩花ちゃん」
彩花ちゃんは頷くと、視線を龍矢くんに向けた。
「そうだ、りゅう、放課後ななえちゃんを案内してあげなよ。うちの学校広いし、いっかい回っといた方がいいでしょ」
「はぁ? なんで俺が。女子同士、お前が案内すればいいだろ」
……それはごもっともだ――と私が思っていると、思わぬところから援護射撃。
龍矢君の右の席の男の子が彼に近づく。随分と体格のいい子だ。顔は中の上くらい? ……タイプじゃないけど。友達としてなら上手くやれそう。
「いやいや、龍矢、そろそろお前も女子に興味もった方がいいぜ」
そう言って、今度は私へ。
「瀬名、聞いてくれよ。こいつ、高校入ってから女子に見向きもしねぇし、関わろうともしない。さすがにみんな発情期と言っても過言じゃないこの時期にそれはヤバいだろ?」
「いやぁ、まあ、今は多様性の時代だし……」
…………私も、BLは……嫌いじゃないし。
私がそう言うと、彼は大げさに「ハッ!」と言って。
「さてはお前、そういう、そういうことなのか!? 水くせぇぞ、それならそうと言ってくれたら――」
「うっさいなぁ、小田。そんなんじゃねぇよ。ほっとけ」
チラッと小田と呼ばれたその男子を見た龍矢君は、そう言うと、再びそっぽを向いてしまう。
「だよな~! じゃあ、瀬名を案内してやれよ。このクラス、部活やってねぇのお前くらいしかいねぇし」
「…………」
押し黙る龍矢君。
どうやら今までの話は関係なく、そういう事情らしかった。
そう言われては弱いのか、ちょっとくらいは固辞するのも私に申し訳ないと思ったのか――。
「……………………しょうがねぇなぁ」
――ポツリ、と。
「――瀬名ななえです。よろしくお願いします」
朝の教室。みんなの前で無難な挨拶をする。
こういう場で突飛なことをするのは悪手中の悪手。
それは、小学校でさえそうだったのだから、高校ならなおさらだろう。多分。
「協調」は女の生命線だ。
文字通り、学校という場を「生きる」上での。
それがなければ、「生きて」いないものと見做されるか、あるいは……。いや、考えるのはよそう。
ともかく、こういった場で突飛なことをしようとする男子の気持ちは、私たちの理解とは程遠いものには違いない。
「瀬名さんは諸事情で入院していたらしい。ただでさえ慣れない学校生活だろう。みんなも気を配ってあげてほしい」
頷く子が数人、興味深そうにじろじろとこっちを見ている子が数人。最後列で興味なさそうに外を見ている男子が1人。
「席は――あそこかな。鳥海くん、面倒を見てあげてくれるかい?」
チラッと顔をこちらへ戻した少年。すっごくめんどくさそうに。
「……わかりました」
彼が外を見ていた視線の上には、私の席があった。
空席だったから、薄々感づいてはいたのだろうが。
私は先生に促され、席に向かって歩いていく。
「彼」の髪型はマッシュ――に一瞬見えたが、違う。あれはただ平均的に短く切っただけだ。
そう、名付けて――エセマッシュとでも呼ぼうか? 名前は知らないもん。それに、そもそもあれに正式な名前があるのかどうかすら分からない。
……ネーミングセンスはお察しだ。
短く切りそろえられた爪。
長すぎず、短すぎず、適度な長さを保っている。
それに――蛍光灯の光を反射していて、とてもきれいだ。
無色透明のネイルだろうか。いや、この学校はネイル禁止だったはず。だったら、素の状態であれなのか。とても羨ましい。
目は――二重。うん、素晴らしい。いや、一重が好きな人がいてもいいと思うけど。でも、素晴らしい。
「あの……よろしくお願いします」
「うん、よろしく」
私が席に座って挨拶すると、彼は私から目を逸らした。正確には、私の背後にあった空から。
けれど、所在無げに目をうろうろさせている。
……どうやら、私のせいで外が見れなくなって、目のやり場に困ってしまったらしい。
ふと、彼の机の上のノートが目に入った。『鳥海龍矢』と書いてある。
「あの、たつやくん……?」
「『りゅうや』だ」
「あ、ごめ…………」
視線は依然として前を見たまま。
会話はキャッチボールとはよく言ったものだ。相手が投げ返してこなければ、キャッチボールは成立しない。
……ちゃんと取ってくれるだけマシではあるけど。
「ちょっとりゅう、かわいそうでしょ?」
おろおろする私を見かねたのか、前の女の子が声を掛けてくれた。正直助かったかも……。
前のウルフカットの女の子は、椅子を前に向けたまま体を90度こちらへ回転させる。
「私は奥野 彩花。よろしくね? ななえちゃん」
「うん。よろしく、彩花ちゃん」
彩花ちゃんは頷くと、視線を龍矢くんに向けた。
「そうだ、りゅう、放課後ななえちゃんを案内してあげなよ。うちの学校広いし、いっかい回っといた方がいいでしょ」
「はぁ? なんで俺が。女子同士、お前が案内すればいいだろ」
……それはごもっともだ――と私が思っていると、思わぬところから援護射撃。
龍矢君の右の席の男の子が彼に近づく。随分と体格のいい子だ。顔は中の上くらい? ……タイプじゃないけど。友達としてなら上手くやれそう。
「いやいや、龍矢、そろそろお前も女子に興味もった方がいいぜ」
そう言って、今度は私へ。
「瀬名、聞いてくれよ。こいつ、高校入ってから女子に見向きもしねぇし、関わろうともしない。さすがにみんな発情期と言っても過言じゃないこの時期にそれはヤバいだろ?」
「いやぁ、まあ、今は多様性の時代だし……」
…………私も、BLは……嫌いじゃないし。
私がそう言うと、彼は大げさに「ハッ!」と言って。
「さてはお前、そういう、そういうことなのか!? 水くせぇぞ、それならそうと言ってくれたら――」
「うっさいなぁ、小田。そんなんじゃねぇよ。ほっとけ」
チラッと小田と呼ばれたその男子を見た龍矢君は、そう言うと、再びそっぽを向いてしまう。
「だよな~! じゃあ、瀬名を案内してやれよ。このクラス、部活やってねぇのお前くらいしかいねぇし」
「…………」
押し黙る龍矢君。
どうやら今までの話は関係なく、そういう事情らしかった。
そう言われては弱いのか、ちょっとくらいは固辞するのも私に申し訳ないと思ったのか――。
「……………………しょうがねぇなぁ」
――ポツリ、と。